足首
数あるコンプレックスを抱える私だが、最近見つけたのは足首である。
膝下からゆっくりと窄んでいき、行き止まりの足首だけ膨らんで球体関節のようになっていて、まるで簡単に折れてしまいそう。しかし、常日頃からよく見合わぬ巨体を支えてくれていて、文句の一つも言ったことはない。何の病気も、何の怪我も私の足首はしてこなかったが、ここ最近とうとう歪んできたように感じられる。脚を真っすぐ伸ばしてみると、どうやら膝から足首は内側に向かってカーブしていて、足首がまっすぐ立つために採算を取ろうとしたためにくるぶしが少し回転してついているような具合だ。球体間接というのは的を射ていた。
夏の朝顔のようにすくすくと育ってきたけれど、まさか蔓を曲げるところまで似てしまうとは。いやはや。
見れば見るほど曲がって見える。それがコンプレックスである。理想と悲観は現実に幻惑の影を落とす。それが夜闇より来る妖怪を見せるのだ。分かってしまえば怯えることはない。コンプレックスであれども忌み嫌うのも我が悲観に強いられているようで滑稽だ。
されど足首、しかし足首。
よろめくことも無く毎日歩けるというから体というのは帳簿のやりくりが上手い。あちらが立たなければこちらを立たす、という具合。しかし、この歪みもいずれなんらかの症状として出るのだろうか。今のところ歩行は問題ない。
もしかしたら、皆このようなくるぶしの付き方をしているのかもしれないけれど、人の足元なんてついぞ見てこなかったのだからどうついているのか知る由もない。しかし、知り合いに足首を見せてくれと頼むのも変態的ではあるまいか。
いや、もはやただの足首に美醜を測りだしているのだから私は無意識的に足首の変態なのだ。
きっとこの曲がり分が真っすぐになれば、私の身長も百八十センチを超えたのに、惜しいことをしたものだ。ははは。しかし、曲がってしまったものはしょうがない。折れるよりはましだ。
これまで折れず、斬れず、まがりなりにもついてきてくれた足首にねぎらいを込め、右ひざにのっけてぐるぐると愛玩してみる。ぽきぽきと鳴る。
意外と文句があったかな?……