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「郁さん、ここどういう意味ですか?」


 指で示された問題を見て、郁は昔の記憶を掘り起こしながら説明をする。一応良い成績を取った授業であるから、理解もしっかりとできているはずだが、なにぶん昔の話なので記憶が曖昧だ。


「っていうか、こんなの教科書読んだらわかるでしょ。絶対わかってて聞いてるでしょ」


 郁がそう言うと、大宮はにっと笑った。


 もう講義はなくなっていたが、郁は大宮にテストの内容を教えるために学校へと来ていた。郁は期末テストがほとんどレポートで、しかもほぼ書き終えているから、かなりの余裕がある。わからないことは立原が教えてくれるから、予想以上にはかどってしまったのもある。


「だって、一人で勉強するの退屈なんですもん。郁さんは勉強するなら自宅、図書館、友達と一緒、どれが一番捗りますか?」

「自宅」

「あーそんな感じする」

「人と一緒すると喋っちゃって全然進まないしね」


 そう言いつつ、家に立原がいても簡単に終らせることができたから、なんだか腹が立つ。


「俺、昔からテスト勉強は人とする派なんですよ。相手も巻き込んでやると、覚えやすいんで。今は郁さんを巻き込んでいます」

「巻き込まなくても十分理解できてると思うけど」


 くすくすと笑う顔に邪気はない。昔からこうやって笑顔でいれば何でも許されてきたのだろうと思うと、それができない郁には少し羨ましく感じた。


「そういえば、夏合宿に来ますか?」

「まだ迷ってる。大宮くんは?」

「俺はもちろん参加しますよ。どうして迷ってるんですか?」

「うーん、何となく」


 去年参加したサークルの夏合宿は、一日遊んで、一日がっつりと研究発表をして、大変だった覚えしかない。他のサークルが毎晩どんちゃん騒ぎをするの対し、お堅いと言われるだけあって非常に禁欲的な合宿と言える。

別に騒ぎたいわけではないのだが、研究ばかりするのは疲れるし、他にも嫌なことを思い出すので避けたいという思いもあった。


「俺、郁さんが来ないと寂しいんですけど」

「それ、他の人にも言ってるでしょ」

「え、なんでですか」


 もちろん、言われた本人に聞いたからに決まっている。こうやってテスト勉強に付き合わされているのも郁だけではなく、男女問わず彼よりも先輩の者は一度は誘われているはずだ。


「社交性があっていいと思うけど、本気にする人もいるから、あんまりそういうのは言わない方がいいと思うよ」


 大宮の笑みが一瞬固まったので、郁はあまり見ないように目線を逸らした。そのとき、視界の端に立原の姿を見つけて、郁も一瞬固まる。


「やっぱり、郁さんってサバサバしてますよねー。なんか、男に騙されなさそう」

「……それはどうも」


 いきなり押しかけてきた男を部屋に泊まらせているとは、口が裂けても言えない。視界の端にいる立原は郁に気付いていないようで、今日は取り巻きを連れていなかった。気付かれないように、あまり意識するのはやめて大宮を見ると、彼は郁の方をじっと見つめていたので少し戸惑った。


「あの、ちょっと聞いてもいいですか?」

「何?」

「小耳に挟んだんですけど、今留学に行ってるっていう早見って人と付き合ってたってほんとですか?」


 直球すぎる質問に、郁の口がぱくぱくと開いた。何で知っているのだ、一体誰から聞いたのだ、何て答えればいいのだ、とぐるぐると頭の中が回りだして、すぐには答えることができない。


 そんな郁を見て、大宮は優越を感じたのがにやっと笑った。


「やっぱり、付き合ってたんだ。で、留学に行く前に別れたんですよね?」

「……」


 顔がだんだん熱くなっていくるのを感じて、自然と郁はうつむいた。


「誰から聞いたの?」

「えっと、一応秘密で」


 大体誰が言ったのか見当はつくが、あのときサークルに所属していた人は誰でも知っていたから、一応全員に嫌疑はかけられる。しかし、いちいち追求したところでどうにもならないだろう。


「今度帰ってくるんですよね? 気まずくないですか?」

「別に」

「そうなんですか? でも、明らかに気まずいって顔してる」


 この言葉で、郁の顔がいよいよ赤くなった。口元を押えながら必死で隠そうとするが、汗も出てきて止まらなくなる。


「郁さん、可愛い」


 大宮はそう言うと椅子を寄せてきて、郁の赤くなった頬に手をかけた。自然な動きに抵抗する間もなく、近づいてきた大宮の顔をただ見つめる。


「こんな顔するんだ。可愛いな」

「ちょ――大宮くん」

「ねえ、俺郁さんのこと――」


 そのとき、突然ガツンと大きな音がして、大宮の体が前のめりになった。その衝撃で机の上にあったコップが倒れ、コーヒーが彼のプリントの上にかかる。


「すみません、大丈夫ですか?」


 大宮に激しくぶつかったのは立原だった。慌ててコーヒーを拭こうとしている大宮は、「いや、大丈夫ですよ」と言っているが、その表情はイラついている。郁もカバンからティッシュを取り出して拭くのを手伝った。その間に、動じてしまった心を落ち着ける。


「コーヒー、弁償します。あとプリントは……どうしたらいいですか?」

「いや、本当に大丈夫です。コーヒーもあとちょっとだったし、プリントはポータルからまたダウンロードできますし」

「本当にすみません」


 郁は立原をちらりと見て、訝しそうに眉をひそめる。ぶつかってきたのは絶対にわざとだということは、顔を見ればわかった。きっと郁に対するちょっかいのようなものだろうが、それにしてもやり方が雑だ。


 大宮はそれに気付いてるのか気付いていないのか、立原にいつもの人懐っこい笑みを浮かべた。


「確か、いつも大所帯で食堂にいる人ですよね? うわー、かっこいいな。近くで見たことなかったけど、やっぱぞろぞろ引き連れてるだけありますね」


 皮肉にも取れるような言い方が、立原もにっこりと笑って意に介さない様子だ。


「はは、なんだかんだでいつも多くなってしまうんです。たまには静かに食べたいんですけど」


 そう言ってから、彼は郁の方を見ておやという顔をした。


「君は――この前の」

「え、知り合いですか?」


 大宮は驚いた顔をして郁を見た。郁はというと、立原を睨みながら変なことは言うなよというアピールをする。


「少しね。あ、そうだ、ちょっとこの前のことで話があるんだけど」


 そこで立原はちらりと大宮を見る。何も言っていないのに、お前は邪魔だというオーラがひしひしと伝わってくるようで、郁は呆れてしまった。


「あ、郁さん、もう勉強は大丈夫ですよ。だから、この人と行ってもらっても」

「大宮くん、別にこの人とは――」

「それはどうもありがとう」


 郁の言葉を遮るように立原はそう言うと、申し訳なさそうに眉を下げた。


「邪魔しちゃったみたいでごめんね。紙もべとべとにしてしまったし、お礼にやっぱりコーヒーをおごるよ」

「いや、申し訳ないんで」

「いやいや」


 そんなやり取りをしながら立原は自動販売機の前に来たのだが、財布を開けてしばし固まる。今朝彼に渡したのはバス代と昼食代のみだったから、大宮に奢るだけのコーヒー代もないのだろう。


「やっぱり、私が奢ってあげる。立原さんはぶつかっただけですし」

「え、郁さん、いいですよ」

「それに」


 郁はお金を入れて、大宮がさっき飲んでいたものと同じ缶コーヒーのボタンを押した。


「これ、口止め料ってことで」

「――ふっ」


 出てきた缶を大宮に渡すと、彼は目を細めて「わかりましたよ」と言った。


「でも、何の口止め料ですか? 早見さんのこと? それとも、学校一のイケメンと何か関係があること?」

「どっちも。足りないのならもう一本買うけど」

「いいですよ、これで。その代り、また勉強に付き合ってくださいね」

「ありがとう」


 大宮と別れると、郁はさっそく人気のないところにやってきて、立原を睨みつけた。


「一体何のつもりですか。学校では知らないふりするって言ったじゃないですか」

「そう怒るなよ。高坂が何か困ってるように見えたから助けたんだろ」


 はあ、と郁はため息をついた。確かに、大宮に急に近づいてこられて戸惑ってはいたが、誰かに助けてもらうほどのことではない。


「さっきの誰? 今日学校に行くって用事、あいつに会うことだったのか?」

「どうしてあなたに言わなきゃいけないんですか」


 つーんと顔を逸らした郁に、立原はむっとした顔をした。


「だって……一応一緒に住んでるし」

「一緒に住んでても、付き合ってるわけじゃありませんよね?」

「じゃあ、ファーストキスの相手だし」

「それはもう言わない約束でしょ!」


 思ったより声が大きくなってしまって、慌てて郁は口を押えて周りを見た。誰もいないのはここに来たときに見たが、再度確認してホッと息を吐く。


「やっぱり変か?」

「何が?」

「俺、高坂がさっきのやつと一緒にいるのを見たとき、ちょっとイラッてきた。俺と一緒に住んでるくせに、って」

「寄生ですって」


 そう言ったものの、郁は立原の話に少なからず戸惑った。彼の話はまるで、大宮に嫉妬したみたいではないか。


「私、立原さんがどれだけ女の人に囲まれていても、何とも思いませんよ。今すぐその中の一人の家に行ってもかまいませんし、誰とキスしようが全然平気」

「やっぱり、俺が変なんだな。悪かった、一緒に住んでるから、ちょっと勘違いしたのかも。兄貴と住んでたときも、夜ご飯を外で食べてくるって言われたら同じ風に思ったし」


 なんだ、と郁は思った。兄に対しても嫉妬するようなら、郁に対しても自分のおもちゃを取られたような感じなのだろう。もしかしたら立原は、自分の取り巻きたちに対しても、同じことを思うのかもしれない。自分にいつも群がるくせに、他の男と楽しく喋るなんてどういう了見なんだという風に。


「立原さんって、独占欲が強いんですか?」

「わからない。だって、今まで彼女とかいたことなかったから」


 そういえば不思議な話である。立原ほどモテる男ならば、女をとっかえひっかえ可能なのに、二十歳を超えてから初めてキスをしたのだ。しかも、行きずりとも言える郁と、酒に酔った状態で、だ。


「なんで作らなかったんですか?」

「好きにならなかったから。みんな俺の外見ばっかで、中身なんて見てもくれなかったし」

「猫かぶってるあなたも悪いと思いますけど」

「気が付いたそうしてたんだから、今さら直しようがない。高坂にだって、バイトしてるところを見られなかったら、きっと他のやつらと同じように接してた」

「今からでも遅くはありませんよ。っていうか、いつになったら出ていくんです? 早く次の居候先を見つけてくださいよ」

「夏休みに入ったらちゃんと考える。部屋を借りるにしても、まずはお金を稼がないと」


 確かにその通りなので、郁は何も言わずにうなずいた。夏期講習が始まれば毎日働かされるから、きっと何万も稼ぐことができるだろう。立原のおかげで大量に生徒も入ったから、臨時ボーナスだってあるかもしれない。


「俺まだ学校でやることがあるけど、高坂はもう帰るのか?」

「そうします。何時くらいに帰ってきますか?」

「たぶん四時過ぎかな。オムライスが食べたい」

「夜ご飯は何がいいなんて訊いてないですけど」

「言ってみただけ」


 立原は笑うと、手を振って先にそこから立ち去った。少し癪だったが、郁は帰りにスーパーによって卵を買って帰った。


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