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 一週間が過ぎた。


 特に取り立てて騒ぐようなこともなく、いつもと同じ生活を送っている。毎日頬杖をついて授業を受け、こんな感じじゃ塾の生徒たちに顔向けできないなあと思いながら、あくびをかみ殺す。


「ねえ、郁。これめっちゃ似てない?」


 隣にいる千佳がそう言って見せてきたのは、黒板の前でマイクを持って喋っている教授の似顔絵だった。


「似てる、すごく似てる」

「でしょ? ここの鼻の下とか特に」


 笑いだしそうになるのを堪えながら、何とかその授業を受け終え、早く食堂に行こうと急いで教科書をカバンの中にしまう。


「また椅子取りゲームだ。行くよ」

「よし、頑張ろう」


 人でごった返しの食堂で、何とか席を見つけようと素早く視線を動かした。今度も千佳の方が先に席を見つけて、郁を置いて駆けていってしまった。


「郁、ここ空いてるよ! ――って」

「ちょっと、またあんた?」

「最悪」


 なんとも奇遇なめぐり合わせだろうか。空いていると思われた席は、またもやあの立原椿の取り巻き連中の手中にあったのだ! 見覚えのあるカチューシャに、郁は苦笑した。


「ここ、空いてないから」

「はいはい、わかってるって。郁、行こう」


 千佳がそう言って歩き出したので、郁も軽く頭を下げながら立ち去ろうとしたとき、突然「高坂郁!」と呼び留められた。


 振り返ると、立原がそこに立っている。若干顔を青ざめさせ、口をぱくぱくと開けて、こちらに近づいてくると、「なんでここに」と絶望的な声を出した。


「ちょ、ちょっと来い」


 立原に腕を掴まれる。


「え、あ、あの」

「立原サマ?」


 郁はぽかんとした顔の千佳と、同じく口を大きく開けているカチューシャの女を見ながら、ずるずると立原が引きずられていった。そして、人気がないところまで連れていかれて、恐ろしい形相ですごまれることになる。


「おい、なんであそこにいたんだ。まさか」

「言ってませんって! っていうか、すっかり忘れてたのに!」


 言葉通り、郁は立原のことなんてこれっぽっちも思いださなかった。郁にとっては立原がバイトをしていようとしていまいと関係のないことだし、それを誰かに言っても何も変わらない。話のネタとしては面白いかもしれないが、あんな誓約書を書かされた後では、喋る気もなくなるというものだ。


「だったらなんであそこにいたんだ」

「席が空いてたからあそこにいたんです。結局空いてなかったけど」

「じゃあ、本当に言ってないのか?」

「しつこいなあ」


 郁がため息をつくと、立原もそれ以上そのことについては何も言わなかった。


「あの後、君の言う取りにバイト先に戻ったら、また続けられることになった」

「そうなんですか? よかったですね」

「ああ。まあ、そうだな」


 そう言ったとき、立原の携帯電話がまた鳴りだす。「ちょっと待って」と彼がそれを耳に当てると、数秒後からどんどんと顔色が悪くなっていき、そして携帯を持った手を下ろした。


「どうかしましたか?」

「……バイト、クビになった。俺よりも容量のいいやつが入ったからって」


 思わず笑いそうになったが、能面のような顔を見せられて、郁は咳払いをした。


「また次のバイトを見つければいいじゃないですか」

「次のって……これでバイトをクビになるの、五回目だ」

「うわあ……」

「そんな顔をするな! 俺の何がいけないんだ! ちゃんと言われた通りにやってきたのに! そりゃ、ちょっと不器用なところもあったかもしれないし、高慢なところもあっただろうけど、それでも(バイト先の人に)好きになってもらえるように努力したんだ! なあ、俺の何がいけないんだよ!」

「あ、あの、ちょっと声を押えて……」


 そのとき、悲鳴が聞こえたかと思うと、郁と立原が話しているところに、あのカチューシャの女が現れた。その後ろから、他の女たちもなだれ込んでくる。


「た、立原サマ、もしかして今のは……」

「え? な、何?」


 慌てる立原に、悲壮な表情を浮かべる女たち。郁は立原の後ろに隠れていたら、カチューシャの女が、


「その人のこと、好きなんですか?」と言ったので、「えっ!」と驚いた。

「だって今、好きになってもらえるように努力したって……」

「ち、違います! それはこの人がバ――うぐっ」


 口を手で押えられて、郁は言葉を詰まらせた。押えている本人である立原は、にこやかに笑いながら女たちに言う。


「人の話を盗み聞きするなんて良くないな。特に、こんな場所で話してるんだから、聞かれたくない話だってわかるよね?」

「あ……す、すみません、でも」

「でも?」

「……何でもないです」


 黙った女たちを見て、郁は「さすが」と思った。立原サマの前では、容易に口答えもできないらしい。


「ごめんね、僕もこういうことはあまり言いたくないんだけど、さっき少し感情的になってたからつい……」

「だ、大丈夫です。それじゃあ、私たちは、えっと、先に戻ってますね!」


 女たちは逃げるように去っていった。彼女たちがいなくなると、立原は大きなため息をついて「危なかった」と呟く。


「やっぱり学内ではこういう話は避けた方がいいな。電話が来て気が動転してしまったみたいだ。勘違いをしてくれたようだが……」

「あのー」


 立原が郁の方を振り返る。


「何だ?」

「さっきの勘違い、結構おぞましいんですけど」


 よくよく立原の発言を考えてみれば、確かに郁のことを好きだと取れるような内容だ。あそこだけ聞けば、勘違いするのもわかる。


「どうして? 俺が好きになった女だぞ? ものすごく価値があるじゃないか」

「バラしますよ?」

「――わ、悪かった! もう変なことは言わないから! だから、お願いだからそれだけは」

「――ふっ」


 郁が笑うと、立原も誓約書のことを思い出したようだった。少しむっとした顔で、頭に手を当てながら「図ったな」と言う。


「もういい。とりあえず、誰にも言うなよ。絶対だからな」

「はいはい。それじゃあ、さようなら」


 手を振って立原が去っていくのを見送っていると、彼はまた戻ってきて、目を逸らしながら「あのさ」と言った。


「バイト、どうしよう」

「知りませんってば。あなたの家、大金持ちなんでしょ? バイトしなくてもいいじゃないですか」

「……まあ、そうなんだけど」


 そう言うと、今度こそ立原が行ってしまったので、郁も千佳のところに戻った。千佳は空いている席を見つけられなかったらしく、食堂の入り口で郁を待っていた。


「ごめん、千佳」

「別にいいけど、大丈夫だった?」


 かなり怒った様子のカチューシャの女たちが帰ってくるのを見て、郁のことを心配してくれたらしい。


「大丈夫といえば大丈夫」

「立原サマと知り合いだったの?」

「えっと……前にちょっとあって」

「ちょっとって?」

「んー……可哀想だから、言わないでおく」


 そうやって誤魔化すと、千佳は「えー、気になるー!」と言って唇を尖らせた。しかし、それ以上は聞いてこないだけの気遣いはある。


「どうする、ご飯」

「パン買って教室で食べよっか。たまにはこういう日もいいよね」

「そうしよう」


 千佳と笑い合うと、さっそく食堂を出て購買に向かったのだった。

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