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比翼連理  作者: 夏芭
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「・・・なん・・だって?入内の話を、蹴った?」


 いつものようにゆすらの元を訪れた千尋は、その耳で聞いても信じられないほど世にも奇妙な言葉を聞いた。


 貴族の姫の最高出世と言われる入内を断る。


 普通の姫ならば考えも及ばないだろう事柄を、いとも簡単に言ってのけたゆすらを、流石は規格外と千尋は感心して見つめてしまう。


「違う違う。お断りした、っていうか辞退したんだってば」


 そんな千尋に、蹴ったと断ったや辞退では受け取り方が余りに違うとゆすらが訂正をかけるが、断ったも蹴ったも辞退したも大差ない状況だと千尋は冷静に分析せずにいられない。


「そもそも入内自体が正式に決まっていたお話ではないし、私が剣で兄様(あにさま)に勝てたら好きにしていい、と言ったのは兄様(あにさま)なんだから大丈夫、問題ないって」


『ゆすらは強くなったなあ』


 参りました、とゆすらに嬉しそうに言った日垣を思い出し、あの笑顔が大好きだと和んでいれば、千尋が信じられないようにゆすらを見た。


「勝った?剣で左大臣様に?」


 唸るように言って、千尋は額を己が手で覆う。


 左大臣日垣といえば、文武両道で有名な剣の達人。


 そのひとに勝った、と当たり前のように言うゆすらは眩しいばかりの笑みを浮かべているが、流石の千尋もゆすらと剣を交えたことは無いので、その実力を正しく知っている訳ではない。


 しかし日垣はわざと負けるような真似を嫌う人物ゆえ、不正などは無かったと思う千尋は、それだけゆすらは入内回避に必死だったのだろうと心和む思いがした。


「そうか。お前、勝ったのか。それは左大臣様も流石に予想外だったのだろうな」


 火事場の何とやらかと苦笑し、それでも左大臣は喜んだのだろう、と、その微笑ましい光景が千尋には見えるようだった。


「ならば、俺も未だこちらへ来てもいいだろうか」


 そして千尋は、気になっていた一言を口にする。


 未婚の姫の元を公達が訪れる。


 それはふたりの関係を勘ぐらせる事にもなるだけに、入内が決まるのならばそろそろ控えなければならないか、もしや今日が最後となるやもとさえ思い訪れた今日という日に、千尋としては明るい報告を聞けた。


 これまでも、ゆすらの評判を考えるのならば訪れるべきではないと思うもなかなか思い切れず、日垣にはっきり言われるまで、とずるずる来てしまった。


 しかし入内の話を断ったというなら、自分がゆすらに求婚することも許される。


 千尋は、振って湧いたその状況に心躍らせゆすらを見つめた。


「千尋くん?」


「ゆすら」


 心弾むままに己が想いを口にしようとした千尋は、しかしそこで冷静さを取り戻した。


 無邪気に笑うゆすらは、これで本当に入内がなくなったと信じているのだろうが、事は家の浮沈にも関わる一大事である。


 日垣がどれほどゆすらを大切に可愛がっていようとも、逆らえない時流というものは存在する。


 日垣のひと言で状況が決まると言われている春宮の地位を狙うふたりの皇子が、簡単にゆすらを諦める筈が無い。


 


 せめて、ゆすらの笑顔が曇ることのないように。




 どちらの皇子に入内することになったとしても苦労は免れないだろうことが分かるだけに、千尋はせめてゆすらが皇子に愛される存在となればいいと願い、その傍から苦い思いが込み上げるのを感じて眉を顰めた。


「・・・くん。千尋くん、どうかした?」


 どれくらいそうしていたのか。


 気づけばゆすらが目の前にいて、心配そうに千尋の顔を覗き込んでいた。


「何でもない。大丈夫だ」


 口元を引き攣らせながらも何とか言い切り、そっと笑みを含んだ目で見返せば、困ったようにゆすらが微笑む。


「ね。私にはよく判らないけど、出仕するのって凄く気も使うし大変なんでしょう?千尋くんは私と違って真面目だし、無理してしまう性質だから何だか心配なの。それでね。この間取り寄せた、気持ちをやわらかにほどく、って薬湯があるから飲んで欲しいな、って」


 言いながらゆすらは、控えている女房に件の薬湯を千尋に持って来るよう指示した。


「俺の、ために?」


「うん。それくらいしか出来ないからね」


 肩を竦めくすくすと笑うゆすらに、千尋はゆっくりと首を振る。


「嬉しい。物凄く」


 ゆすらが自分のために薬湯を用意してくれた、その心が千尋をあたたかく包み込む。


「千尋くん。この部屋に居る時くらい、寛いで」


 ゆすらの言葉が柔らかく千尋の心に届く優しい空間。


「ありがとう」


 ゆすらの気持ちが嬉しくて、そのまま言葉にすればゆすらが目を丸くした。


「珍しい・・・」


「珍しい?」


 何をそんなに驚くのかと千尋は眉を寄せるけれど、ゆすらは真剣な顔で大きく頷いた。


「うん。珍しいよ、物凄く。千尋くんが、真っ直ぐ自分の心を言葉にしてくれるなんて」


 心底驚いたのだろう、目を丸くするゆすらに言われ、千尋は隠してばかりの自分の心を思う。


「ゆすらに嘘偽りを言ったことは、無いぞ?」


 それでも、言った言葉に嘘は無いと言えばゆすらが苦く笑った。


「それはそうだけど、隠していることも増えたでしょ?お役目あるんだもん。仕方ないって分かってるけどね。寂しいは寂しいの」


「ゆすら、ごめん。でも俺、ゆすらといると自分で居られるって感じているよ」


 宮中という魑魅魍魎が跋扈するかのような、騙し合いの場でも頑張って地位を築いて来られたのは、ひとえにゆすらに相応しい立場が欲しかったから。


 そして心が疲弊した時には、こうして寄り添い千尋を案じてくれるゆすらという癒しと潤いがあったからこそ、頑張れた。


「ふふふ。なら、心行くまでゆっくりしていって」


 


 婿としてこの邸に通い、ゆすらにこう言って貰えたら。




 それはどんなに幸せなことだろう、と千尋は望み薄い未来をそっと夢見た。




 



ありがとうございました。

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