二十四
「邪魔をするぞ・・って!ゆすらどうした!?具合が悪いのか!?」
いつものように飄々と現れた彰鷹は、脇息に生気無く凭れかかり、彰鷹の来訪を知ってものろのろと顔をあげるばかりのゆすらに驚き、慌てて駆け寄った。
「あきたかさま・・いらっしゃいませ」
「どうした!?余りに暑いからか?それとも、閉じ込めてしまっているからか?ん?」
挨拶の声にも覇気がまったく感じられず、彰鷹は焦りの滲む顔でゆすらの目を覗き込む。
「閉じ込め・・・。ああ、彰鷹様。ごめんなさい」
「ゆすら!!??」
そして、終にはぽろぽろと涙を零しはじめたゆすらの肩を、彰鷹は優しく抱き寄せた。
「何を謝る。何がそんなに苦しいんだ?」
とんとんと優しく背を叩けば、ゆすらの涙は益々その量を増していく。
「私、考え無しで・・みんなを大変な目に遭わせるところだった・・・」
「ゆすら」
「私、彰鷹様や兄様、千尋くんを失脚させるために利用されるかも、なんて考えたこともなくて。後宮のなかで、まさか昼間に弑されることがあるなんても思わなかったから、彰鷹様の評判に関係ないなら少しくらい部屋から出てもいいんじゃないか、とか思ったし、事件のこと全然教えてくれないのも凄く不満で、警護が厳重になったことも鬱陶しいくらいにしか思ってなかった・・ほんとにごめんなさい」
「ゆすら・・・。謝るのは俺の方だ。共に闘ってほしいと言いながら、いざとなるとゆすらが傷つけられるのが怖くて、事件から遠ざけた。怖い思いをしたのに、捜査経過を何も説明されないんだ。怒るのも無理はない」
ゆすらの涙が衣に染み込むのも厭わず、彰鷹はその胸に優しくゆすらを抱き込んだ。
「彰鷹・・さま・・」
「俺が失脚すれば巻き添えとなる人間が数多いるから、どうでもいいなどとは言えない。しかし、俺にとってゆすらは何より大事にしたい存在なんだ。それは、分かってほしい」
苦悩する声に、ゆすらは首を横に振る。
「何も出来ない無能なのに、真相は知りたいなんて、我儘言ってごめんなさい」
「無能?それは違うな。左大臣も薬師少将も、そなたという存在があればこそ、その能力を遺憾なく発揮できるんだ。もちろん、俺もな」
「・・・いるだけでいい、とか何かやだ」
優しく言われ、それでもそんな扱いは不満だ、と、むくりと顔をあげたゆすらに、彰鷹は優しく笑んだ。
「何だ。俺では守るに頼りないか?」
「そんなこと言ってません。でも、私の知らない所で危険な目に遭ったりしないで」
不安になり、知らず彰鷹の袖を握り締めてゆすらは彰鷹を見つめた。
「大丈夫だ。今危険なのは、俺よりもむしろゆすらだから、すまないがもうしばらくじっとしていてほしい。この件に片が付けば、自由に出歩いていいし、剣術の稽古だって再開しよう」
身体を動かすことの出来ない抑圧が、こんなにも塞ぎ込む原因なのでは、と彰鷹はゆすらの髪を優しく撫でる。
「自由に出歩く、って。この間も思ったんですけど、私だって他人様の住まいへ無断で入り込んだりはしないですよ?そりゃ廊下も少しは歩きたいですけど、他人様の領域へ行きたいなんて望みもしません」
何か、自分という人間に対して誤解があるのではないか、とゆすらは疑問の目を向けた。
「そうなのか?だが俺は、俺の住まいへはいつでも来ていいと思っている。俺が居ない時でも、な」
「それは。とんでもない我儘妃だと言われる要因になりそうですね」
思わず遠い目になってゆすらが言えば、彰鷹も楽し気に笑った。
「いいじゃないか。言いたい奴には言わせておけば」
「余計な波は立てたくないです」
「なんだ。意外と他人の目を気にするのか」
「あ。今更、って思ったでしょう?」
確かにそうだけれど、と頬を膨らませたゆすらのその頬をつつき、彰鷹はぐっと顔を寄せた。
「俺は。それが、むしろ普通と言われるような世になればいいと思っている」
「え?」
「俺たちの時には、そんな自由な気風でもいいだろう」
ぽんぽんと肩を叩かれ、ゆすらはあんぐりと彰鷹を見あげる。
「私が言うのも何ですけど、伝統とか格式とかあるじゃないですか」
「もちろん、守るべき伝統や格式はあるだろう。だが、いいじゃないか。自分の子達が自由に遊び、父や母と過ごせる環境」
「彰鷹様」
その一瞬、彰鷹の顔に浮かんだ苦さに、ゆすらは彰鷹が生まれ育った状況を思い出した。
母は宮家という高貴な血を持ちながらも後ろ盾としては弱く、第一皇子として生まれながらも冷遇され育った彰鷹の、その寂しさを初めて肌で感じたように思い、ゆすらはそっと彰鷹の手を取り、自分の両手で包んだ。
「男の子が生まれたら、剣術を教えてあげてくださいね」
「姫にはいいのか?」
「んぐ・・本人が望んだら・・・ああ、でも流石に剣術は・・・」
真剣に悩むゆすらを優しい目で見つめた彰鷹は、そっとその額に自分の額を寄せた。
「ありがとう」
「え・・あ・・・」
その余りの近さに身を引こうとするも彰鷹は許さず、じんわりとその熱を感じ始めたゆすらは、発火したかの如く身が熱くなるのを感じた。
「ゆすら」
そして、額がそっと離れたと思えば、顎に手をかけられ、彰鷹がそっと唇に唇を寄せて。
「っ」
ゆすらが咄嗟に目を瞑ったその時、廊下がにわかに騒がしくなった。
「い、今か」
何事かと身構えるゆすらの前で、彰鷹が苦笑を浮かべる。
「何か、ご存じなのですか?」
「ああ」
気落ちしながらも、どこかわくわくとした様子の彰鷹を見つめていると、ゆすらと彰鷹の前に女房がしずしずと盆を持って来た。
「あ!削り氷!」
それを見た瞬間、瞳を輝かせたゆすらを彰鷹は嬉しそうに見つめる。
「甘葛もたっぷり用意した。好きなだけかけるといい」
「嬉しい!ありがとうございます!」
いつぞや、こんな暑い日には甘葛たっぷりの削り氷が食べたいと言った、その自分の言葉を覚えていてくれたことが嬉しくて、ゆすらは幸せな気持ちになる。
おいしいものは幸せで、それが彰鷹様の傍ならもっと幸せ。
にこにこと削り氷を食べながら、ふとそんなことを思ったゆすらは、同じように幸せそうな顔で削り氷を食べる彰鷹と目が合った瞬間、どうにも恥ずかしくなって、ひとり頬を熱くした。
ありがとうございました。




