二十三
「納得いかないー!!」
苛々と閉じた扇を自分の手のひらに叩きつけ、ゆすらは頭をぶんぶん振って叫ぶ。
「ご正妃様。そのようになされては、御髪が」
そんなゆすらを冷静に見つめ、小笹は慣れた手つきでゆすらの髪を整える。
「だって!私だって当事者なのに、何も教えてくれないとか酷くない!?」
昼間の寝所に忍び込んだ後、彰鷹が呼んでいる、と言った千尋の言葉はその場を逃れる方便かと思いきや事実で、それがゆえにゆすらはそこで事件の概要を説明されると信じていた。
『完全に解決するまで、ゆすらに教えることは出来ない』
けれど、不便をかけてすまないとは言うものの、彰鷹は一貫してその言葉を覆さず、ゆすらは事件が解決するまで自室に籠るよう改めて言い渡され、抜け出すことの出来ないよう、近衛を周囲に配備されてしまった。
「これなら、前の方がましだったな」
庭にだけで一体何人、と言いたくなるほどの人数を見て、ゆすらはため息を吐く。
「ですから、お止め申しあげましたのに」
抜け出すなどという前科を作るから厳重になるのだ、と言う小笹に然もありなんと思いつつもゆすらは言葉を繋いだ。
「だって、知りたいじゃない」
「解決すれば、お話しくださいますよ」
「それはそうかもしれないけど!」
自分だけが蚊帳の外というのが嫌だ、とゆすらは扇を高速で動かした。
「だっておかしくない?私がうろつくと彰鷹様の評判に関わるんだろうな、って昼間の寝所へ行ったことを謝れば『俺の評判などどうでもいい。この件が片付いたら、いくらでも好きにうろついてくれていい』って言うし、じゃあ、嫌味なんて慣れたから今知りたい、って言えば『そんなものに慣れさせてすまない』って、しゅんとされちゃうし!まるで私が、彰鷹様を責めているみたいじゃない」
「春宮様にしてみれば、ご自分のせいのように思われるのでしょう。それだけ、ご正妃様を大切に想われているということかと」
「それは・・・私もそう思ったし、嬉しかった、けど」
ゆったりとした動作でゆすらへと風を送りながら言う小笹に、ゆすらはうっすらと頬を染める。
「失礼いたします!第二皇子様がお越しにございます!」
本当にご正妃様はお可愛らしい、などと小笹が口元を緩めていると数人の女房が床を擦るように駆けて来て、手際よく几帳を用意し始めた。
「まあ。今日は、お庭からではないのね」
呑気に呟くゆすらの衣を整えながら、小笹がため息を吐く。
「春宮様も第二皇子様もどうして」
「よく似たご兄弟よね」
「それは。嬉しいことを仰る。流石、薄紅の君」
部屋を素早く整えた女房達が何事も無かったかのように控えるなか、変わらない典雅な動作で鷹継が現れた。
「ようこそお出でくださいました」
「ああ。薄紅の君の涼やかな声を聞くと、この暑さも和らぐようです」
言って、鮮やかに袖を振り整えながら謡うように言った鷹継を、ゆすらは言葉なく見つめてしまう。
「・・・・・」
「どうかなさいましたか?」
「いえ。よくそんな賛辞がぽろぽろ思い浮かぶなと思って・・あ」
思わず言ってから口を押さえるも、言葉が返ることは無い。
「薄紅の君は相変わらず率直ですね。いや、そこがいいと思いますよ」
「笑いながら言わなくてもいいです。そんな無理に取り繕わなくて」
くくく、と笑いながら言われ、ゆすらがむくれて言えば鷹継は益々楽しそうに笑った。
「では、お互いよそ行きの顔はやめましょう」
「私、一応春宮妃なのですが」
「何を今更。事件の真相が知りたくて、単身昼間の寝所まで乗り込んだくせに」
鷹継の言葉に、ゆすらはぎょっとして目を瞠った。
「ど、どうしてそれを・・あ、もしかして玉藻が?」
千尋が上手く誤魔化してはくれたものの、何かがおかしいと気づいたのかと青くなるゆすらに、鷹継はゆるりと首を横に振った。
「あの勘違い女房に、そんな鋭い考察をする頭は無い」
唾棄するように言い切ったその声音に、ゆすらは思わず口を開けてしまう。
「ひどい言い様」
「事実だし、被害者のひとりでもある私が言うのだから問題無い」
「被害者のひとり」
「ああ。もちろん兄上もな」
「え?」
鷹継が自分も被害者だと言うのを聞いて、もてる人は大変だ、などと他人事のように考えたゆすらは、にやりと言った鷹継のその言葉に顔色を変えた。
「いいか。あの勘違い女房など物の数ではない。では何故私が薄紅の君の動向を知っているか、と言えば。その鍵は、これだ」
しかし鷹継は、ゆすらの心情を|慮<おもんぱか>ることなく、話を進めていく。
そして、すっ、と几帳内に差し込まれた物を見て、ゆすらは首を傾げた。
「これは、桜と橘の紙細工」
それは、以前貰った山桜桃よりずっと小さく簡易ではあるものの、あれと同じ造りと見える桜と橘の枝。
「ずっと簡素なもので申し訳ないが、鍵として急がせたので許せ」
「それは、もちろん。むしろ有難いので。ええと、それで?」
「それらを象徴する部署は何処だ?」
「桜と橘、と言えば左近衛府と右近衛府・・・あ!右大将は中宮様の兄君だわ!」
真摯に問われ、ゆすらはその答えを口にして、はっと鷹継を見た。
そっか。
右大将という地位に在れば、かなりの権限をもって行動できる。
そこまで思ってから、鷹継はその右大将の甥にあたると思い至り、ゆすらは慌てて両手で口を塞ぐ。
「あれが伯父だと思うと虫唾が走るから、気にしなくていい。今、気にして欲しいのは桜もある、ということだ」
真顔で言われ、ゆすらは桜の枝を見た。
「じゃあ、左近衛府も、ってこと?でも」
ゆすらが絶対の信頼を寄せる千尋は左近衛府の少将で、今も彰鷹の手足となって活躍していると思えば、素直に頷くことが出来ない。
「何も、薬師少将を疑えと言っているのではない。その部下の舎人のなかには、右大将もしくは内大臣の息のかかった者がいる、ということだ」
「え!?じゃあ、彰鷹様や千尋くんも危ない、ってこと!?兄様は!?」
「落ち着け。兄上や少将、もちろん左大臣もその辺りも分かって動いているから問題ない。何より三人とも強いからな。そこで狙われるのが薄紅の君。貴女だ」
すっ、と膝を寄せた鷹継は、声を潜め素早く周囲を見渡した。
そして、ひとりの女房の動きを横目で注視しながら、ゆすらへと言葉を紡ぐ。
「貴女を人質に取れば三人へのこれ以上ない抑止力となり、その身の消し方によっては三人の失脚を狙える」
「け、消し方」
その言葉の響きに、ゆすらは背筋が寒くなった。
「昼間だろうと何だろうと、貴女を始末して冤罪を被せることなど造作ないということだ」
「私なんて、簡単に殺せる、と」
こくりと息を飲んで言ったゆすらに、鷹継は大きく頷いた。
「しかも、兄上達の失脚という特大の要素も付加できる、内大臣側にとっては格好の存在だ」
「だから、じっとしていなさい、って、みんな」
「もちろん第一は、貴女の安全確保だ。三人とも、貴女に何かあったら冷徹に切り捨てることが出来ないだろうことが分かっているからこその処置だろう。活動的な貴女には不満もあるだろうが、今の薄紅の君がすべきなのは、大切に想われていることを実感することだ」
自分の軽率な行動が周囲に大きな打撃を与えると聞き、ゆすらは思わず首を振った。
「私、考え無しだったのね」
「気づけたなら、これから注意すればいいだけだ」
明るくなった声音で鷹継に言われるも、ゆすらの気持ちは沈んで行く一方だった。
ありがとうございました。




