二十
「これは。仰々しいほどの御簾ですね」
余りに暑すぎて書物に集中できない、水浴びしたい、と、ぐったり脇息に凭れていたゆすらは、庭からした優雅な声に背筋を伸ばした。
今、庭側の部屋の入口に面した箇所には隙間なく御簾が掛けられ、風で揺れて持ち上がったりしないよう、きっちりと固定されている。
「ええ。猫やら、その飼い主の方やらが迷い込んで来られるので。お陰様で、風通しの悪いこと」
彰鷹の言う通り、対話をしても良いが万が一にも姿は見せることのないように、と厳重に掛けられた御簾越しに、ゆすらは恨みがましく答えた。
「ふふ。薄紅の君は、少々ご機嫌斜めのご様子だ」
はい!?
薄紅の君、ってなに。
私のこと!?
言われた、薄紅の君という呼び名にゆすらがぎょっとしているうち、鷹継はうっすらと笑みながら当然のように簀の子縁へとあがった。
な、なに薄紅の君って。
あ、山桜桃の花色?
今まで、そんな風に姫らしく扱われたことのないゆすらは、どぎまぎしながら身じまいを正す。
「今日は、お約束の品をお持ちしました」
女房達に素早く居場所を整えられた鷹継がそう言って手にした包の布を開けば、中からそれは見事な枝ぶりの山桜桃が姿を現した。
「いかがでしょう?」
「きれい」
思わず呟いてしまったゆすらを満足そうに見つめ、鷹継は女房に命じてそれを御簾のなかへと差し入れる。
「凄いわ。これは、紙細工なのですか?」
鉢植えを模して作られているそれは、淡い紅の花が今を満開と咲き誇り、葉の緑はみずみずしく、幹は太く見事に表現されている。
そしてそれらすべてが幾重にも用いられた紙で出来ていて、ゆすらを更に驚かせた。
「美しいでしょう?いつまでも枯れぬ花として、薄紅の君のお傍に置いてください」
今日も今日とて綺羅綺羅しい衣装を暑さを感じさせぬ流石さで着こなし、流れるような仕草で扇を開いて優雅に扱う鷹継を見つめ、ゆすらはすっと頭を下げる。
「このように美しいものをありがとうございます、第二皇子様」
「おや。ばれていましたか」
そう言って片眉をあげて見せるものの、少しも驚いた風の無い鷹継に、ゆすらは、想定内なのだろうな、と思いつつ頷いた。
「彰鷹様にお聞きしました」
「なるほど。そういえば知っていますか?近頃は女房達が煩いのです。『春宮様は、以前よりずっと朗らかで自信に満ちた目をされるようになった。愛でられるのならば、例え一夜でもかまわない』と」
にっこりと言われ、ゆすらの頬が引き攣る。
彰鷹が自分以外の女人と褥を共にするなど考えたくもないが、それを望む者が数多いることもまた事実。
そして彰鷹が望めば、拒む女人などいないだろうことも。
「彰鷹様はとても魅力的なお方ですから、そのようなこともあるかと」
それでも嫌だと叫ぶ心を隠し、精一杯正妃としての模範解答と思われるものを口にしたのに、鷹継はあろうことかくつくつと笑いだした。
「いや・・申し訳ない。大変にご立派なお答えだが、声に嫌さが滲んで・っ・・この後宮で余りに珍しく・・すまない、堪えられない」
「第二皇子様の今のご様子も、有り得ない、のでは?」
嫌味っぽく笑うならともかく、これほど豪快に笑うとは、とゆすらは突っ込まずにはいられない。
「いや、その通りなのだが・・余りにも・・っ・・くっくっ」
「そのようにお笑いになるなど・・やはりご兄弟ですね」
一応、堪えようとしているのだろうことは分かるが、それまでの典雅さを忘れたかのように身体を屈めて笑う鷹継に、ゆすらがむすっとして言えば、目に涙を溜めつつも鷹継が驚いたように顔をあげた。
「それは。兄上もこのようにお笑いになる、ということですか?」
「ええ、それはもう。今の貴方様のように」
ゆすらが何か行動を起こす度、突飛だと言って楽しそうに笑う彰鷹を思い出しゆすらが言えば、鷹継が真顔になった。
「本当に?」
「嘘など吐く意味、ありますか?」
憮然としたままゆすらが言えば、鷹継が姿勢を正す。
「貴女が嘘を言っている、というよりは信じられないのです。何しろ、兄上が笑う、しかも声をあげて笑うなど、見たことも聞いたこともありませんので」
「私はけっこう、笑われていますけれど」
言っていてゆすらは気づく。
彰鷹が笑うのは、ゆすらの行動そのものに対して。
つまりは、ゆすらそのものに対して笑っているのだということ。
会話の妙で笑う、とかじゃなくて私自身を笑っているわよね?
そういえば、と思い返すどの時もゆすらの行動が突飛だと彰鷹は笑っているのである。
「原因は、私?」
思わず呟けば、鷹継が大きく頷いた。
「女房達が言うように、近頃は明るくおなりのようなのですが、春宮位につかれたこともあって私は会うことが難しくなりましてね。それで、兄上を変えたと思しき貴女に接触してみた次第なのですが。そうですか。やはり貴女が原因なのですね」
「ということは、やはり猫は方便ですか?」
ぶつぶつと呟く鷹継の言葉から、この庭に来たのは自分に接触するためだった、と知ったゆすらが言えば鷹継が悪びれない笑顔を浮かべる。
「ええ、そうです。兄上を変えた方ならもしかすると、と思いまして」
「どういうことですか?」
「共に、兄上を助ける存在となりたい、ということです」
きらきらと期待に満ちた目を向けられ、ゆすらは暫し絶句した。
ありがとうございました。




