十三
「やはり身体を動かすのは気持ちいいですね」
明るい陽射しを浴びながら、水干姿のゆすらが剣を下ろして笑う。
「そうだな」
そして彰鷹もまた、同じように剣を下ろし、その笑顔を眩しく見つめた。
「彰鷹さま、ありがとうございます」
「何がだ?」
剣を鞘に納めながら真顔になって言ったゆすらに、彰鷹は心底不思議そうな声で答える。
「後宮に来て、剣を扱わせてもらえるなんて思っていませんでしたから」
後宮に来れば、書物さえ読ませてはもらえないとさえ覚悟していたゆすらは、彰鷹が居る場合のみ麗景殿の庭に限り、という制限付きであったとしても、水干を着て剣を振るえることに心から感謝せずにはいられない。
「ああ、何だ。そのことか」
対する彰鷹は、大したことは無いと言って大仰に取り扱うことはない。
「彰鷹様を危険に晒すような事はしません、絶対」
それでもゆすらは、彰鷹の春宮という地位が未だ盤石でないことを知っている。
それこそ、彰鷹自らが望んで春宮妃としたゆすらの悪評が、その立場を揺らがせないほど。
「ああ、その辺りは気にしなくていい。ゆすらが妃となって初めて俺は春宮と認められたのだからな。だがまあしかし、水干姿で剣を振るう妃など前代未聞だからな。俺のいないところでそのような事をすれば、賊と間違えた、などと適当なことを言ってそなたを害する者もあるだろうから、その辺りには気をつけろ」
自分のことよりゆすらを優先する彰鷹の真剣な目に心打たれるも、ゆすらも引くことは無い。
「私は、そんな輩には負けませんからご心配なく。ああ、でも」
「でも?」
「力の限り抵抗しても、叶わない事もあるかと思うので。その時は助けに来てくれますか?」
「もちろんだ。必ず行くから、俺が行くまで持ちこたえろ」
「はい!」
目を煌めかせて言うゆすらを眩しく見つめた彰鷹は、その薄い肩をぽんぽんと叩いた。
「俺とだけの秘密の稽古、というのもなかなか乙だろう?」
そして、彰鷹がそう言って笑みを浮かべれば、ゆすらが複雑な表情になった。
「なんか。よく分からないけど、その笑顔反則な気がする」
「反則?それこそ良く分からないが。ゆすらにこれをやろう」
ゆすらに反則と言わしめた笑みを浮かべたまま、彰鷹は一振りの短刀を持ち出す。
「これは?」
「いついかなる時も、懐に入れておけ。そなたの守り刀となろう」
「ありがとうございます」
その気持ちが嬉しい、と手に取ったゆすらはその細工の見事さに目を瞠った。
漆塗りに金蒔絵をほどこした鞘、そしてそこにある紛うこと無き親王彰鷹の御印。
「え、あの、これは、その」
「妃と迎えて初めて贈り物が短刀というのもどうかと思ったが、ゆすらだからな。実際に使うことなど無い方がいいが、あって無駄にもならないだろうと判断したのだが・・やはり嫌だったか?」
少ししょげたように言われ、ゆすらはぶんぶんと首を横に振った。
「いいえ!嫌などあろうはずもありません!ただ、細工の見事さと彰鷹様の御印に驚いてしまって」
事実、短刀を持つ手が震えている、とゆすらに言われ彰鷹はその両手を己が両手で包み込む。
「ならば受け取ってほしい。俺の気持ちの形だと思って」
そう言われれば、受け取らないのも不敬とは思うものの、それでもと惑うゆすらのその懐に彰鷹は短刀を入れようとした。
「っ」
「っ・・すまないっ!」
そして、触れかけてしまったゆすらの胸のふくらみ。
「い、いえあの、その・・・大丈夫です・・彰鷹様なので」
「っ」
ふたり、そのまま動きを止め、暫しの間互いの呼吸だけを聞く。
「その・・すまなかった。わざとでは、無いんだ」
「・・・・はい・・・」
「短刀、貰ってくれるか?」
「・・・嬉しいです・・凄く」
恥ずかしさに赤くなりながらも、何とか言ったゆすらを彰鷹はその腕へと抱き込んだ。
「ゆすら。何があってもこれがそなたを守る。俺が辿り着くまで」
そしてそっと髪を梳かれながら言われた言葉を、ゆすらは胸の奥深くで聞いた。
「『俺が辿り着くまで』かあ。大切に思ってくれているのは本当、だと思えるんだけどな」
ひとりの居室で、ゆすらは脇息に凭れて大きなため息を吐いた。
彰鷹から贈られた短刀は、見るからに見事な一点物で鞘の細工の見事さは言うに及ばず、その刀身も名刀と言われるに相応しい造りをしている。
しかも彰鷹の御印入りのそれを贈るなど、相手を大切に思えばこそ、とゆすらにも分かる。
分かるのだけれども。
「大切、っていうのがどういう意味なのかが問題よねぇ」
春宮に下賜された短刀、というだけで世間での価値は計り知れないし、兄である日垣もゆすらが大切にされている証ととって喜んでくれるだろうとは思う。
しかしゆすらにとっては、その大切の意味するところに問題があるのでは、と思わずにいられない。
「だって、唯一の妃、とか言いながらその実は、ねえ」
後宮へ来て以来、彰鷹と共寝しない日は無い。
しかし、それは真実共に寝るだけで夫婦の営みは一切無く、本当の意味で妃となっていないゆすらには、それが悩みの種となっていた。
「大事に思ってくれていることに間違いはない。だけれど、真の妃としては扱ってくれない。これ如何に?」
問いかけるも、答えを持つ彰鷹は今ここにはいない。
「うーん。これはつまり。私では、その気になれないってことかな」
仕方なく自分で判じれば、予想よりずっと己の心が傷つき、ゆすらは豊満とはとても言えない自分の身体を恨めしく見つめたのだった。
ありがとうございました。




