十一
「小笹、落ち着いて。呼び方は取り敢えず今まで通りでいいわよ。一体、何があったの?」
息切らす小笹にゆすらが問いかければ、小笹はきりっと眉を上げた。
「一大事、緊急事態でございます。姫様、急いで几帳の蔭に・・ああ、やはりそのまま動かずにいらしてくださいませ」
そう言うと小笹は、他の女房達にてきぱきと指示を出し、あっというまにゆすらの周りを几帳で囲った。
「姫様。春宮、彰鷹親王様がお出ましになられます」
そして素早い動きでゆすらの傍に付いた小笹の言葉に、ゆすらは目が丸くなった。
「え?会えるのは明日なんじゃ」
日垣に教わった予定によれば、今日は麗景殿に入るのみで、彰鷹と対面するのはその翌日だったはず、とゆすらが言えば小笹もしっかり頷く。
「その通りでございます」
「だよね」
そもそも、明日ゆすらの方から出向いて帝と中宮へ挨拶を済ませてからの対面となっている筈なのに、と首を傾げてしまう。
「姫様。今確かなのは、今正に春宮様が姫様の下へお出でになる、ということでございます」
予定外のこの時に春宮が来る。
それだけにしては、小笹が妙に気を張っていて、その理由をゆすらが尋ねようとしたとき、廊下が俄かに騒がしくなり、そのひとが姿を現した。
「ゆすら姫!来たか!」
嬉しさが溢れるその声と表情に、ゆすらもほっこりと嬉しくなり几帳のなかから丁寧に挨拶をする。
「はい。参りました」
「よく来たな。早々に熱烈な歓迎も受けたと聞いたが、大事ないか?」
「え?」
彰鷹の言葉にゆすらが目を丸くするも、彰鷹は真面目な声で続けた。
「俺自身は行けないからな。部下を潜り込ませてあった」
「ああ、なるほど。確かに素敵な贈り物をいただきましたね」
「怪我は無いようだと聞いているが、驚きはしたし、嫌な気持ちにもなっただろう?」
心底ゆすらを案じる声に、ゆすらは嬉しくなる。
「なりましたが、今の皇子様のお言葉を聞いて嬉しくなったので平気です」
「そうか。しかし、流石だな。ゆすら姫は」
「何がですか?あ、私のことはゆすらとお呼びください」
「ああ、なら俺のことは彰鷹、と。だって凄いじゃないか。転がり出た幾つもの玉を歩きながら優雅に除け、更には拾ったのだろう?部下も驚いていた」
楽し気にくつくつと笑う彰鷹に、ゆすらは玉を渡そうと考えた。
「あんな風に贈り物をいただいたのは初めてです。ですが、相手の方は贈り物のつもりではなかったかもしれないと思いまして」
「ほう。これは見事な珊瑚だな」
女房からその玉を渡された彰鷹は、そう言って玉を眺める。
「ええ、そうなのです。何かの飾りに使われていたものでしょうか?お返しするにもどうしたらよいかと思いまして」
「返す必要はないだろう。そもそも向こうが寄越して来たのだからな」
「ですが、まさか拾うとは思っていなかったのでは?」
「いい、いい。祝いだと思って貰っておけ。曰く付きにはなってしまったが、本当に物はいい」
彰鷹の言葉に、ゆすらも頷く。
「はい。本当にきれいなお色です」
「ん?そうか。ゆすら、やはり一旦これは俺に預けろ。厄払いしてから返してやる」
にやりと笑った彰鷹は、そう言って玉を袂に仕舞った。
「厄払い?」
「ああ。あ、そうだ。今日ここへ来たのは、これを渡したくて」
そう言って彰鷹が何かの包を女房へ託す。
「これは」
それを受け取り開いたゆすらは、中から出て来た物に目を瞠った。
「俺の衣だ。初めての場所で迎える最初の夜だというのに、今夜は傍に居ること叶わないからな」
せめて、と言うその衣には鼻腔をくすぐる香が焚きしめられている。
「いい香り・・これは沈・・と、あと何かな」
「俺の好きな組み合わせだ。今度教えてやる」
「ほんと!?」
「ああ。それに、そうやって話す方が俺は好きだ」
嬉しそうに言うゆすらに頷き、彰鷹はもっと砕けた話し方をと望む。
「でも」
自分付きの女房とはいえ、信頼していい相手か見極める必要もありそうな存在もある、とゆすらが周りを見渡せば、その意志を明確に読み取った彰鷹が朗らかに笑った。
「なら命令だ。俺と話す時は、砕けた物言いをすること。いいな?」
「もう」
言いつつ、肩から力が抜けるように笑ったゆすらに彰鷹が更なる望みを口にした。
「俺にもゆすらの衣、は無理でも何かゆすらを思い出させるものをくれないか?」
「え?」
「ゆすらが近くに居るのが分かっているのに、俺も今夜はひとり寝だからな。よすがが欲しい」
言われ、ゆすらは懸命に考えるも、早々いい案など浮かぶ筈も無く、無難に扇を渡すこととした。
「これでいい?」
「ああ。香も焚きしめてあって、いいな」
無難過ぎて申し訳ないゆすらと対照に彰鷹はとても喜び、大切そうに懐へと仕舞う。
「あ、あの彰鷹様。こちらへいらしてくださるときは、その、先触れをしていただきたくて、ですね」
隣の小笹に耳打ちされ、思い切ったようにゆすらが口にした言葉に彰鷹は眉を顰めた。
「言葉遣い」
「先触れしてから来てほしいな、って」
「先触れな。思ったのだが気が急いて来てしまった。気に障ったなら、次からは気をつけよう」
自分に言い聞かせるように頷く彰鷹に、ゆすらは思わず膝を進めた。
「気に障ったりはしません。でも、彰鷹様への周りの評価が悪くなってしまったらどうするんですか。ほんと、気をつけないと」
「俺の心配か。嬉しいな」
心底嬉しそうな彰鷹に、ゆすらは益々心配を募らせる。
「喜んでいる場合ですか。ほんとにもう。それに、私普段は几帳なんて使っていないんですよ。だから、先触れが無いと用意する時間が」
「ん?今日は?」
先触れが無かったにも関わらず几帳のなかにいるゆすらに、彰鷹が問う。
「今日は何とか間に合ったんです」
「なるほど。間に合わなければ、几帳無しで会えるのか」
「彰鷹様!」
それはいいことを聞いた、という彰鷹にゆすらは思わず声をあげた。
「考えてもみろ。俺たちは誰より近しい存在となるんだぞ?いいじゃないか、几帳なんて置かずとも。よし、今後、俺と会う時に几帳や御簾は無し。いいな?」
「いいな、って」
「安心しろ。俺以外の人間が来る時は、きちんと先触れを出すから」
「もう。約束ですからね」
「ああ。約束だ。なんかいいな、約束」
呆れたようにゆすらが言っても、彰鷹は嬉しそうでゆすらも毒気を抜かれてしまう。
「あと、供の方もきちんとお連れに、って。そういえば、ここへ来ること他の方には?」
「大丈夫だ。流石に言って来た。誰も来るなとも言ったがな」
「呆れた」
「水干姿で歩く姫に似合いの男だろう」
ああ言えばこう言う。
そんな感じで会話は弾み、やがて彰鷹は後ろ髪惹かれる様子で戻って行った。
「良かったです。私、今宵なし崩しに姫様を寝所に召されるおつもりなのかとはらはらしてしまいましたが、殊の外大切に想われるがゆえの行動でいらしたのですね」
彰鷹が去った後、小笹はそう言って心から安堵したように肩から力を抜いた。
「そんな心配をしていたのね」
だから、あれほど緊張していたのか、とゆすらは彰鷹から渡された衣を見つめる。
「はい。そうなれば、姫様は軽んじられてしまいますから」
この後宮で、初手から悪手を取ればどうなるかなど、火を見るより明らかだと小笹は身震いした。
「心配してくれてありがとう。でも、あれよね。お返しに渡したのが扇って、ほんと芸がないわよね」
今思っても遠い目になる、とゆすらが言えば小笹も薄く笑う。
「ですが、衣をお返しする訳にもいきませんでしょう?」
後朝に衣を交換する。
そんな古よりの風習を匂わせる小笹に、ゆすらは真っ赤になった。
ありがとうございました。




