表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
比翼連理  作者: 夏芭
1/28







「ゆすら。お前は、また・・・」


 その部屋に通されたなりため息吐いた千尋の目に見えるのは、桜萌黄(さくらもえぎ)小袿(こうちぎ)を纏った姫君。


 長く美しい髪がまろやかな頬を彩い、紅をさしたかのように色鮮やかな口元が目を引く、左大臣を兄に持つ深窓の姫君。


 であるならば。


 元服を終え、少将という位を得て出仕している千尋の来訪の知らせのあった段階で、当然御簾の奥に居るべきゆすらはしかし、散乱する書物や絵巻物に囲まれ、幸せそうに部屋の中心に座っていた。


 そんな、座る姿も美しい幼馴染を見て、千尋は深く長いため息を吐く。




 ゆすらが突飛過ぎるのか。


 俺がまったく男扱いされていないだけなのか。




 恐らく両方かと思えば、幼い頃よりゆすらを一途に想ってきた千尋としては、もう一度深いため息を吐きたくもなろうというもの。


「あ、千尋くんいらっしゃい」


 しかしゆすらは千尋の複雑さに気づく様子も無く、子どもの頃と変わらない笑顔で入室する千尋を迎えた。




 ゆすらに会うから、って衣装にも気合入れたし、香だって拘ったのにこの無関心さ。




 宮中ではそれなりに女房達に騒がれるのに、と千尋は恨めしくゆすらを見る。


 右大臣家の嫡男として生まれ、元服と同時に出仕して順調に出世し、今では薬師少将(くすしのしょうしょう)という呼び名を貰うまでになった。


 同僚たちのなかでも出世頭の注目株として、宮中や招かれる様々な屋敷で女房達に騒がれることもある千尋に対し、ここまで無頓着なのはゆすらだけ。




 いや、無頓着、ではないな。




 思い、千尋は自らの考えを即座に否定した。


 ゆすらは、もしも千尋の身に何か起これば心底案じてくれるだろう。


 それは、そう。


 まるで実の兄弟のように。


 つまりは、そういうことなのだ。




 ゆすらが千尋へ抱いている思い。


 千尋がゆすらへ抱いている想い。




 その決定的な違い。


 着飾った女房達に自分の容姿を褒められる度、切れ長の瞳が涼しいと言われる度、千尋はこの相手がゆすらであったならどれほど嬉しいだろうという思いに苛まれる。


 想う相手に想われず、想わぬ相手に想われる。


 この世とは本当に上手くいかないものと、いっそ自分の気持ちを直接告げたい思いで千尋は改めてゆすらを見た。


「お前は、本当に読み物が好きだな」


 それでも、書物や絵巻物を前に楽し気なゆすらを見ていれば、邪な自分の感情などどうでもいいことのように思えて来るし、何よりゆすらとの関係が壊れることが怖くて、それを言葉にすることは出来ない。


 故に今日も己の複雑な思いはすべて仕舞い、苦笑を浮かべつつ千尋はゆすらが手にする絵巻物へと視線を向ける。


「今日は王朝ものか」


 その絵から判じて、千尋はゆすらから少し離れた場所に腰を下ろした。 


 その前に、すぐさま運ばれて来る干菓子。


 それが千尋の好物だと、この屋敷の女房達は心得ている。


「ね、千尋くん。帝のおわす御座所って、どんな感じ?」


 帝のおわす御座所。


 いかな左大臣家の姫とはいえ、その建物、敷地にすら入った事の無いゆすらは想像するしかない。


 高貴な身分とはいえ、姫である以上、出仕でもしなければ見る事も無いゆすらは、経験者であろう千尋に期待の目を向けた。


「どんな、と言われても・・・」


 向けられる瞳に高鳴る胸を抑えつつ、千尋はそっと視線を逸らす。


「そうだな。通常の御政務の折と、ご自室ではまた赴きも異なる」


 左近少将として帝の私室に控える事もある千尋は、当然ゆすらの切望する景色を見てはいるが、そう容易く帝の住まいについて口にするわけにもいかず、少し濁したものの言い方をした。


「やっぱり、そう簡単に口にしちゃだめってことかあ。でも、千尋くんは幾度も入室を許されているって兄様(あにさま)が言ってたもの。いいなあ。私も見てみたい」


 心底、いいなあ、と思っているらしいゆすらを見て、千尋は内心ため息を吐いた。


 左大臣家、唯一の姫であるゆすら。


 現左大臣である日垣(ひがき)は未婚で実子がおらず、妹であるゆすらを正式な養子としている。


 であれば。




 見ること、あるかも知れないじゃないか。


 それも、一番奥深く、私的なものを。




 心のなか、千尋は呟くようにそう思う。


 左大臣家という高貴な家柄の姫。


 そして、今の帝にはゆすらと年の合う皇子がふたり居る。


 そこから導き出せる答えなどひとつしかない。


 入内(じゅだい)


 その言葉を、千尋は辛く受け止める。


 それでも、ゆすらに見合う年頃の皇子がふたり居た事は救いだったと千尋は思っている。


 ふたりの皇子が春宮(とうぐう)の座を争っている今、人徳高いことで知られる日垣も当然のようにその渦中に居る。


 しかし政を担う者として、また政権を掌握している一族の長として、どちらの皇子を春宮に推すのか、日垣は未だ明言していない。


 第一皇子でありながら、母の出自が政治的には力の無い宮家であるが為、冷遇されて育った彰鷹(あきたか)


 そして、母が政治的権力の中心にある内大臣家を持つ第二皇子鷹継(たかつぐ)


 どちらにゆすらを嫁がせるか、それをもって日垣は己の意志を示すのだろう。


 いずれの皇子を皇太子に推すのか。




 そうだ。


 どの道、ゆすらは・・・。




 千尋の心を覆う暗雲。


 高い位の姫がいて、その年齢に見合う皇子達が居る。


 であれば、己が何を言う前に、すべては決まってしまっている。




 ゆすら。




 切なく見つめる視線の先に、楽し気に絵巻物を見つめるゆすらが居る。


 幼さから抜けだしつつあるその姿はたおやかで、匂い立つようだと千尋は思う。


 この都の、どんな評判の姫よりも愛らしく美しく思える大切な存在。


 元服前、千尋は出仕して一人前になったら、ゆすらを北の方に迎えられると信じていた。


 右大臣家と左大臣家。


 これほどの釣り合いは無いと思え、この恋は叶うのだとずっと疑う事も無かった。


 しかし。


「不思議なものだな。これだけ長い付き合いなのに、俺はお前の隠し名を知らない」


 呟けば、感じるのはふたりの間に立ちふさがる壁。


「いやだな、千尋くん。そんなの当たり前でしょ。隠し名は親兄弟と終生を共にする相手にしか教えない、大切で特別なものなんだから」


 そして、それを当たり前だと言って笑うゆすらの残酷さ。




 ゆすら。


 俺はお前に俺の隠し名を告げたかったし、お前の隠し名を知りたかったよ。




 告げられない言葉を痛む胸に隠し、千尋は話題を変えるべく笑顔を見せた。


「ところでゆすら。左大臣様は、春宮となるべき方について何か仰っていないか?」


 次の春宮に相応しいのは第一皇子か第二皇子か。


 慎重に熟考してきたそれにそろそろ結論を出す頃合いの筈、つまりはいよいよゆすらの入内が決まるのでは、と深刻な面持ちで聞く千尋に、ゆすらは楽しそうな笑みを浮かべた。


「左大臣様、って。この屋敷に居るときは、昔みたいに名前で呼んでいい、って言われているのに」


 くすくす笑うゆすらもまた可愛く、引っかかって欲しいのはそこでは無いと千尋は切に思う。


「莫迦を言うな。子供の頃ならいざ知らず、今となっては呼ぶ訳にいかないだろう・・・それより、ゆすら。左大臣様から、何か聞いていないか?はぐらかすなよ?お前の将来に関わることだ」


 判っていてはぐらかす。


 そんな有り様をよく知っている千尋は、あらかじめゆすらの退路をきれいに塞ぐ。


「ああ。私の将来に関わること、ね」


 絵巻物を広げたまま、ゆすらは遠くを見る目で庭を見つめた。


 御簾も無いそこから外はとてもよく見えて、萌える緑が目に優しい。


入内(じゅだい)、するんだって」


 すとん、と表情を消し、それが当然の義務であるように音にした唇。


「やはり。いよいよ、か」


 無意識に呟いた千尋は、暗雲が完全に己の世界を覆うのを感じた。


 予想していた言葉。


 それでも、心がざわめく。


「それで?どちらの、皇子に?」


 尋ねる声は頼り無く、掠れてしまいそうになるのを懸命に堪えた。


 吹く風にゆすらの、そして自分の衣の袖が揺れる。


 それは温かく柔らかなのに、千尋の心には氷の嵐の如く凍てついたものに感じられた。


「それは未だ言われていない、けど」


 真っ直ぐに見詰めてくるゆすらの瞳が、千尋の心を射抜く。


「ね、千尋くん。宮中に行ったら、流石にこんな風には会えないよね。千尋くんはせいせいするかもしれないけど、私は寂しいな」


 呟くように言ったゆすらの言葉に、千尋こそは寂しさに胸のつぶれる思いがした。


「せいせいなんて、思わない」




 ゆすら




 心のなか呼び続け、求め続ける彼女は今こんなにも近い場所に居るのに、千尋にはその手を伸ばす術が無かった。



ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ