夏のリスカ
窓から見える入道雲に、煩い蝉の声が夏を彩る。
一番窓際の後ろからに二番目の席、差し込む日光が私を照り付ける。
うだるような暑さにつくづく嫌になる。
でも今はそんな暑さも目の前のことを前に忘れ去る。
「転校生を紹介します」
朝のホームルーム、教壇の前には教師とは別に、見知らぬ少女が目線を彷徨わせ挙動不審気味に立っていたのだ。
長く艶やかな黒髪が光の輪をかけ、まんまると大きな瞳はどこか涙目だった。
言われなきゃ同級生だとは思わないだろう低い身長といい、庇護欲をくすぐるような小動物じみた容姿をした少女だ。
「今日からこの学校に転校してきた、あー、自己紹介してもらっていいかい」
「は、はい」
声が上擦り、恥ずかしげに顔をうつむかしていた。
チョークを手に、少女は達筆な字で黒板に名前を書いていく、黒板に擦れたのだろう、長袖の裾が少し白くなっていた。
小さな口を広げ、震えた声で少女は自身の名を名乗る。
「柴崎葵です、よろしくお願いします」
少女、葵に私は見入っていたのだった。
〜〜〜〜〜
初日は心配になる程おどおどしていた葵だったが、何日か経つとだんだんとクラスに馴染み始めたのか、おとなしい、悪く言えば地味な女子のグループと一緒になるようになっていた。
我ながら気色悪いのは承知の上だが、葵さんを見てて気づいたことがある。
常に長袖を着ているのだ、この暑い夏の時期に。
他にも、人が近づくと腕を後ろに隠す仕草をよくとる、意識してなのか無意識なのかわからないが、不審だった。
それで私はある推察を立てる。
もしかしたら葵さんも、私と同じなのかもしれないと、
お盆も明け、ある日の昼食時、少し派手な印象の女子が葵に話しかける。
「ねえ、葵ってなんで夏なのに長袖着てんの?」
その質問に、表情が一瞬にして固まった葵。
「暑くなーい?、脱いじゃいなよ」
声が聞こえただろう他のクラスメイト達も、葵の方を注目している。
「え、あの、」
葵は、おどおどと泣きそうになっていた。
その姿を見ていられず私は、机の脇に掛けたカバンからアレを取り、私は席を立ち葵さんのもとへと進む。
「ねぇ、葵さんちょっといいかな」
「なに山田、うち今話してんだけど」
じろりと睨まれたが構うものか、葵さんは、ぽかんとこちらを見つめていた。
「先生が葵さんにちょっと用事があるから保健室まで来てくれって、ついてきてくれる?」
救いを得たとばかりにうなずく様子に勇気を出してよかったと思う。
「あの、山田さん」
保健室へと二人並んで歩いていると、葵が遠慮がちに話しかけてくる。
「なに?」
「いえ、保健の先生が私を呼んでたんですよね」
「いや、ごめんあれ、嘘なんだ」
「へ?」
ちょうど、保健室の前に着いた。
保健の先生はいないようだったがちょうどいい。
怪訝そうな顔をしている葵に椅子を引き座ってもらい、自身もその正面に座る。
「それじゃ、どうして私を保健室なんかに連れてきたんですか?」
「あー、確かに事実だけ言葉にすると誤解を生むな、とりあえず葵さん」
真剣な顔をして、葵を見つめる。
「は、はい!」
ぴっ、と反射的に背筋を伸ばした葵。
私はもしかしたら、いや、もしかしなくても嫌がることだろう願いを伝える。
覚悟を決め、口を開く。
「腕の袖を、まくってくれないか」
最初はぽかんとした顔をしていた葵が、言葉の意味を理解したのだろう顔色を青く染めた。
「嫌です」
震える声で、拒絶する。
「ど、どうしてそんなことをしなくちゃいけないんですか」
男女二人だけの保健室でセクハラじみたお願いをしたんだ拒否するのは当たり前だろう、だが葵の怯え方は、そんなことを問題にしてるんじゃない。
まるで袖の下に見られたくないものでもあるかのような、悪いことをして怒られるのを恐れるかのようなそんな様子だった。
「そんなお願いするってことは、わかってるんじゃないですか」
「うん、まだ想像でしかないけど」
「なら!、なら、なんでそんな酷いこと」
涙を流す葵の姿は、私に罪悪感を抱かせるに十分だ。
それでも、引くわけにはいかない。
「それでも、見せて欲しいんだ」
真剣に決して目線を合わせ続ける。
「誰にも言わないし、やめろなんて言うつもりもない、ただ教えて欲しいんだ」
ひゅっと息を詰まらせ、瞳孔の開いた葵の目と見つめ合いしばらくの時が流れ。
覚悟を決めたのか、ゆっくりと袖をめくってくれた。
白い腕に、幾つもの白い線や、最近できたであろう赤い線が走っていた。
リスカ痕だ。
「き、気持ち悪いですよね、こんな普通じゃないことしてて」
硬い笑みを浮かべた葵の腕は震えていた。
「そんなことない」
「嘘っっ!!、こんなの気持ち悪いよ、訳分かんなくてぐちゃぐちゃして、普通じゃないよ!?!」
普通じゃない。
腕を切るなんて自傷行為は普通じゃない、異常だ。
でもそれがダメなのか?、異常はダメなのか?、そんなはずない。
僕含めみんな"普通"から離れた異常を持っているはずだから。
「確かに普通じゃない、腕を切るなんてやめた方がいいのは間違いない、でも、それがダメだと私は思わないよ」
「えっ...」
「人間誰しも普通じゃない何かを持ってるはずだから、思想だったり、障害だったり、病気、性癖、性別、趣味、宗教。
皆普通とは離れた異常と、自分なりの付き合い方をしている。
葵さんのそれだって、一生懸命自分の異常と向き合ってる証だ、だから、ダメなはずがないんだ、私もそうだったから」
腕を葵さんの前へと伸ばし肌を擦る、ファンデーションが落ちそれがあらわになった。
「あっ...、これって」
「葵さんとお揃いだね」
葵のより深く数も多い傷跡、最初の頃は隠すのに苦労したものだ。
「私もこんなだったから、葵さんの辛さも少しはわかると思うんだ、それと傷の隠し方も教えてあげたいんだ」
「山田さん、」
そっと葵の腕を取り、ファンデーションをつけていく。
目立っていた傷跡も間近で見ない限り、わからなくなるほど薄く目立たなくなった。
「これで無理して長袖を着なくても済むね」
葵の目から今度は痛みの涙ではなく、喜びの涙が溢れるのだった。
「ありがとう、ございます」
〜終わり〜