救出のその後
部屋を出た私たちを、ピートが当然のように待ち構えていた。
「怪我はヴィクトリア嬢の言う通り擦り傷だった。縫う必要はない。適切に治療を続ければ、時間はかかるが、跡は残らないだろう。私が今後も責任を持って治療するよ」
ピートにヴィクトリア嬢の怪我の説明をする必要もないのだが、聞くまで動きそうにない友人に、私は仕方なく説明した。
ピートは納得したように頷く。ふむ、本当にどういう立ち位置なんだ、こいつは。
ヴィクトリア嬢は不思議そうに私たちを見比べていたが、特に何も言わなかった。
ただ、一言。
「ご配慮感謝します、カラムさん」
と述べたのみだったが、顔を背けた友人の耳が真っ赤になっていたのを、私は見逃さなかった。
照れる友人など、長い付き合いだが初めて見た。
この時の私は、友人にささやかな違和感を感じただけだったが、後にこのことを妻に話した際、だから男性は鈍いのだと大層呆れられたのである。
その日、私と友人は、カラム卿と共にシュラットン家に泊めてもらった。
牢屋暮らしで疲れ果てていた私は、熱い風呂と強い酒、そしてフカフカの布団にあっという間に深い眠りに落ちていた。
翌朝目覚めて、妻に無事を知らせていないことに気付いて青くなったが、シュラットン家の者が昨夜の内に妻に知らせてくれたという。
本当に何から何まで世話になり過ぎている。
遅い目覚めだった私に比べ、カラム卿と友人は早くに起きたようで、私が食堂に案内されると、すでに朝食を終えてシュラットン家の面々とコーヒーで歓談中だった。
強面のカラム卿と仏頂面の友人が、和やかにシュラットン家の団欒に溶け込んでいる様は、不思議な光景だった。
友人は鎮痛剤のお陰で怪我の痛みもないのか、昨日より段違いで顔色が良い。医者としては一安心だが、抜糸が済むまで仕事は厳禁だと、カラム卿に伝えなくては。
老シュラットン卿と、ジムは何やら政治の話に熱中している。客がいてもマイペースなものだ。
ジムの奥方はつわりの真っ最中のようで、レモンの実を齧っていた。私の口の中にも酸っぱさが広がった。
後でつわりの時に効く果実水を教えてあげよう。私の姉が悪阻で苦しんでいた時に、劇的に効果があったものだ。私の患者たちにも概ね好評だった。
「おはようございます、ターナー先生。お疲れは取れましたか?」
髪を結い上げたヴィクトリア嬢が声をかけてくれた。
今日の彼女はフリルと大きめのブローチがあしらわれたシャツと、丈の長い、一見スカートに見える裾の広いズボン姿だった。普通の女性の装いとはいえないが、活動的な彼女にはとても良く似合っていて、美しく華やかだった。
私の視線に気付いたヴィクトリア嬢が、悪戯っぽく笑った。
「この方が蹴りやすいんです」
何をだ?とは聞かない方が賢明だろう。
聞き耳を立てていたのか、ジムが顔を強張らせていた。
彼が妹を怒らせないことを祈ろう。
カラム卿と友人はチラチラとヴィクトリア嬢に視線をやっては、何か話しかけている。
私は女性と歓談する友人という、世にも珍しい光景を目の当たりにしていた。
たとえ内容が、お互いの得意な武術、好みの得物と言ったものでも、側から見ると微笑ましいと言えなくもない。
2人を見つめるカラム卿の目が、獲物を追い詰める猟犬のように見えたのも、錯覚だろう。
私は朝食を戴き、コーヒーを飲んで、カラム卿と友人とともに帰途についた。
ようやく帰った我が家。
妻は飛んできて、私の無事を喜んでくれた。
こんな時の妻は、私や友人を一言も責めたりしない。
心の中は穏やかではなかろうが、王国の仕事を受ける以上、こういった危険が伴うものだと呑み込んでいてくれている。
私は妻を抱きしめ、感謝の言葉を紡ぐ。
妻の側にいると、無事に生きて戻れた喜びを噛みしめることができるのだ。
私が呑気に家で寛いでいる間。
正装したピートとカラム卿が、電光石火の早さでシュラットン家に戻り、ピートとヴィクトリア嬢の婚約をシュラットン家に申し込んだことを知ったのは、それからすぐのことだった。