また一人、囚われてしまいました
それから、数時間経った。
陽が落ちたのだろう。牢屋の中に寒気が入り込み、ピートの顔色がますます悪くなる。
私は上着を脱いで彼に掛ける。シュラットン卿も同じように上着を掛けてくれた。
「ギレット。私を置いて2人で脱出できないか?」
「無茶言うな。君を置いて行くわけないし、牢屋の鍵に見張りがあんなにいては、ここから抜け出すのは不可能だ」
「だが…っ」
「申し訳ありません、ピートさん。私、書類仕事は得意ですが荒事は自信がありません…」
うん、ただ走って逃げ切るのも難しそうだ。
私も昔は徴兵で軍に在籍したことはあるが、軍医としてだし、銃の扱いも人並みだ。荒事専門の悪党共に敵うとも思えない。
「カラム卿を信じて、助けを待つしかない」
ピートは説得を諦めて目を閉じる。
何とか私たち2人だけでも逃したいと思う彼の気持ちは分かるが、少なくとも私は彼を見捨てて逃げる事はできない。彼を見捨てるぐらいなら、彼と共に死ぬことを選ぶ。
彼と行動を共にした時から、覚悟というものはしている。そうでなければ危険な仕事の手伝いなどできないだろう。
何とかまだ年若いシュラットン卿だけでも逃してあげたいが。もしもの時は盾にぐらいはなれるだろうか。
今の私達にできることは、助けが来た時に足手纏いにならないように、体力を温存しておくぐらいだろう。
そうしている間に、シュラットン卿が捕まった時と同じように、扉の向こう側が騒がしくなった。
「お離しになって!」
先程と同じように、屈強な悪党2人に連れてこられたのは、可憐な女性だった。
豊かな黒い髪は艶やかで、宝石のような緑の瞳、美麗な頬の線、華奢だが豊かな胸と細い腰。華美ではないが上品な外歩き用のドレスを纏った、とても美しい女性だった。
「ヴィクトリア!?」
シュラットン卿が女性を見て叫ぶ。知り合いだろうか。
「お兄様っ!」
女性はシュラットン卿を見て駆け寄ろうとしたが、男たちに阻まれる。そして、我々の牢の向かいにある小さな牢に押し込まれた。
女性はシュラットン卿の妹君のようだ。そういえば、髪の色は違うが、どことなく彼と顔立ちが似ている。
しかしシュラットン卿の妹が何故こんなところへ。
「ヴィクトリア!何故ここにいるんだ!」
「も、申し訳ありません、お兄様。私、お兄様の跡をつけていたのです!」
何日も思い詰めたような顔の兄を心配し、ヴィクトリア嬢は兄の跡を付けていたという。その結果、兄が拉致られる場面を目撃。慌てて兄が連れ去られる先を突き止めようと、更に跡をつけ、ある屋敷に連れ込まれるのを見て、どうしようかと屋敷の周りをウロウロしている間に、彼女も捕まってしまったという。
いやはや、勇気のあるお嬢さんである。
しかし、かえって、こちらの弱みが増えてしまった。
いくらシュラットン卿でも、妹が目の前で痛めつけられては、証拠の在り処を隠し続ける事は難しいだろう。
しかも、これだけ美しいお嬢さんだ。
シュラットン卿が証拠の在り処を白状したとしても、悪党共が素直に帰すとは思えない。
お嬢さんを連れてきた悪党共のヤニ下がった顔を見れば、状況は絶望的である。
「綺麗なお嬢さん。もうすぐウチのボスがやって来ますよ。ボスの後で、俺たちとも遊びましょうね〜」
男たちは嫌らしい笑みを浮かべ、下品な笑い声を上げて出て行った。
ボスが来るまで猶予がありそうだが、あまり時間的余裕はない。
「お兄様、ごめんなさいっ…」
お嬢さんは顔を覆って泣き出してしまった。
シュラットン卿は顔を青くして俯いている。
部屋の中はお嬢さんのすすり泣く声だけが聞こえていた。
あぁ、なんとか彼女だけでも助けてあげられないだろうか。
兄の跡をつけるなど淑女の行動とはとても言えないが、その行動理由は兄を心配してのことだ。その結末が悪党共の慰み者にされて殺されるなんて、救われなさすぎる。
私はお嬢さんを助ける術を考え続ける。友人も無表情だが、その明晰な頭脳を駆使して、必死で彼女を助ける方法を模索しているのが分かった。
と、いつの間にか、お嬢さんの泣く声が止まっているのに気づいた。
おや、と思っていると、パッとお嬢さんがこちらを向く。その顔に。涙の痕はなかった。
「行きましたね」
お嬢さんは素早く見張りの方へ目を向ける。扉の向こう側から、人の気配は感じられない。少し離れた場所で見張っているのだろう。
しかし私は驚いた。先ほどまでの弱々しい声とは違い、密やかなお嬢さんの声には張りがあり、全く脅えを感じなかったからだ。
「あの…ヴィクトリア…」
シュラットン卿の顔色が、青を通り越して白い。
力無く、お嬢さんに声を掛ける。
「サリナ義姉さんが心配してましたよ。もうすぐ父親になるのに、何をなさっているんですか?」
お嬢さんがニコニコしながらコチラを見ている。
おぉ、見た目可憐なお嬢さんなんだが、凄く笑顔に迫力があるな。何故か恐怖を感じるぞ。
ピートはお嬢さんの変わり様に、驚いた様に目を見張っている。
シュラットン卿は、顔を痙攣らせて後ずさった。
「妊婦に心労をかけてどうするんですか?内密な仕事なのは分かりますが、せめて一言相談してください」
笑顔なのに背中にゴゴゴッと炎が見える。物凄く怒っているようだ。
「し、心配かけてすいません…」
シュラットン卿は若いがシュラットン家の当主だよな?妹の態度は当主に対するものとは思えぬが。どうやら彼は妹に頭が上がらないらしい。
「兄さん1人かと思いましたが、そちらの方々は?」
矛先がコチラに向いた!
緑の瞳に見つめられ、悪寒が背中を走りぬけた。
「医師のギレット・ターナー氏と、ピート・カラム氏だ」
「あぁ…お噂はかねがね」
お嬢さんは頷いてこちらを見る目を和らげた。
わたしはホッとして身体から力を抜いた。
「愚兄がお世話になっています。妹のヴィクトリア・シュラットンです」
ヴィクトリア嬢は見事な淑女の礼をとる。その美しい所作に、私は暫し見惚れてしまった。
「では、脱出いたしましょうか」
ニコリと美しい笑みを浮かべ、ヴィクトリア嬢はそんな事を言い出した。