囚われの身となりました
ここに囚われてどれぐらいの時間が経っただろう。
ある屋敷の地下に作られた牢の中。
壁から水が滴り、カビ臭い匂いがしている。ネズミや正体を知りたくない虫らしきものが走り回り、衛生的とはお世辞にもいえない環境だ。
食事が日に2度運ばれてくるので、まだ3日ぐらいだと思うが、早く抜け出して熱い風呂と強い酒が欲しい。
「ピート、大丈夫か?」
傍の友人に声を掛ける。足を負傷した彼に、一刻も早く適切な治療を施したいが、頑丈な檻の中で、充分な器具もない。医者として肌身離さず持ち歩いている最低限の器具で応急処置を施しただけだ。早くちゃんと処置をしないと、感染症の心配がある。
「私は大丈夫だ。ギレット、本当に巻き込んで済まない」
友人はもう何度目になるか分からない謝罪を口にした。
「君の奥方も、心配しているだろう。本当にすまない」
私の妻は優しい人だ。夫が3日も連絡も無く戻らなければ、心配をしているだろう。しかしピートと共に行動していると知れば、仕方ないと思ってくれるかもしれない。
友人のピートは、王国に関わる仕事をしている。といっても、正式に雇われているわけではなく、王国の中枢で働く彼の兄からの依頼で、国のお偉いさんの厄介事の解決や犯罪組織の壊滅などに関わっている。友人である私も偶に手伝わされる。
私はしがない善良な唯の医者であるが、彼の仕事は面白いことが多いので、喜んで巻き込まれているのだが。
今回の件は、友人の仕事が絡んでいるようだが、私は関わっていなかった。
久しぶりに友人と食事をしようと、共にレストランに向かう途中、馬車から出てきた男たちに取り囲まれ、反撃する間も無く頭を殴られ気を失い、気がついたらここにいた。
一緒に拉致られた友人の言によると、相手は現在探っている大きな犯罪組織であり、まだ内偵段階だったが逆にこちらの動きがバレてしまっていたのだろうと。
王国の内部に密通者がいると当たりをつけていたが、相手の動きがこちらより早く、友人と私は捕まってしまったのだという。
我々が殺されもせずに捕まっているのは王国の内通者が引き上げるまでの保険であり、内通者の安全が確保されれば処分されるだろう。
長い付き合いで誤魔化しの利かない間柄なので、友人は馬鹿正直に我々の状況を教えてくれた。
その信頼は有り難いが、もう少し歯に衣を着せてもいいと思う。私は明日をも知れぬ命と知って、結構、動揺しているのだ。
しかし諦めてはいない。私たちの不在を友人の兄が知れば動いてくれるだろう。友人も、その可能性には言及していた。問題は、間に合うかという点だけだ。
私はもう一点心配なことがあった。友人の足の怪我だ。
拉致られた時に抵抗した友人は、ヤツらに左足を刺され、負傷した。止血をしたが、あれは縫う必要がある。痛みも相当だろうし、いつも快活な彼の顔は、血の気が引いて青白くなっている。助けが来た時、満足に動けるかどうか。
無理にでも脱出してしまいたいところだが、牢屋の作りは頑丈で、おまけに牢屋の外には常に見張りがいる。悪党のくせにサボりもせずに交代で見張りを勤めているので、隙がない。友人が元気で、牢屋の鍵さえなんとかなれば力ずくでの脱出も可能かもしれないが、怪我人を抱えて私一人で戦うのは分が悪すぎる。
そんなことを悶々と考えていると、外が何やら騒がしくなった。
この3日間、食事が運ばれてくることと、見張りが交代すること以外動きがなかったので、何事かと我々は身体を強張らせた。
「私にこんなことをして、どうなるか分かっているのか!」
騒々しい若い男が、2人の屈強な男達に抱えられて、我々の牢屋に運ばれてきた。年は25、6といったところか。薄い金髪と緑の瞳の、なかなかの美青年だった。
青年は我々と同じ牢の中に放り込まれた。文字通り放り込まれて、背中をしたたかに床に打ち付けていた。痛そうだ。
「まあまあ、シュラットン卿。ボスがきたらお話し致しますから、ゆっくりここでお待ち下さい」
男たちの1人が、ニヤニヤして牢の鍵を閉めた。そしてシュラットン卿と呼ばれた青年には見向きもせずに外に出て行ってしまった。
「くっう」
青年は打ち付けた背中がよほど痛かったのか、うつ伏せになったまま動かない。私は心配になって、青年に声をかけた。
「大丈夫ですか?どこか痛めましたか?私は医者です」
青年はノロノロ顔を上げ、私を見た。
「いえ、大丈夫です。失礼、お騒がせしました」
青年はゆっくりと身体を起こし、悔しそうに顔を歪めている。
「なんと情けない。あんな奴らに捕らえられるなんて」
「一体何があったんですか?」
私が問うと、青年は戸惑ったような視線を向けた。
「失礼ですが、あなたは…」
出会った場所が場所である。青年が戸惑うのも無理はない。
私はピートに視線を向けた。彼は無言で頷く。む、先程よりまた顔色が悪くなっている。
「私はギレット・ターナー。シラスナ通りで医者をしています。そちらの彼はピート・カラム」
「ピート・カラムさん?では、カラム卿の弟君!失礼しました、私、ジム・シュラットンと申します」
ピートの兄のカラム卿を知っているということは、身分のある方なのだろう。そういえば悪党共がシュラットン卿と呼んでいた。
「シュラットン卿といえば、最近爵位を継がれたばかりでしたね。財務部にお勤めでしたか?」
ピートが力ない声で呟く。ああ、本当に具合が悪そうだ。
「はい、父が隠居しまして。カラム卿には大変お世話になっています」
「兄からなかなか真面目な方だと聞いていますよ。しかし、あのような者たちに捕われるとは、どうなさったんですか?」
「それが…」
シュラットン卿の話によると、財務部に勤める彼は、ある重臣の関わる事業に不正があることに気づき、カラム卿に相談しながら密かに調査をしていたという。
なかなか調査は進まなかったが、書類を綿密に見直していると、証拠となりうる書類を見つけたという。
さっそくその証拠を元に重臣を追い詰めようとしたが、逆に彼は捕まってしまった。証拠の書類は彼しか知らぬ場所に隠しているのだが、その場所を白状させるために、不正に関わる組織の幹部が直々に彼の取り調べを行うとのこと。
「どんな目に遭おうとも、書類の場所は漏らしません」
シュラットン卿の目には決意が漲っている。
身体つきは荒事に向いていなさそうな細身だが、意志の強そうなその顔は、ピートの兄のカラム卿に見込まれるだけはある。あの御仁は人を見る目が厳しい。全幅の信頼を置いているのは弟のピートぐらいだろう。
「あなたがあの件に関わっている方だったのですか。私も兄から調査を命じられているのです」
しかし中々に厄介なことだ。カラム卿は大事な駒を2人も捕らえられてしまっている。我々はいつ殺されてもおかしくない。
暗澹たる思いで、我々は押し黙った。