山倉タクシー
よーし、それならばその警察をも含めた公的機関への、意趣返しのようなつもりで私は生活保護を申請したつもりででもあったのである。なんの引け目もやましさもありはしない…などと強引に自分に云い聞かせてはみたものの、ただ善意の第三者は必ずしもそうは思わないだろう…などとも思う。しかしとにかく…そんなことを云ってみても始まらない。申請は却下されたのだし、ぼちぼちとでも家に帰らねばならない。私は〝蟻の街のマリア公園〟を出でて浅草駅へと歩き出した。途上行き交う勤め帰りのサラリーや若者たちが「プータロー」と何人でも罵って行ってくれる。勝手にしやがれだ。吾妻橋を渡り右下に浅草水上バスの船着き場を見る辺りで自然に右手が胸のポケットに伸びた。いつもの癖で電車に乗る前にタバコを吸おうとしたのだ。今日日全面禁煙の都内のこと、どこら辺りで隠れて吸えばいいかなどと水上バスの敷地辺りに身を向けた為、ちょうど車道側に身を向けた形となり、胸に上げた手を勘違いされてしまったようだ。するすると一台のタクシーが目の前に来て停まる。「ちっ、よせよ」とばかり舌打ちして慌てて右手を左右に振る。自慢じゃないがタクシーなどというものはここ何十年来使ったことがない、もっぱらバスかテクシー専門の身だ。使う分けがないではないか。ところがそのタクシーは停車したままで立ち去ろうとせず、あろうことかこちら側の窓をスルスルと下げ始めた。野郎、俺に文句でも云うつもりかと些かでも眼をすわらせて窓から覗くだろう運転手の顔を待つ。バザーを点滅させて運転手席からこちら側に上体をずらせた男の表情はしかし意外なものだった。掛けていたマスクを下にさげたその顔にはどこか既視感がある。はて…と思いをめぐらす間もなく運転手が声をかけて来た。