姉の友達の家族
「へえ……水瀬さんの家って、ウチから割と近いんですね」
「お、おう……つーか、あんま驚くなよ……」
「どういう意味ですか?」
「見りゃわかる」
水瀬さんの口ぶりからして、そろそろ着くのだろうかと思い、緊張やら期待やらが入り交じった気分になり始めると、水瀬さんがピタリと足を止めた。
「……ほら、ここだ」
「え?ここ、ですか?」
目の前にある建物は、まあ何と言うか……オンボロアパートという表現で、多くの人が思い浮かべるような物だった。
木製の古びた壁なんかは、ラグビー部の連中がタックルをすれば、一発で穴が空きそうだ。
そんなアパートをじっと見ていると、水瀬さんは気まずそうに頬をかきながら呟いた。
「ああ、まあ、あれだ。ウチは色々あってこういうとこに住んでんだ。それで、お前に特売の時、手伝ってもらってたんだよ。その、悪かったな。二回も付き合わせて……」
「……別にいいですよ。それより、特売ある時はまた呼んでください。手伝いますんで」
「い、いいのか?」
「ええ。ほら、何て言いますか……水瀬さんは姉さんの友達だし、ああいうのもゲーム感覚でやれば割と楽しいというか……」
「お前、いい奴だな!!」
「っ!?」
いきなり肩をぐっと組まれて、心臓の鼓動が跳ね上がる。いや、俺はこれまで女子とこんな接触はあまりしてきてないと言いますか、てか意外なくらい甘い香りと、柔らかな感触が、ふわふわしていて、くらくらしそうになるくらいやばい……!
「よしっ!大したもてなしはできないけど、茶でも飲んでいってくれ!」
「えっ!?あ、いや、ちょっ、くるしっ……!」
甘い香りと柔らかな感触のコンボから一転、今度は締め落とされるような気分になりながら、俺は引きずられていった。
*******
「ただいまー!」
水瀬さんが、やたら元気に、周りの壁とは対照的に頑丈そうなドアを開けると、中からドタバタと足音が聞こえてきた。
「姉ちゃん、おかえりー!」
「おかえりー!」
「おいおい、そんな走るんじゃねえよっ。危ねえだろ?」
まだ幼稚園児くらいの男の子と女の子のタックルを水瀬さんは容易く受け止めながら、やんわり嗜めていた。
その横顔はなんだかとても優しく見えて、つい頬が緩んでしまう。
そして、自然と口を開いた。
「お子さんいたんですね」
「よし、お前表出ろ。今なら鳩尾一発で許してやる」
「ご、ごめんなさい。冗談です……お約束というか」
「ったく、どんなお約束だっての。ほら、秀、千花、挨拶」
「「…………」」
水瀬さんの弟と妹は、こちらを見て固まった。もしかしたら人見知りするタイプなのかもしれない。
その様子を見て、水瀬さんも首を傾げていた。
「どうした?秀、千花。挨拶は?」
「姉ちゃんが男連れ込んだー!」
「男連れ込んだー!」
「えっ?」
「なぁっ!?」
予想だにしない発言に俺は驚き、水瀬さんはさらに驚いた。
しかも、怒りのせいか顔が紅潮している。や、やばい、また身の危険が……!
「バ、バカ!そんなんじゃないっての!!」
「わー、姉ちゃんが怒ったー!」
「怒ったー!」
「静かに」
今度は水瀬さんを交えてのドタバタが始まると思いきや、冷ややかな声がそれを制した。
声がした方に目を向けると、居間の隅っこで、眼鏡をかけたショートカットの女の子が本を読んでいた。
「周りに迷惑になる。あと姉さん、おかえり」
「おせぇよ、真帆。てか気配消すなよ」
「消してない」
真帆と呼ばれた真ん中の妹は中学生くらいか。服は何故か体操服を着ている。
あと、当たり前かもしれないが、水瀬さん以外は皆髪が黒い。さらに、皆顔立ちが綺麗。なんだ、この一族は。
水瀬さんは、こちらを見て、申し訳なさそうな笑顔を見せた。
「あー……わりぃな、騒がしくて。まあ、とりあえず上がってくれ」
「……お邪魔します」
*******
部屋に上がると、そこは6畳か7畳くらいの小さな和室だった。中央に置かれた丸いちゃぶ台には、カラフルな落書きがされた画用紙が放り出されている。台所もすぐそこにあり、おそらく奥のドアの向こうはトイレで、背後の襖の奥は寝室だろう。
……だが、一番目を引いたのは、角の方にある仏壇だった。
そこに置かれているやたらガタイのいい男性はおそらく……
「お待たせー」
「あ、どうも……」
何故、ジョッキ……ここは焼肉屋か。
とはいえ、喉が渇いていたのは事実なので、つい一気に飲み干してしまう。
そして、そろそろ行こうかな……と考えていると、左右から腕に何かがしがみついてきた。
「え?え?」
「ねえねえ、にーちゃん、遊んで~!」
「遊んで~!」
「こ、こらっ!悪い、こいつら無駄に人懐っこくて……」
「あはは……」
どうしたものかと左右を見ると、キラキラと宝石のように輝く無垢な瞳を向けられている。さらに、奥で読書をしている真帆ちゃんも、こちらをさりげなくチラ見してきた。
……ああ、もうやること決まったわ。
「……いや、大丈夫ですよ。別にこの後予定もないんで」
*******
陽がだいぶ傾いた頃、俺はふらふらした足取りでアパートの前に立っていた。あの後、秀と千花が結構なついてくれたのは嬉しい。めちゃくちゃ疲れたけど……。
ちなみに水瀬さんは、わざわざ外まで見送りに来てくれている。
「ふぅ……」
「悪かったな。こんな時間まで……」
「いえ、全然平気です……ただ、久々に鬼ごっこ、かくれんぼ、缶けりをメドレーでやったので、疲れてるだけです」
「この礼は必ずするよ」
「いえ、そんな……」
「いいからいいから。お前みたいなのが家族にいたら、もっと面白いんだろうな」
「え?」
彼女はさらりと言ったが、言われてる側としては、どうしても戸惑うわけで……。
それに気づいたのか、彼女は急に慌てだした。
「べ、別に変な意味じゃねえよ、バーカ!」
「は、はい!」
そんなやりとりの間も、夕陽に照らされた金髪は、華やかな輝きを撒き散らし、優しい風に揺れている。
その眩しさは、しばらくの間瞼の裏に焼き付いていた。
「それじゃあ、また今度」
「おう、気をつけて帰れよ」
笑顔で手を振る彼女を見ていると、出会った当初に怖がっていた自分が馬鹿みたいに思えた。
そして、帰り道はそんな穏やかな気持ちに溢れていた。
まるで、嵐の前の静けさのような……
*******
「今度お礼にコーヒーでも奢るかな。直登の奴、空いてりゃいいんだけど」
「寂しいなぁ。あっ、そうだ!明日、お兄さんに会いに行こうかな」