第8話 囚われの貴公子様 6
ダイアスは道なりに進んで、やがて教会のふもと、針葉樹が並ぶ暗い林の前まで来た。
ずいぶんと村の外れに来た。
この辺りも木を切ってしまったのか切り株だらけだったが、まだ黒々とした林が残されていた。
林の前には川が流れ、教会の下の崖を通って村の農業用水池へと注いでいた。川幅は狭く、普段の水かさは大したことないのだろうが、今は山麓から流れ出した雪解け水で増水しているようだった。ごうごうと音を立てて下流へと流れていく。
その上に小さな橋が架かっていた。
教会へ行くにはここを渡り林を抜けて、その先にある坂を上がっていくらしい。
この林をずっとまっすぐ北に行けば、明日からのダイアスの仕事場エーテル鉱山もある。
しかし林の入り口まで来たところで、ダイアスは一瞬中に入るのを躊躇った。
人っ子一人通らない道は林の影に包まれて暗く、不気味な感じがしていた。
本当にあの先に鉱山労働者たちがいるのだろうか?
気になったが、歩くと結構かかりそうなので鉱山の見学はやめておいた。
教会のほうなら近いだろう。
歩き出してダイアスは、なんて所に踏み込んだものだろうと内心後悔した。
しばらく行くと分かれ道になっていた。
一方はそのまままっすぐ林の奥へと伸びていく道。そしてもう一方は緩やかな坂道。
坂道のほうが教会へと上っていく道だろう。
その二股を教会のほうへと木々に囲まれた坂を上っていく。
高い木々の隙間から、何か分からないがときどき鳥の鳴き声が響いた。
しばらく歩くと、林の出口に教会の庭園が広がった。
「うわ、でかー……」
間近で見る教会に、ダイアスは思わずつぶやいていた。
白亜にそびえる、ルム教の教会。サン・エーテル。
その先は崖になっているようだった。
柵も何もない。下は多分川だろう。
まあ、あんな所には誰も近付かないだろうが。
ルムはこの大陸のほとんどの人間が信奉する一大宗教で、その総本山が、今この国と停戦中の聖都『サクラミア』だ。
この国――王都『クラウン』とは、海峡を挟んで北西に位置し、歴史的に何度も干戈を交えてきた。
元は一つの国だった二都は戦を原因に分かれ、周辺の他の都市を巻き込んで今では独立した国同士のように歩んでいた。
そして聖都の人々は、王都の支配が及ぶ地域すべてを『王都側』、王都の人々は、聖都の支配が及ぶ地域を『聖都側』と、それぞれ簡略化して呼ぶのだ。
聖都の政治のすべては、そこに本拠地を持つ『大教会』が決定していると言われている。
議会は存在するが形ばかりのもので、教会の意見を政治に反映するだけの機能しかないらしい。世襲の国王を中心に存在する王都とは、聖職を支配者にいただく点が異なる。
教会の頂点は、代々人間とは異なる不思議な力を持った『熾天宮』と呼ばれる存在が務めるというが、本当かどうかは分からない。
一説には、戦の優劣を決めてしまうほどの力を持つとも言われるが、ダイアスが生きてきたうちにその力とやらが発揮された形跡はない。
戦争はいつでも両者の泥沼状態で、国民に厭戦気分を振りまきながら長引いた。
以前はお互い敵同士と睨み合っていたが、今ではそれも薄れてきて、それなりに人の往来もあった。貧しいこの国を捨てて、職を探しに聖都側に渡る者も多い。
王政も、今は聖都に対処するより国内の反乱に対処するほうが急務となっていた。
聖堂の屋根には巨大な尖塔が立ち、鈍色の釣鐘を守っていた。
聖堂だけではない。教会に付属して巨大な宿泊施設まであった。
やはりこの辺境の村には場違いなほど立派な教会だ。庭園も広い。
整然と刈り込まれた植え込みの花木の上を、青いアゲハ蝶が飛んでいる。
村はそれほど裕福ではなさそうだが、教会の権威の賜物かここだけはやたら綺麗に整備されていた。
どうしよう。中に入れば誰かと鉢合わせるだろうか。
そう言えば明日には結婚式があるのだ。
関係者に見つからないうちに引っ込んだほうがいいかも知れない。
ダイアスはきびすを返し、教会に背を向けようとした。
……遠慮がちなオルガンの音が聞こえてきたのは、そのときだった。