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第7話 囚われの貴公子様 5

 窓の外を、青い蝶が飛んでいく。


 それを窓の内側から眺めて、青年は一人ため息をついた。

 蝶はひらひらと、陽光を照り返す輝きで舞い踊る。教会の庭の花木の上を、目的も定めないようにゆったり飛んでいた。

 その軌跡を目で追いながら、青年は一通の紙片を指で撫でる。

 明日の式の下準備も終わり。

 一連の流れを説明されたあと、エリオスは執事も追い出して一人で過ごしていた。


 付き添う者も少なく、護衛の兵士もそこそこ。

 後は祭壇の前で夫婦の証を立てるだけの簡単な式だ。

 後はただ明日を待つだけだった。


 あてがわれた部屋には教会の宿舎らしく極めて質素なテーブルと椅子、ベッドがあるだけ。

 そしてその隅には故郷の館から持ち出したわずかな荷物と、明日の衣装。

 数日後にはそのわずかな荷物を持って海を渡るのだ。古参の執事も置いて、見知らぬ土地へ一人で。

 ……行くのは自分一人でいいと、その願いをあの策略家は聞いてくれたのだから。


 紙片を開いて、そこに記された差出人の名を指でなぞる。

 しかしこれにエリオスが返す返事はない。

 そう、なるべく見知った者を巻きこまぬように。それがせめてもの……。


 思考に沈んでいると、不意にコンコンとドアがノックされた。


「エリオス、ここにいたのね」


 扉の向こうから、輝かしい笑顔がのぞいた。

 そのまま小柄な女性が部屋の中へと滑り込んでくる。

 簡素だが洗練された、流行のドレープスカートの裾が踊った。


 入ってきた美しい女性に、青年は顔を上げて答える。


「……ああ、リア」

「私も見てきたけれど、素晴らしい教会だわ。ご一緒に散歩でもどう?」


 リアと呼ばれた女性は背中のなかほどもある栗色の髪を揺らしながら、楽しげにエリオスに手を差し出した。


 明日には晴れて伴侶となる、一つ年上の聖都の令嬢。

 エリオスが生まれたときからの政略結婚の許嫁。

 それがこのリアという女性だった。

 しかし彼女は政略結婚を厭うことなく、むしろこの結婚に積極的でいてくれた。


 エリオスより一日早くこの教会にたどり着いていた彼女は、一通り建物を観察し終えているようだった。

 快活に微笑むリアに、青年はさっきまでの沈んだ瞳を隠す。

 そして貴公子然とした、整った笑みを浮かべてみせた。


「いいよ。明日は色々と忙しいだろうから、今のうちに一緒に見てまわろう。君はこういう、古い建物が好きだったよね」

「ええ! 聖都でもこのエーテル教会は有名なのよ。私の曾曾祖母様も、ここで式を挙げられたとか。だから、ぜひ一度来てみたかったの」

「そっか。遠い所をわざわざ来てもらって悪いと思ってたんだ。そう言ってくれると嬉しいよ」


 目を輝かせるリアに、「さあ、行こうか」とエリオスが手を差し出す。

 そのときだった。


「ここにいらっしゃったか、リア嬢」

「まあ、ガルス公!」


 突然ドアの外から顔をのぞかせた老臣に、リアが振り返る。エリオスは思わず、差し出しかけていた手を引いていた。


 リアの後ろには老臣ガルスが立っていた。


「おおっと、これはすまんな、二人きりのところを邪魔してしまって」


 ガルスは扉で半分顔を隠して、おどけたように笑ってみせる。

 いまだ無邪気な様子で、少女はその老臣へと近づいた。


「ガルス公。どうかされたのですか?」 

「ああ、これこれ、いけませんぞリア嬢。そんなに大声で名前を呼んでは、教会の者達に素性がばれてしまう。私は一応忍びでここに参っているのですから」


 にこにこと老人が答えると、リアは慌てて自らの口に手を当てた。


「そうでしたわね。すみません、公」


 それから小声になると、嬉しそうに微笑む。


「でも、公が参列してくださるなんて光栄ですわ。王都のこともあって、お忙しいときでしょうに」

「なあに、雑多なことは部下に任せてある。今はこの通り、私はただの暇を持て余した老人じゃ」


 そして暇な老人は、いかにも申し訳なさそうに白い眉尻を下げた。


「それより二人ともすまぬな。両家の親族もそろわぬのに、式を急がせてしまって」

「いいのです。式は向こうでも行いますし」

「ああ、そうであったな」

「それより、何か私達にご用だったのですか?」

「いや、リア嬢だけでいい。明日の式のことで少しな」

「分かりました。応接間にお茶をいれてもらいましょう」


 どうやら老臣は花嫁だけに用があるらしい。


 穏やかに話し込む二人を前に、エリオスは陰る瞳を伏せた。

 許婚に差し出しかけていた手は、いまや完全に引かれていた。


 そんな青年に、リアが振り返って笑いかける。


「じゃあ行ってくるわね、エリオス。また後でお部屋を訪ねるわ」

「うん。待ってるよ」

「ええ。……ああ、そうだわ!」


 そして何か思い出したのか、去り際の淑女はポンと手のひらを打つ。


「聖堂にオルガンが置いてあったの。エリオス、楽器が好きだったでしょう? お部屋にいるより、いい気分転換になると思うわ」

 

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