第6話 囚われの貴公子様 4
することもなく、ダイアスはただ空を仰いでいた。
馬車が揺れる。
そのまましばらく行くと、一際大きな上り坂が見えてきた。
そしてその坂のてっぺんまできたところで、やっと目的地の村が見渡せた。
眼下に現れたのは、山麓を彩る広大な村だった。村全体が山のすそ野の上にあって、緩やかな丘陵に石造りの民家が立ち並び、その間を畑がうめている。
西の奥には放牧を行う牧草地が広がり、村の背にあたる北側は高くそびえる峻険な山々に守られていた。あの中にダイアスの目指す鉱山もあるのだろう。
そして、
「うわさ通り、大きな教会ね」
「ああ。この村唯一の名所じゃな」
村の東の丘の上には、例の有名な教会がのどかな集落を見下ろしていた。
サン・エーテル教会。
田舎の村には不釣り合いな巨大な木造建築が、どっしりと丘の上にたたずんでいる。まさに村の象徴といった感じだった。
村の名前もあの教会からとって、『エーテル村』にしたほどらしい。
そのエーテル村の中へと、トンガリは馬車を進めていく。
それにしても本当に辺境の村だった。
ここに至る道も、どうやらダイアス達が来た一本しかついていないようだ。
村の向こう側は山々が連なっているため、出口はない。
あの山脈にこの国の北側は守られているのだ。
村の真ん中には一本大きな道が貫くだけ。その道の周りに、家々と、小さな酒場と宿がすべて集まっている。
そして一本道の先、村の外側にあるのは黒々とした林。
それが山の麓へつながっているらしい。
鉱山へは、一度あそこに入らねばたどり着けないようだ。教会への道も、あの林の中にあるという。山の麓は木々が密集していて様子がよく分からないが、あそこに鉱山のすべての事業所が集まっているらしい。
鉱山の持ち主は街の資産家で、働いている者も大半は街から連れてきた労働者であるという。
その鉱山までは村から歩いて一時間ほど。村に大きな宿泊施設がなく、労働者たちは鉱山に住み込んでいる。村へは、ときどき酒場での食事と簡単な買い物をするために出てくる程度のようだ。
村を一通り見渡して、ダイアスはため息をついた。
「やっと着いた。ホントにどん詰まりの村ね」
「ははは、すまんのう。さあ、先にお前が今夜泊まるところに案内しておこう。わしはまたすぐ、鉱山に戻るからの」
そうして馬車は、集落へと車輪を進めた。
一本道を轍が走る。
見れば遠くのほうに、畑で作業する村人の姿が見えた。この村の大通りで誰にも出くわさないのは、みな日中の農作業に出ているからだろう。それだけに、村の中は実に静かだった。
明日には貴族の結婚式もあるというのに、村人には別段関わりがないのか祝いの気配もない。
新郎が前日入りするくらいだから、貴族も貴族でさっさと式を挙げて、村人も知らぬ間にさっさと帰っていくのかもしれない。まさに、由緒ある教会だけに用があるといった感じなのだろう。
集落の中は、小さな宿と酒場、開けたところに井戸がある以外は別段注目するところもなかった。
都市に流れる緊張した空気から解放された、実にのどかな場所だ。
物流の輪が村の中で完結しているのか、村から外に出る人もいない。物の売買に携わる人間以外は、完全に自給自足の生活を行っているようだ。
この村の南方の街から約七時間。ここまで長い道のりだった。
馬車は村の真ん中の道をしばらく行ったところにある、小さな宿の前で止まった。
ここが今日のダイアスの宿泊場所になるらしい。
勢いをつけて、ダイアスは馬車から飛び降りた。
ひだ折りのスカートのすそを追って荷台からわらくずが舞う。
トンガリの馬車の荷台には鉱山の仕事に使う道具が積んであるらしいが、雨よけだというわらの束が満載されて、底は見えなくなっていた。
自分は御者台に乗ったまま、トンガリが降りたダイアスを振り返る。
「お前さんは夕飯までゆっくりしているといい。街からここまで、さすがに疲れたじゃろう」
「いいの?」
「ああ。夕飯は宿のとなりの酒場でおごろう。その頃に迎えに来る」
そう言い残して、トンガリは村の真ん中の道を山のほうへと走り去ってしまった。
残されたダイアスは、畑と短い草原に囲まれた田舎の村を見渡して、七時間ぶりに思いっきり体を伸ばした。一定の体勢から解放された肩の骨が小さく鳴る。
開いた首筋をひんやりとした風が吹き抜けて、思わず肩掛けの隙間を引き合わせた。
街に降った雪が完全に溶けて二か月。しかし、まだ風は冷たく、肌寒い日が続いていた。
街からだいぶ北にあるこの村では、その肌寒さも完全な寒さに変わっていた。
奥の山脈もまだ雪をかぶっている。
トンガリには休めと言われたが、このままじっとしているのも退屈だ。陽はまだ高い。
村はいたって普通だが、珍しい大きな教会もある。少し見てきても構わないだろう。
ちょっとした観光に向かうため、ダイアスは宿に一言残して外に出た。
そして先ほどトンガリが走り去ったほうへ、破れかけの靴でゆっくり教会へと歩き出した。