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第4話 囚われの貴公子様 2

 下街の浮浪者ダイアスがトンガリ帽子の御者と出会ったのは、街にかかった朝もやがようやく晴れた頃、街の職業案内所の中でだった。


「――だからって、その仕事がダメな理由にはならないでしょ!」

「だから、この仕事は任せられないって言ってるだろ。さっさと帰った帰った」


 案内所の中に怒声が響く。

 ダイアスはつい先ほど、職の斡旋を無下に断られたところだった。

 そしてその理由を巡って、案内所の係員と対峙していたのだ。

 両手に拳を握ってその場を動かぬダイアス。しかしその声は届かず、まるで邪魔な虫でも払うように、職業案内の係員はひらひらと手を振った。

 どうやらもう話は終わりということらしい。こうなっては最早取り合ってはもらえない。

 ダイアスは諦めて、受付に背を向けた。

 今日も仕事は見つからない。

 以前働いていた工場が閉鎖になって一週間。職業案内所に通い始めて三日。

 ……これで三日連続職にあぶれた。今夜も街角で野宿決定だ。


 肩を落として出口まで向かう彼女を呼び止めたのは、トンガリ帽子を目の上までかぶった怪しげな老人だった。

 一部始終を見ていたらしい彼は、帽子で目元を隠したまま、軽い調子でダイアスに話しかけてきた。


「ずいぶん威勢がよかったな、お嬢さん」

「どうも。結局、職にはありつけなくなっちゃったけどね」

「それは気の毒にな。……ちょっと、係員さんや」


 落ち込むダイアスから視線を外して、突然老人は受付を振り返った。

 ダイアス以外には快く職業を斡旋してくれる古株の係員が、いぶかしげに老人を見る。


「何か、御老人?」

「そこに、エーテル鉱山の人員募集の張り紙が出とるじゃろ? その台帳にもあるはずじゃ。あと一人ほど手が欲しかったのじゃが、それはこのお嬢さんにすることにした」

「……本当にいいのかい? そいつは、」

「根性があって、芯が強そうじゃ。並みの男手より働いてくれるじゃろう」

「まあ、そいつは力だけは強いが……」


 渋る係員に、老人は半ば強引に話をつけた。


「決まりじゃ。どうじゃ、お嬢さん?」




 どうやら老人はエーテル鉱山なる採掘場の関係者だったらしい。

 街の職業案内場に偶然人集めに来ていた彼に雇われて、そして今、ダイアスは馬車に揺られているというわけだ。

 トンガリは正直怪しかったが、職業案内所に出ている求人ならと、彼の申し出に乗っかることにしたのだ。

 人相が分からないほど巨大なトンガリ帽子をかぶったこの男のことを、ダイアスは心の中で『トンガリ』と呼んでいた。

 彼の行き先はこの国の北の果て、エーテル村。その奥に、ダイアスが誘われたエーテル鉱山が存在するという。

 

 まだ詳しいことは分からなかったが、とりあえず数週間の期間を彼の所で雇ってもらうことにした。その間の住居もトンガリが手配してくれるらしい。多くはないが女性労働者もいるということだった。

 そして鉱山に慣れなければ、すぐに街に帰すとも言ってくれた。


 エーテル村まで、トンガリが言うには片道七時間。あくまで鈍馬で旅してその時間だが、街からずいぶん離れている。

 完全に都市から切り離された辺境の村だ。

 仕事でなければ一生縁がなかっただろう。


 一つ伸びをして、ダイアスはまたわらの上に起き上がった。

 あと三時間をどう過ごそうか。

 そんなことを考えていると、道の先の景色が少しだけ変化するのが見えた。

 草だけの平原の途中に、まばらな木立が並び始めていた。

 馬車は道なりにその中へと入っていく。

 細く伸びた幹と痩せた枝葉が、わずかに馬車に注ぐ日光を遮った。

 しかし木と木の間隔は広く、木の群れは森にも林にもなっていない。

 下を見れば、健康に伸びる草木の代わりに、根元のわずか上で切られた切り株が無数に散らばっていた。

 馬車の上からそれを眺めて、ダイアスはわずかに眉をひそめた。


「ここも、街や村の連中に持っていかれたようじゃな」


 御者台からトンガリがつぶやく。

 切り株の海はどこまでも遠く広がっていた。


 ――海峡を挟んで睨み合う二大国家、『王都クラウン』と『聖都サクラミア』。

 そして長く長く続いた、何度目かの『王都』と『聖都』の大戦。その停戦から今や五年。

 ここ王都側の経済力は緩やかに回復しつつあったもの、民衆の貧困に歯止めはかかっていなかった。

 王都からの独立を争って戦った聖都のほうが、今はよっぽど豊かだ。


 長らく王都の支配下にあった聖都が、王都に宣戦布告したのは二十年前。

 多数の国を巻き込んで、両国の交戦は十五年間続いた。

 

 戦時中の貧しさと寒さに耐えかねて、人間が使用する植物は、その再生速度を超えて大量に伐採されていた。このまばらな木立に、その一端がかいま見える。

 森や林ごと、人々は薪にくべてしまったのだ。あとには痩せた切り株だけを残して。

 街からこんなに離れた木立でさえ、その標的になっている。

 横目に流れる切り株の景色を、ダイアスはしばらく黙って眺めていた。


 やがて馬車は木立を抜けて、また草の生い茂る平原へと走り出た。

 そしてそこから向こうは、緑だけの景色に人の気配が混ざり始めていた。

 道の周辺に巨大な畑が広がり、青物野菜と菜種が交互に植え付けられている。

 道も山岳地帯が近くなったためか、のぼりが多くなってきた。

 馬が息を切らして坂を上る。

 しばらく、急な上り坂と短い下り坂が続いた。


 と、不意に後ろからひづめの音が辺りに響き始めた。振り返れば、一台の大きな箱馬車がトンガリの馬車に迫ってくるのが見えていた。

 道端の石ころを蹴り上げながら、馬車はどんどん近付いてくる。あきらかにこちらより速い。

 すれ違うのに十分な道幅がなかったため、トンガリは一旦馬車を草むらに寄せて停まった。少しおいて、その横を後ろから来た馬車が追い越していく。

 意気盛んな馬たちが牽く四頭立て。貴族の馬車だった。

 盗賊を避けたいのか、かなり質素な造りをした馬車だったが、庶民のものとは明らかに違う。一応身分を隠しているつもりかもしれないが、品のいい三人の御者と、質素にしてもなお仕立てのいい車、それをく血統の良さそうな馬のおかげですぐに王都の貴族だと分かる。


 ダイアスは特に関心もなく、少し速度を落として通り過ぎていく馬車を眺めていた。


 ふと、ほんの数秒。


 砂けむりとともに通り過ぎていく馬車の窓に、ちらりと若い男性の姿が見えたような気がした。この馬車と御者たちの主だろうか。


 そして向こうも向こうで何事もなかったように馬車はダイアスたちを追い抜き、あっという間に遥か前方へと走り去ってしまった。


「貴族も落ちたものじゃな。昔は庶民を轢き殺す勢いで走っていたというのに……」


 前を見ながら、誰にともなくトンガリがつぶやく。


 『王都クラウン』と『聖都サクラミア』。

 その戦争が停戦を迎えたのが今から五年前。原因は王都側での民衆蜂起だった。

 絶え間なく続く戦に費やされる金と物質。それは常に民衆から搾り取られた。しかし、食うこともままならぬ貧しさに耐えかねた人々は、統治者である王を相手に内乱を起こしたのだ。

 そしてその民衆反乱に対処するために、王都は聖都との交戦を続けられなくなったのだった。


 ――国に停戦まで決意させた民衆蜂起から五年。

 対外戦争による出費に苦しんだ庶民たちは、今や完全にこの国の王室を見放していた。

 蜂起の連鎖は国内の隅々にまで及び、王政打倒の旗の下に結集した民衆は、自ら武装して日増しにその勢力を拡大していた。

 国は彼らを、王政に対する『反乱軍はんらんぐん』と呼んでいる。巨大な蜂起の折には彼ら『反乱軍』が先頭に立って民衆を導き、何度となく王宮になだれ込んだ。

 今は各地に分散しているが、彼らはそれぞれの勢力を保ったまま、来る王政打倒の日に備えているという。

 反乱の火がつけられたのは王宮だけではない。王をとりまく貴族たちにも、暴動の矛先が向けられた。多くの貴族が民衆の略奪に遭って館を焼け出され、それを恐れて、数百数千の貴族が国外へと逃れていた。

 今や王侯貴族といえど、街道の真ん中を堂々と行くことはできない。むしろ上流に属することを隠さなければ身の安全は保障されないのだ。

 派手で贅沢な宝飾などしていれば、盗賊だけでなく、市民に襲撃される可能性も大いにあるからだ。


 トンガリはしばらく黙って先を行く馬車を見送っていたが、その姿が地平の向こうに消えると、再び鞭を打って馬を走らせた。

 また畑の景色が流れ出し、ダイアスは再びわら束の上に寝っ転がる。


 それからしばらく間をあけて、前を見たままのトンガリが再び口を開いた。


「さっきの馬車だがな……」

「ん?」


 ダイアスも空を見たまま聞く。


「――明日、これから行く村で結婚式があるのは知っとるか?」

「結婚式?」

「そう。お前さんも知っとるじゃろ。あの村に有名な教会があるのは」

「ああ、サン・エーテル教会だっけ?」


 これから行くエーテル村に由緒ある教会が建っていることは有名だった。

 そこで結婚式……街の住人たちが何か噂していたような気がするが、あまり関心がなかったので忘れてしまった。


「さっきの馬車は、そこで結婚する花婿の乗った馬車だろう」

「へえ。貴族の結婚式なんだ。こんな辺境で、ご苦労なことね」

「あの教会は、代々の王族も式を挙げてきた歴史ある教会じゃからな」

「じゃあさっきのも、貧相な馬車してけっこうな大貴族様だったのね」

「ああ。フォーレルン公爵家の子息の馬車だろう」


 急にはっきり出てきた人名に、ダイアスはトンガリのほうを振り返った。


「なんだ、あんたそんなことまで知ってるの?」

「村では有名な話じゃからな。数十年ぶりに貴族の結婚式があると」


 村で有名ということは、鉱山で働く者たちにも有名な話であるらしい。

 相変わらず前を向いたまま、トンガリが続ける。


「王家とも親戚関係にある、大貴族様じゃ。本来なら、こんなところでお目にかけるような相手ではない」

「へえ……」


 貴族が衰えていく昨今にあって、未だ王家に守られて存続する由緒ある家柄だという。

 そこまでの大貴族だと聞いても、ダイアスにはまるでピンと来なかったが。

 よく理解せず相づちを打ったダイアスに、構わずトンガリは続ける。


「彼は今まで十八年間、外交の重要なカードとして、半ば屋敷に閉じ込められるように育てられてきたそうじゃ」

「外交の、カード?」

「さよう。明日のためのな」


 馬に一つ鞭打って、トンガリは馬車を速める。


 例の貴族の彼の結婚相手は、聖都の名家のご令嬢。敵味方を越えた政略結婚だという。

 両国の関係者に見守られて式を挙げたあと、新郎新婦は海を渡って聖都へ入るらしい。

 貴族の青年のほうは生まれ育った王都を離れ、敵国へ送られるのだ。


「この時期の政略結婚じゃ。ただの縁組ではない。両国が再び交戦状態に入るときが来れば、彼の命もそれまでじゃ」


 つまりは王都と聖都の交戦を再開させないため、聖都側へ人質に行くということだ。安定しない両国の関係を、それでも安定させておくための保険のような存在。

 そう続けられたトンガリの言葉に、暖かみなどはなかった。


「敵国に人質に行く、哀れな青年貴族。今までも、これからも、籠の中で何も成すことなく終わる命じゃ」


 そして次々飛び出した冷たい言葉を、


「捕らわれのお姫様ならぬ、とらわれの貴公子様、といったところじゃな」


 トンガリは、そう一つの比喩で締めくくった。


「囚われの貴公子ね……」


 ダイアスの生返事が、流れる景色の中に消えていく。

 鉱山の近所についての世間話――それだけのことだと思っていた。

 人質に行く哀れな青年貴族。囚われの身の貴公子。

 いずれにせよ、関わりのない世界だ。


 もう一度空を仰いで、彼女はその話を頭の片隅に追いやった。


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