80 (百人オーディエンスクイズ 3)
司会者が、ひときわ大きく声を張る。
「参ります! 第八問!」
ジウ王子の意識がはっと地上に引き戻される。
「まずはこちらをご覧ください」
頭上のパネルに映像が投射される。
しかしそれは、言葉ではない。
四人の女性である。首から上のアングルで、四名。
「はいこちら、ハイアード・ラジオノクス社の新人女子アナ四名です。この中で一番モテそうなのは誰っ!」
1・右上
2・左上
3・右下
4・左下
「な――」
ジウ王子が硬直し、貴賓席の百名がかりかりとチョークを走らせる。
「馬鹿な、こんな問題」
「そろそろ来ると思っていた」
ユーヤが、ジウ王子の他には誰にも聞こえぬ声で言う。
「ありえん、決闘だぞ、こんなふざけた問題が」
「決闘? そう認識しているのは、僕たちだけだ」
言われて、はっと気づく。
この試合は、決闘とは認識されていない。
あくまで、クイズ大会の前の余興、誰も知らぬクイズ戦士であるユーヤの顔見せ、今回は不参加となったガナシアの試合を観客に提供するための催し、そんな認識なのだ。
これが正式な決闘であれば、絶対に出なかった問題。
「ぐっ――」
そして。
ジウ王子『1』
ユーヤ『1』
「さあ貴賓席の皆さま、解答オープン!」
1・41票
2・30票
3・14票
4・15票
司会者が大袈裟なほどの拍手を鳴らす。
「素晴らしい! お二人とも正解です!!」
「――なめるな」
その言葉は、ジウ王子の思うよりも明確に発声された。あるいは誰かの耳に届いたやも知れぬ。
ジウ王子は下唇を噛み締め、異世界人を憎々しげに睨みつける。
一方のユーヤはより脱力して見える。しかしよく観察すれば、その呼吸が浅く早く、脳の疲労を表すような気だるさが漂っていることに気づくだろう。
囁きが聞こえると言っても、集中力が不要なわけではない。聞こえた無数の言葉を分類し、分析し、そして判断する。そこにはユーヤ以外の誰にも分からない無数の過程があり、有形無形の消耗があった。
ユーヤが呟く。
「――さすがだ、よくこれを当てた」
「貴賓席の全員を掌握していると言ったはず。個々の女性の好み、世間での流行も把握している。そこから計算することは可能だ」
「そうか、だがむしろ当てないほうが良かった」
「何――」
「気付かないのか、この百人オーディエンスクイズはまさに魔王の根城。正解すればするほど迷宮は複雑さを増し、そこを歩く人間を混沌の闇に引きずりこむ」
「何を言っている」
「さあ参ります、第九問、この私、フクトミは――」
1・かっこいい
2・素敵だ
3・男前だ
4・モテそうだ
「――!!」
それは、戯画化された地獄。
観客はあられもなく笑い、貴賓席の解答者も何も疑問に思わずチョークを走らせる。およそクイズではないこの問題が、堂々とまかり通っている。
ユーヤの言葉が、死神の囁きのように届く。
「分からないのか、このイベントの置かれている位置を」
「位置――だと」
そして、瞳孔がぎゅっと引き絞られ、そのことに思い至る。
このイベントは、本来ありえなかったもの。ただの余興、そして、この後にはクイズ大会の本戦が控えている。
「すでに1時間は経過している」
ユーヤが告げる。
「百人の解答を集計する手間があるため、一問ごとにそれなりに時間がかかる。運営としては、このまま同時に10ポイント到達、サドンデスなどという事態は避けたいはずだ。往々にして、この手のイベントの運営は頭が固い。盛り上がっているから長くやろうとか、予定を組み替えようなどという発想は浮かばないものだ。ならば振り落とせばいいと考えるはず、知識の通用しない、とっておきの奇問で」
「こんな――こんなことが」
喜劇と悲劇は表裏一体である、と言った作家がいる。
クイズを極めたが故に、問題がクイズから遠ざかっていく。それがどれほど奇妙で、理不尽であることか。
(この男、そこまで計算していたというのか)
(運営に、クイズではないクイズを出題させる。百人クイズという手間のかかる形式、クイズ大会の前の余興として行うこと。すべてはこのためのお膳立てだったとでも)
「だが、こんな問題、貴様も――」
ぱたり、と。
ユーヤが黒板を伏せた。
「――!」
(解けたというのか、これが)
「おおっと、ジウ王子、手が止まっています、さすがのクイズ王もこれには困ったかー!」
「くそっ……」
――そして
ジウ王子『3』
ユーヤ『1』
「解答オープン!」
1・41票
2・18票
3・23票
4・18票
「ユーヤ様! 正解!! これで9ポイント対8ポイント! ついにユーヤ選手がリードを勝ち取りましたー!!」
「こんなことが――」
ユーヤが正解するという、予想はできた。
その方法が分からなかっただけだ。
今の問題、ジウ王子の六人の幽鬼たちを駆使しても、ほとんど何も聞き取れなかった。貴賓席の連中は相談も交わしていない。
「――そうか、これは思考でも推理でもない」
あるいは、これが世界で二度目の出題であったなら。ジウ王子も答えられたやも知れぬ。
「いわば、統計か」
「その通り……」
ユーヤが、大会運営に渡したいくつかの例題。
その中にはほとんど推測不可能な、奇妙奇天烈な問題も含まれていた。今の司会者に関する問題は、運営がそこから連想して作成したものだろう。だがそこにはユーヤの経験が、あるいは戦ってきた理不尽さが詰まっていた。
「選択肢が全て同じ、あるいはほぼ同じという問題の場合、多くの人間は1番を選ぶ。また仮に、一見同じ選択肢だが実は正解があるというパターン、例えば4つあるケーキのうち一つだけ中に当たりが入っているという場合、答えは3番であることが多い。これは心理学的にも裏打ちされた法則。僕の世界では経験則として知られていることだ」
「こんなクイズに、経験則が存在するだと――」
「この世界の人々は、実に善良で、真っ直ぐで、好ましい」
ユーヤは、夢見るような、あるいは熱に浮かされるように言う。
「クイズに対してひねくれていない。実に羨ましい。僕のいた世界では、ねじ曲がった、トンチのような問題が持て囃されることがあった。それはつまり、僕の世界の人々は、真面目にクイズに取り組むほどにはクイズが好きではないから。このような取っ掛かりのないクイズのほうが、むしろ気楽に参加できると思える場合があるから――」
「さあ!! いよいよこれが最後の問題となるのでしょうか!? 第十問です!」
時間が飛ぶような感覚。ジウ王子の周囲で、あらゆる物事が高速で流れていくように思える。己の焦り、感じたことのない屈辱が精神を蝕むのを感じる。
「この、私が」
「問題! この私、フクトミが一日のうちで一番調子が良いのはー?」
1・朝
2・昼
3・夕方
4・夜
「――これは」
司会者のフクトミ、もちろんジウ王子の抱える莫大なる知識の中に、この人物のデータも入っている。
(これならば分かる。フクトミ氏は雑誌の取材などで、夜が最も調子がいいと語っている。夜遊びが好きな人物ということも有名、ならば)
「……」
ユーヤは、意識を外側に開く。
場に流れる囁きを耳が捉え、己の背後に居並ぶ百名に意識を走らせる。その一人一人にすら意識の根を伸ばすような感覚。ユーヤという人間が、これまで磨いてきた観察という技能を総動員する。それは特定の誰かではなく、いわば場の空気の味、そこに流れる時間の速度を測るような観察――。
ジウ王子『4』
ユーヤ『1』
そして運命のコールが告げられる。
「オープン!!」
1・35票
2・22票
3・11票
4・32票
「何だと!?」
「ユーヤ選手! 正解です!!」
司会者が叫び――。
そして観客が、貴賓席が、そして舞台袖の王族たちが歓呼の声を上げる。
「10ポイント対8ポイント! ユーヤ選手の勝利です!!!」
声が加速度的に膨れ上がっていく。称賛の声は歓喜の叫びに、打ち鳴らす拍手は波濤のような大いなるうねりに。妖精が光を曳いて乱れ飛び、楽団が我知らず楽器を奏でる。そしてそれは伝播していく、抑えがたき感情が、体の内からの爆発を表現するような声が。
「なぜだ」
ジウ王子が、呆然と呟く。
「フクトミ氏が夜を好むのは十分に知られているはず、なぜ1番が選ばれる」
敵であるはずのユーヤでも、今このときだけは問いかけぬ訳にはいかない。
万雷の拍手の中で、ユーヤの呟きが像を結ぶ。
「思考が、破壊されたからだ」
「何だと」
「第8問から9問目にかけて、およそクイズではない難問奇問が出題された、あれで観客が壊れてしまった。まっとうに考えず、また考えなくともよいという空気が広まった。こうなればもはやフクトミ氏がどうのという部分は関係なくなる。ほとんど思考せず、単に自分が一番好きな時間帯を答えればいいと考えるようになる。そして多くの場合、朝が一番調子が良いのが当たり前だ。特に、身分の高い、朝食をゆっくり摂れるような人々ならな」
「ぐ……」
「ジウ王子。約束は守ってもらう」
周囲ではまさにお祭り騒ぎ、司会者が何かを騒ぎ立て、観客が諸手を挙げて喝采を送るが。
その中心で、二人の間だけに真空が降りる。
「約束……」
その馬鹿げたほどの大騒ぎを見て、歓喜の濁流を浴びて。
ジウ王子は、一度大きく脱力する。
解答席に手を付き、それまでの人生の歩み、その疲労を吐き出すように、肺の中の息をすべて吐き出す。
顔面を片手で押さえ、深くうつむく。
「約束……約束か、なるほど」
そして。
静かに笑う。
その笑いは一気に膨張する。
声を枯らさんとばかりに肥大し、周囲にいた計測係や、フクトミ氏などがぎょっとして振り向く。
「馬鹿が!! この私に! ハイアード獅子王国に! そもそも敗北があると思っているのか! 衛兵!」
ジウ王子が指を鳴らす、その音は異様に大きい、鍛えられた指先から金属板をへし折るような音が鳴り、ジウ王子の出てきた側の舞台袖から、黒い甲冑を着た兵士が何人も出てくる。
「こ、これは!? ジウ王子さま、いったい」
フクトミ氏が何か言いかけるが、それを兵士の一人が捕獲し、無理やり後ろに下がらせる。
「ジウ王子――」
ユーヤはその様子に、奥歯を強く噛みしめる――。




