66 (競馬クイズ 3)
「第四問じゃ!」
ユゼ王女が、二人の耳の間でささやく。
「……セクシー女優、フラマーユの第四作、「富める世界」で、一般映画史上初と言われる特殊なシチュエーションでのプレイが行われておる、それは何じゃ?」
「……プレイって」
とてつもなく踏み込んだ問題である。ユーヤは露骨な渋面になる。
(特殊な性行為の問題……? いくらなんでも9歳のズシオウや、10歳そこそこのコゥナには答えられない。ガナシアやエイルマイルですら知っているか怪しい。というより、これはもはや一般的なクイズの出題範囲を超えている。双王め、だいぶ調子に乗って……)
と、ユーヤの視界の端が何かを捉える。瞬時に周辺視野に意識が振り向けられ、その正体を見極めんとする、その反応が一瞬のこと。
そこにあったのはモスグリーンの王女、ユゼ王女の目。
ユーヤは視線を膝に向け、手元の黒板にチョークを滑らせる。
ユギ王女が尊大な声を振り撒く。
「答えを示すがよい!」
エイルマイル『ロケ地がゴルミーズ王宮』
ガナシア『王宮で行為が行われた』
ズシオウ『王宮で交わった』
コゥナ『ロケ地が王宮だった』
ユーヤ『コゥナに30チップ』持ち点70→280
睡蝶『ガナシアに全部』持ち点110→440
「――うぐ」
苦鳴を漏らすのは双王。
「やっぱりそうか」
内心、冷や汗をかいたものの、ユーヤは余裕を見せて言う。ユゼ王女が悔しそうに眉をしかめる。
「よ、よくコゥナに賭けられたのう」
「おかしいと思った。いくらなんでもセクシーな映画の問題を子供に出すなんてな。これが問題として成立するということは、それが一般常識化するほど大きな事件だったということだ。それならば、どちらかといえば厳格に育てられていて、年下なズシオウよりはコゥナのほうが正解率が高いと考えられる。やってくれるじゃないか、このタイミングで僕に対するひっかけ問題を出してくるとは」
「な、何のことかのう」
「だが隠しきれていなかったな。目が笑ってたぞ、ユゼ王女」
「うぬぬぬ」
「ふん、今のは常識問題ネ」
睡蝶は脚を組み直し、そのような双王の意趣返しなど余計だとばかりに鼻を鳴らす。
メイドが盆に乗せられたチップを運び、二人の脇、並びで言うなら外側に山と積んでいく。百枚を超えたあたりから、二人とも数えてもいないが。
「ユーヤ、なかなかやるネ。でも今の問題でこちらがだいぶリードしたネ」
「問題ない、君が最後にコゥナに全額賭けて正解しない限り、こちらが逆転するパターンは無数にある」
ユーヤは黒板を消しつつ、独り言のようにそう答える。このどこまで行っても砂を噛むような男の横顔を、目を四角にして睨み付ける。
「強がってるのも次までネ……」
「第五問、最後の問題じゃ!」
双王は一度体を寄せ合い、扇子を重ね合わせて密談をする。そしてユゼ王女が二人の方へと来る。
「……パルパシアでもっとも古い蘭の品種に、大きなピンク色の花弁を持つ、「ニエルト・ジエス・プラタ」という品種がある。これは古い言語で、ある状態の女性の、肉体の一部を指す言葉じゃが、それは何か?」
「……え」
言葉を漏らすのは睡蝶。ユーヤの耳がそれを捉える。
「……難問なのか?」
「かなりの難問……。い、いや何でもないネ」
睡蝶はぴたりと口をつぐむ。わずかでもユーヤに情報を与えるべきではないと思ったのだろう。
(……)
ユーヤは思考する。
(……この問題、ここへ来ての超難問を出してきたか)
(だが、この問題は何かおかしい)
(疑問点は3つ)
(この問題が、なぜアダルトな問題なのか)
(この問題の、ある状態の女性とは何のことか)
(この問題を、なぜ出題したのか)
(睡蝶はおそらくかなりのクイズ戦士、その彼女が容易には答えられない、ということは……)
(……)
がりがり、と黒板にチョークを走らせる。書き終わるとそれを膝に伏せる。
「も、もう書いたネ」
「ああ、問題ない、これで勝てるはずだ」
「……」
睡蝶は思考する。息を深く吸い、周囲の気配を遠ざけて己の内に潜るような思考である。
(……パルパシアには数百種の蘭が存在するネ。その全部について知悉することは不可能ネ)
(品種名「ニエルト・ジエス・プラタ」……これはかなりマイナーな品種ネ。私も事典で1・2度見かけただけ、確か大乱期に失われた言語、古ジストリ語か何か……。意味は分からないけど、きっと淫猥な言葉……だからアダルトな問題として出題されたネ)
(確かにパルパシアではそっち方面のクイズも盛んだけど、ここはハイアードで、パルパシア出身者は双王だけネ。こんなもの誰にも答えられるわけが……)
(……でも、古ジストリ語。これは、もし答えられるとするなら、一人だけ可能性が……)
「……クイズは、ときに残酷だ」
ふいに、意識がその声に引かれる。
隣りでソファーに身を沈めるユーヤがそう呟いていた。
「? 何の話ネ」
「クイズは頭脳を問うゲーム、時として、その人間が何を学んできたか、どのような経験を積み上げてきたか、人生というこの茫漠たる平野を、どのような心構えで歩いているか、そんなことを暴き出してしまう」
「もっともな話ネ、ガナシア衛士長が恋愛小説好きだったり、ズシオウ様に意外とおませな知識があったり……」
「そうじゃない」
ユーヤは低い声で、頬杖で自分の横顔を隠してから言う。
「暴かれてしまうのは君だ、睡蝶」
「私……? 私がどうしたというネ」
「君は他人を信じていない」
空隙。
言葉が騒然とする会場の空気を打ち消して拡散し、睡蝶の周りに瞬間的な無音を生み出す。
「これまでの何度かの戦いで分かった。君は自分しか信じていない。大きく膨れ上がった自信と自負。世の全ては自分を肯定するための材料であり、社会的な関係性に意味を見出さず、地位とは自分自身の大きさであると思っている」
「何を言って……」
「しかしそれは傲慢さではない。王が何もせずとも王であるという天然自然の自信を持っていないんだ。だから能力や金銭を得ようとする。得なければいけないという焦りのようなものが奥にある。王の妻としての身分に相応な人間であろうとするためか、それとも誰かにそう教えられたのか」
――多くを学びなさい。
――片時も休むことはなく、あらゆる書を読みなさい。
――そして世の全てを、手に入れるのです。
「それは……」
(どうして?)
(なぜこんなときに、媽媽の言葉を)
「別にそれが悪いとは言わない、王の妻にまで上り詰めるなんて大変なことだ。才能だけじゃなく、血の滲むような努力をしたんだろう。だが競馬クイズはそれでは勝てない。賭ける相手をどれだけ信用できるか、己の血肉であるチップをどれだけ捻出できるかが勝負を分ける」
「私は、どんなクイズでも絶対に負けない――」
「だが、自分を賭けることはできない」
ずきり。
ユーヤの言葉の先は見えない。
しかし、なぜか睡蝶には、その言葉が胸の芯にまで響くような気がした。
誰にも見せたことのない部分を、暴かれるかのような。
「君にとって自分への評価とは自分の能力以外にない、だから自分自身の評価をかけたクイズを畏れている。ほんのお遊び程度のクイズや、チーム戦ならともかく、不確定な部分に自分自身のすべてを賭けられない。それが君の弱さだ」
「違う、私は……」
――決して、負けてはいけない。
――あなたは、私の分身。
――私のすべてを、受け継いでいるのだから……。
(大丈夫ネ、媽媽)
(私は媽媽の言うとおりに王になったネ。それにこの勝負は、別に負けたっていい勝負)
(私は弱くなんか無いネ。これまでだって勝ってきた、だからゼンオウさまの妻になれた――)
「そこ! 解答の前に何をブツブツと話しておるのじゃ! はよう賭け金を書かぬか!」
ユギ王女の声が飛ぶ、どうやら睡蝶が書くまでの間、客席いじりで間をつないでいたらしい。
ユーヤが何かしら残酷な通達を言い渡すように、声に重みを乗せて言う。
「では賭けてみせろ、君の判断のすべてを」
「う、わ、私は……」
――私のすべてを、受け継いで――
指が震える。
拳に力を入れてそれを抑え、かりかりと答えを刻む。
(これでいいネ)
(これで勝てるはず、勝てる可能性が一番高いはずネ)
「双方、書けたな! よし、では解答者四名! 答えを提示するのじゃ!!」
双王が大きく腕を振り、四枚の黒板が裏返される。
エイルマイル『妊娠中の女性の外性器』
ガナシア『わからない』
ズシオウ『わかりません』
コゥナ『身ごもっている女の性器』
「おお! この難問を答えるとは流石じゃ! エイルマイルとコゥナが正解じゃ!!」
「やったネ!」
こころもち身を浮かせ、睡蝶が声を上げる。
「よし! ではそちらの二人! 賭け金を示すのじゃ!」
そして二人の黒板も裏返される。
睡蝶『コゥナに150チップ』持ち点440→1490
ユーヤ『コゥナに全部』持ち点280→2240
「――なっ!?」
驚愕の声を上げるのは、むろん睡蝶。
「なるほど、チップを290点残して150チップ賭けたわけか。僕が誰にも賭けない、あるいは1チップだけ賭ける可能性を考えたわけだな」
「な、なぜコゥナが正解するとわかったネ!」
この問題。
これを素で答えられる人間は、会場にほとんどいなかった。集まったメイドや使用人たちも、なぜコゥナが答えられたのか、それをなぜ睡蝶とユーヤが当てられたのか不思議がっている。
「そ、そうです! なぜ分かったんですか!? ユーヤ様!」
「ぜひお聞きしたいですわあ」
メイドたちの何人かがそう言い、次第に全員の視線が集まるのを受けて、ユーヤが頭をかきながら言う。
「ええと……。まず、この問題もまた、双王の意趣返しの一部だ」
「うぐっ……」
双王は、扇子で鼻から下を隠しつつ、何かから身を隠すように隅の方へ行く。
「第五問目に入った時点で、睡蝶のほうが160点リードしていた。この場合、逆転が最も起こりにくいのは全員が正解、もしくは不正解というパターンだ。具体的な確率論はさておき、それは何となく分かってもらえると思う」
使用人や、その関係者たちがうなずいてみせる。
「双王としては、どの程度狙ってたか分からないし、無意識だったかも知れないが、僕に負けさせたかった。しかし全員正解のパターンは見抜かれやすい。かといって無茶苦茶な難問を出して全員不正解にする、というのでは出題を任された人間として面子が立たない。ではどうするか、次に逆転が起きにくいのは、コゥナだけが正解というパターンだ」
「なんだかこのゲームはコゥナ様に失礼な気がするぞ、さっきから」
コゥナがそうぼやくが、ユーヤはそちらに済まなそうな視線を向けつつ、話を途切れさせず続ける。
「ではコゥナだけが答えを知っており、なおかつ超難問という問題が望ましい、そこで双王はさっきの蘭の問題を思いついたんだ。双王、今の蘭の問題を解説してくれ」
言われ、双王は口惜しげに眉根を寄せる仕草を見せたものの、勝負がついたなら仕方ないという風情で、一度頭を振ってから声を張る。
「よいか! 出題された蘭、「ニエルト・ジエス・プラタ」とは大乱期より以前から存在する古い品種じゃ。自生種が僅かに残るのみで、園芸用には流通しておらぬ。この蘭の品種名は古ジストリ語、直訳するならば「愛宿す城の門」つまり妊娠中の女性の外性器のことじゃ!」
「? それをなぜコゥナ様が知っていたでぇす?」
「古ジストリとはかつてフォゾスの領土にあった国だからじゃ、現代でもフォゾスの語彙には古ジストリ語を源流とするものが数多くあるのじゃ」
「はあー、なるほどなのでぇす」
「性器というのは、必ずしもいかがわしい言葉じゃない」とユーヤが言う。
「蘭の花びらを女性器に見立てる考え方は僕の世界にもあった。女性器というのは妊娠の象徴であり、命を生み出す神秘的なものと見られることもある。それは出産や家族繁栄、あるいは豊穣の象徴ともなる。こうした性器崇拝も僕の世界にあったんだ。コゥナのいたフォゾスには、もしかして出産に関する言葉で、よく似た語彙が残ってるんじゃないか?」
「うむ、残っている。訛りのような形だがな。ニエルタはフォゾス語でニエタ、妊娠のこと。プラタはプラトタ、門のこと、あるいは女性器のことだ。ジエスはフォゾス語に当てはめるならジツ、親愛なる、とか大切な、という接頭語だな。最近では森でも共通語ばかりになって、こういう古語は老人が使う語彙になってしまったが」
「ですがユーヤ様! なぜコゥナ様が知っていることを知っていたのてす!?」
メイド長が目を見開きながら問う。
「さっきも言ったように、おそらく一人だけが答えられる難問だからだ。品種名の響きからしてヤオガミの言葉じゃない、セレノウの言葉ならエイルマイルとガナシアに分かるだろう、だからコゥナだと思った。もう少し言うと、蘭は南方の植物だからな、これはかなりの難問のようだし、おそらく一般に出回らない、自生種しか見かけないような品種なんだろう。涼しげな格好のコゥナの国は暖かいんだろうと踏んだ。だとすればますますコゥナが知っている可能性が高くなる。双王にとって予想外だったのは、エイルマイルも正解したことぐらいか」
「うーむ、さすがユーヤじゃ。なかなか思い通りにいかんのう」
双王は双子らしく同時にため息を吐いて、しかし司会として場を締めねばならぬと、大きく息を吸ってから腕を振る。手指を揃えてユーヤを指し示す。
「10枚のチップからよく増やしたものじゃ! 1490点に対し2240点! この勝負! ユーヤの勝利じゃ!!」
爆発のような歓声。
いつのまに作っていたのか、波がかぶさるような紙吹雪と紙の花がユーヤを襲う。数人のメイドが駆け寄って抱きついたり頬に口づけしようとしたり、あるいは何人かはワインを開けて勝手に乾杯していたり、楽器を弾いてみたり踊ってみたり、貯めに貯めた興奮を一気に吐き出すような騒ぎが巻き起こる。
「き、君らちょっと、落ち着いて……」
首にメイドを巻き付けて目を白黒させるユーヤ。
音楽が巻き起こり拍手は鳴り止まず、さらに待ってましたとばかりに追加の料理と酒が運ばれてくる。
そこへ、ユーヤの手がそっと握られる気配がある。
「……ん」
視線を横に向ければ、そこに睡蝶の顔がある。
それは悲しいのか悔しいのか、おそらく本人ですら把握しきれぬ様々な感情の折り重なった顔をしていた。泣き出しそうでもあり、謝ろうとしているようでもある。
「――やられたネ、ユーヤ」
放心したような声、ユーヤは渦の中のような騒音の中で、その声に意識を絞る。
「――私も、コゥナ様が正解することは読めてたネ、何も言われなければ、判断を信じて全額を賭けたかもしれない。でも、媽媽の顔がよぎったネ、もし負けたら、媽媽の名誉まで傷つけると思ったら、思い切れなかったネ」
「……すまない、君の全額ベットを封じるため、他にもいろいろな話術を使わせてもらった。特に、母親が有効だと思った」
「なぜ? なぜ媽媽のことを知ってるネ? ゼンオウ様が何か……」
「ゼンオウ氏は、君の母親のことを自慢げに語っていた、その血と、自分の血を受け継ぐ睡蝶こそが理想の人間だと、最高のクイズ戦士だと」
「……?」
「だから、きっと大切に育てられたんだろうと思った。だから君も母を愛しているだろうと、そう思ったんだ。僕の言った言葉で、一つだけ嘘がある。君は正確には、自分しか信じていないわけじゃなく、自分を構成するもの以外を信じていない。君を構成する、その中心にあるのが、きっと母親だと思った」
「……」
どさり、と。
睡蝶はソファーに深く腰を下ろし、魂を抜かれたように放心した顔をする。そういう姿勢になると一気に体から力が抜けていく、普段どれだけ気を張っていたのかと驚くほどだ。
「完敗ネ、すべて読みきられた……。んーでも、負けは認めるけど、困ったネ」
誰にも聞こえないほど小声で、わずかに笑みを浮かべて呟く。
「ユーヤの虞人株、諦めたくなくなってきたネ……」