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「アテム王……」
ユーヤが呟く。
シュネス赤蛇国。
ユーヤが聞くところによれば、大陸南方に位置する砂漠の国。国土のほとんどは砂漠であり、南方に行くほど人類未踏の地が多くなり、また数多くの古代遺跡を有する歴史ある国だという。午前中に行った紀行クイズの光景を思い出す。
「余の顔を知らんとは、猿よりも辺鄙な場所に住んでいそうな田舎者だな」
アテム王が、ほぼ想像したとおりの尊大な態度で言う。間に入る形になったジウ王子がユーヤを紹介する。
「こちらの方々は今宵の客人ではありますが、ぜひとも立ち会っていただきたく残っていただきました。セレノウのクイズ戦士であるユーヤ様。そしてかの名高きパルパシアの双王であられます」
「ふん、久しぶりじゃの。一年ぶりか、アテムよ」
「双王か」
どことなくバブリーな印象を残す三人である。
ユーヤは経験として知っていた、こういう傲慢さが服を着ているような男女の組み合わせは、気が合う飲み仲間になるか、でなければ極端に仲が悪いかのどちらかだ、と。
「相変わらず退廃的な暮らしぶりのようだな、遠くシュネスまで悪評が響いてくるぞ。食べ散らかした残飯ぐらい片付けられよ。服に匂いが染み付いては恥をかくことになる」
「これは失礼した。何しろパルパシアは料理が美味じゃからのう。シュネスでは手に入らぬ果実やら家畜やら、それに世界中から輸入しておる蜂蜜。アテム王にはさぞ垂涎の匂いじゃろう。物欲しそうな目をさせて申し訳ないのう」
「シュネスは粗食を美徳としているからな。だが祭りの時期ぐらいは期待しているぞ。この後もご馳走が出るのだろう? どこかから蜂蜜と果汁をスリ込んで、いままさに丸焼きにされそうな子豚の匂いがするぞ」
アテム王はそこで片足をすいと上げ、ユギ王女のローキックを回避する。
「君ら、いきなり全開にならないでくれるか……」
さすがに毒気を抜かれたような顔になって、あきれた声を出すユーヤであった。
「いったい何をしに来たのじゃ! こんな真夜中に!」
「我らの国は国宝の鏡をハイアードに奪われておるのだ、それの返却を申し入れに来た。このような時間になったのは人目を避けるためと、国内でのゴタゴタを片付けてから急いで駆けつけたためだな」
「――鏡」
その言葉に、さしもの双王も身をこわばらせる。羽扇子で鼻のあたりまで隠して話の先を待つ構えとなる。
「シュネスはおおよその事態を把握している。5年前だ。クイズ大会でハイアードが優勝した時、ビゾネス博物館の収蔵品をいくつか売却するよう要求された。表向きはハイアードに新設される博物館の充実のため、ということだったな。しかし、売却された収蔵品について調べたところ、どうも王家にまつわる貴重品が含まれていると分かったのだよ。名をティターニアガーフという。妖精の鏡と呼ばれるものだ」
「契約は正式なものです。購入価格も不当ではなかったと存じ上げますが」
「不当ではない? ハイアードはあの鏡の価値を知っているだろう。あれが金銭に換算できるものではないと知っているはずだ。余は数年をかけて他の国の鏡の状況を調べた、そのいくつかがハイアードに奪われていることもな」
ユーヤは思考する。
アテム王の話が真実ならば、ハイアードはフォゾス白猿国、ラウ=カン伏虎国、そしてシュネス赤蛇国の鏡を手にしていることになる。ハイアードも自身の鏡を持っているとすれば、世界に七枚存在する鏡のうち、四枚が手中にあるということか。
「では、約束を反故にしたいと?」
「余の国で鏡の伝承が失われていたことと、迂闊にも売却してしまったのは我々の落ち度だ、それは認めよう。認めた上で同額での買い戻しを求めたいのだが、この要求が通るとは思っておらん」
ジウ王子はそれには応えず、ただ曖昧な微笑を浮かべるだけである。
「そちらも薄々察していたことと思うが、余は決闘を申し込む。こちらが勝てば鏡の買い戻しを、そちらが勝てば500億ディスケットでどうだ。黄金で支払おう」
「黄金で……?」
呟くのはユーヤである。たしか、元の世界では金の価格はグラム5000円ほど。500億というと10トンにもなる。
ユーヤは背後のユゼ王女に耳打ちする。
「とてつもない大金だぞ、そんな量の黄金を融通できるのか?」
「うむ、国営銀行を通じた取引もあるが、国家間では黄金の方が信用があるのじゃ。パルパシアでもインゴットとして数百トン備蓄されておるの」
その環に割って入るように、ユギ王女もひそひそと話に加わる。
「というか国同士の決闘じゃぞ、鏡の価値を考えても、数百億ディスケットが動くぐらい当然じゃろう。シュネスはパルパシアほど裕福ではないが、金山をいくつも持っておって黄金は豊富なのじゃ。産出量で言うとシュネス、ハイアード、ヤオガミの順番じゃな」
「280億で国庫がパンクしそうになった国があってだな……」
そのような会話はともかく。アテム王の話は続いている。
「形式はそちらに任せよう。この決闘は受けてもらう。断るなら我々も策を講じねばならぬ」
「ほう……どのような?」
「シュネスには数多くの遺跡があり、世界中から観光客が来ておる。余の国では先月ごろよりハイアードの貴族や要人に多数接触し、それらをシュネスのホテルに招聘しておるのだ」
「存じております、観光客の誘致にご熱心だとか」
「だがシュネスには外国人が立入禁止であったり、軍事的に意味を持つ場所も多くてな、観光客がスパイ容疑で拘束される例もなくはない。ま。そのようなことがないことを祈っておるがな」
「……ふむ」
ジウ王子はそうとだけ言い、ふ、と声になるかならない程度に短く笑う。
「……」
ユーヤはしかし、そのやり取りに役者の違いと言うべきか、ボタンを掛け違えたような空気を感じずにはいられなかった。
有り体に言ってしまえば、実に稚拙な恫喝。
それでハイアードの国民を人質にでも取ったつもりなのか。実力行使にどのような混乱が伴うと思っているのか。この世界の文化レベルはかなり高いと踏んでいる中で、そのような旧時代的な、言ってみれば王族の無理無体、我儘勝手が通るとはとても思えない。
そもそも、そんな脅しが通じるならば決闘を経る必要すらなかろう。部外漢であるユーヤにも、そのぐらいは分かる。
「仕方ありませんね。私とて王族である以前にハイアードに生まれし男子であること、決闘から逃げたなどとの誹りを受けることは面体の汚れというものです。お受けいたしましょう」
だが、ジウ王子はあっさりとそう言う。
その言葉にはアテム王の恫喝など意に介さないというニュアンスが露骨に含まれていたが、ユーヤは何も言わずに気配を殺している。
「ですが、金銭などを賭けることは控えておきましょう、それはひいてはシュネスの血税でしょう」
「鏡はシュネスの国益そのものだ。黄金をその賭け草とすることが筋違いとは思わぬ」
「アテム王のそのお考えも理解できるよう努力いたします。ですが人の口に戸は立てられぬもの、多額の金銭が動くとなればそれは誰かに察せられ、よからぬ想像を巡らす輩も居りましょう。こちらが賭けるものは鏡で構いません、しかし500億ディスケットは大袈裟というもの、そこまでは望みませんよ」
「勿体ぶった言い方だな、では余に何を賭けろというのだ」
「そうですね……」
ジウ王子は、まるで何かを考えているように腕を組み、ふと思いついた風情で言う。
「これから一年、クイズを含めてあらゆる決闘を行わないこと……ということで、いかがでしょう」
ユーヤが奥歯を噛みしめる。ジウ王子はこちらに一瞥もくれないものの、ユーヤには肌感覚として分かる、その言葉は、明らかな嘲弄の気配とともにユーヤに向けられたものだと。
パルパシアの双王は、ヤオガミの国屋敷で行われた決闘のことを察知していた。ならばユーヤの経てきた三度の決闘、それがハイアード側に漏れていないと考えるのは、あまりに楽観というものだろう。ユーヤとしては、ハイアードに介入される前にすべての国との交渉を終えるべきだった。それがどんなに細く、困難な道であっても。
「ふん、何度も決闘を挑まれるのは面倒とでも言いたいのか。わかった、その条件で決闘だ」
アテム王は身を翻し、部屋の中央へと歩く。
「ではクイズの種目はどうする。我々シュネスはクイズと言うよりパズルを得意とする国だが」
「そうですね……では双王にお任せしましょうか」
水を向けられた双王は、扇子の奥で口を引き結ぶ。
「む、我らか」
「お二人……いえ、ユーヤ様を含めた三人には立会人として同席していただきたいのですが、私から早押しクイズだの一問一答だのと言うのも口はばったいというもの、どうぞご自由にお決めください」
「ふむ……」
「――ステレオクイズ、でどうだろう」
二人が押し黙る一瞬の間隙をついて、ユーヤが発言する。
「ふむ、それは聞いたことがないのう。イントロクイズのようなものか? しかし準備がないが」
「いや、二つの問題を同時に出題するというクイズだ。出題者が二人いて、同時に別の問題を出題する。解答者はフリップ……ここでは黒板か、それに解答を記述し、正解した数だけ得点になる、つまり一度の出題につき最大で2点だ。10点先取で勝利、でいいだろう。出題は普通の一問一答、これは双王に任せればいい」
「ほう、これは興味深い」
ジウ王子が朗らかな声音で言う。
「なるほど、世に名高い双子の王。社交界を彩る双眼の宝石。パルパシアの双王に務めていただけるならこれ以上のクイズはないでしょう。二つのクイズを同時に出題、まさに灯台下暗しと言うべきでしょうか、シンプルながら斬新な形式です。私も初めて経験する形式に打ち震えております。出会いこそ宝といいますが、今宵は実に意義深い会合となりそうです」
「……」
ユーヤは、ジウ王子のその儀礼めいた言い草はもう飽きた、とでも言いたげに肩をすくめ、双王を呼ばわる。
「じゃあ二人とも、僕と一緒に来てくれ。このゲームを経験したことがあるのは僕だけだから、少し別室で打ち合わせをしたい。15分後に開始だ。ジウ王子、それにアテム王はここで待機しておいてもらいたい」
アテム王が大袈裟に肩をすくめ、黄金の腕輪をじゃらと鳴らす。
「やれやれ出題が双王か、どんな奇天烈な出題をされるか分かったものではないな。まあ仕方あるまい、そのへんの猫やコウモリを捕まえてきても彼らは口が利けんからな」
「ふん、アテム王よ、始まる前から負けの言い訳か、しかも言い訳を出題者におっかぶせるとは落ちたものじゃのう。お主は昔からそーゆーとこあるからのう。昨年のクイズ大会でも、我等とのイントロクイズに負けた時に長々と言い訳をしておったし」
「あれが言い訳に聞こえるとは双王の耳もいよいよ救いがないな。あれはお前たちを慰めていたのだぞ。イントロクイズ以外では背筋が寒くなるほど無惨な成績だったからな。ここから先はずっと負け続けるだけだな、と思うと余も涙を禁じえなかった。観客もみんな泣いてただろ、パルパシアでは泣きたくなったらあのときの映像を見るらしいな」
つかつかとアテム王に歩み寄ろうとするユギ王女を、ユーヤが羽交い締めにする。
「では15分後に」
「お主あとで覚えておれよ!!!」
そのまま扉を抜け、廊下をずっと引きずって別室まで移動する。
「うぐぐ、アテムのやつめ、言いたい放題言いおって」
「あやつだけは許せん、パルパシアから輸出するフルーツにヤギの糞でも詰めてやろうか」
「やったら馬鹿にされるだけだと思うぞ……」
ユーヤもあきれてそう呟く。
まだ腹立ちの収まらないと言った様子のユギ王女は、ばしりと扇子を閉じ、ユーヤを示す。
「そんなことよりユーヤよ、知恵を貸せ」
「知恵というと……」
「決まっておろうが!」
ユゼ王女も腹立ちの限界という風情で、顔を真っ赤にしながら怒鳴るように言う。
「アテムを勝たせるための知恵じゃ!!」




