57
「ジウ王子……」
エイルマイルが、そして場の何人かが息を呑む。
「手紙の文面はシンプルだ。セレノウの客人に至急お会いしたく願います。必ずや双方に益のある交歓の場となることでしょう、と」
「分かりました、では私が同行いたします」
「駄目だ」
エイルマイルの提案を、ユーヤはきっぱりと跳ね除ける。
「エイルマイル、君はラウ=カンから受け取った問題の検討をしていてくれ。そちらの方も一刻の猶予もないんだ」
「ですが……」
「ではユーヤよ、私が同行しよう。護衛としてお前を守る」
ガナシアが申し出て。その背後から次々と手が挙がる。
「いや、コゥナ様が行くぞ、ジウ王子には言ってやりたいこともある」
「いえユーヤさん、私がベニクギと行きます。ヤオガミはセレノウに協力する約束ですから」
「なんだか面白くなってきたの、我々が行ってもよいぞ」
「こんな夜更けに呼び出しとはワクワクするのう、我ら双王は陰謀とか謀略とかそういうの大好物じゃ」
「分かった」
ユーヤは全員を見渡して。そして手のひらを差し出す。
「じゃあ行こうか、双王」
「えっ」
「えっ」
目が丸くなる、というのを体現した顔になる双王であった。
※
馬車は夜の道を駆ける。
日はとうの昔に暮れ果てて、しかしなおハイアードキールの空には残照のような赤みがさす。
さしも七日七晩の祭りとは言え、この黒錨都も少し息をつくような時刻ではあったけれど、それでも街の中心では、歓楽街や広場の方では賑やかな声が鳴り止まない。遠く響く太鼓の音、男女の笑い声、かがり火に煽られて空に舞う風船。
それは眠っている間も鐘を打ち続ける心臓のように、千年も絶えることのないという魔女のかまどの火のように。街のどこかで祭りが続いている、という実感を人々に与えるかに思える。今は祭りの時期なのだと、眠れる人々も起きればまた祭りが続いているのだという深い安堵のようなもの。長期休暇に浮足立つ子供のような心地を人々に与えるかに思える。
ユーヤが窓の外を見れば、そこは運河のようだった。わずかに水音の響く運河の上をアーチ橋が渡されている。奇妙なのは、デザインや素材が様々の橋が数多く並んでいることだ。石材もあればレンガ造りも、木造のものもあり、橋には不自然なほど大量に彫刻が施されている。
「なぜあんなに橋が並んでいるんだ?」
「ふむ、あれが有名な構え橋通りじゃな。簡単に言うと橋の見本市じゃ。ハイアードには石工や木工などさまざまの工房があるが、十数年前、橋架の技術を競い合う大会が行われたのじゃ。それぞれの工房が威信をかけて優れたデザインの橋を作り出し、この運河に見本の橋を作ったのじゃ。ここにある17の橋はいずれも画期的なものとして、世界中の橋の雛形となっておる。この場所それ自体も観光地として有名じゃの」
「なるほど、街灯も多いし、こんな時間にもカップルがいたりして賑やかだな……」
ユーヤの対面に座るユギ王女はふんと鼻を鳴らし、馬車の席上で足を組む。
「ユーヤよ、分かっておるぞ、我ら双王を同行させた理由」
「……」
ユギ王女が気色ばむのに合わせて、隣のユゼ王女も眉根に皺を寄せる。三人はいわゆるボックス席に向かい合わせで座っていた。
「ハイアードが何かしら陰謀を企んでおる現状、一人で敵陣に乗り込むのは危険じゃ。ガナシア衛士長やロニであるベニクギを護衛に付けたとしても万全とは言えぬ。じゃが、我々といれば安全、というわけじゃな」
「大国であるパルパシアの双王が一緒ならば、向こうも無茶はできまい、という算段じゃろう。小賢しいことよ、我らを矢避けのお守りに使う気じゃな」
「同行は我らから言い出したこととはいえ、小憎らしいことよ。この礼はしてもらうぞ」
「そうじゃないさ」
ユーヤはぽつねんと呟き、窓の外を見たまま言う。ふと、ユーヤの胸に万感の思いが兆すかに思えた。それは夜景のためだった。遠くけぶる街の灯、それは連日の残業が終わり、ようやく帰宅できた日に電車の窓から眺める夜景であったり、あるいは青春時代に、旅路の途中で船の窓から見た夜景にも似ている。その街の灯の一つ一つに人生があり生活がある、という実感が、ノスタルジアとなって胸を打つかに思える。
「この大陸の女性は、本当に強いと思う」
「? なんじゃ急に」
「エイルマイルもそうだけど、メイドたちや、フォゾスのお姫様、ラウ=カンの睡蝶もそうだし、そして君たちも本当に強いと思う、その年で王位を継いでいると聞くし、イントロクイズの戦士としても一流だ」
「なっ、なんじゃ急に、褒めても何も出んぞ」
「僕が思うに、この大陸、この時代の女性たちの強さの象徴、それは」
「ふむ?」
「スカートの短さだと思う」
間
「…………は?」
「冗談で言ってるわけじゃない。自分の経験に則っての考えだ。経済学の先生だって同じような意見の人もいる。世の中の景気が良くなると、女性の服は明るめの色が流行し、スカートが短く、露出が多くなる傾向があるんだ。ミニスカートというのは快活さの象徴であり、健康的で溌剌とした性格の現れでもある。もちろん女性から見て異論のある人もいるだろうけど、少なくとも僕の見てきた時代において、君たちのような格好の子はエネルギーの塊のように見えた。明るく活発で、時に刹那的で自暴自棄に見える瞬間もあったけれど、あの楽しくも不安定な時代において世界の中心のように思えた」
「何の話をしておるのじゃ?」
「体の線を強調するようなライン取り、きらびやかで人目を引く素材、そういう服は僕の青春であり、無軌道で忘れがたい日々であり、憧れだったということさ」
「……」
「女性をトロフィーのように扱うことには同意しないし、いずれそのような時代の名残は消えてゆくものだとは思うけど、少なくとも僕の経験において、女性がそばにいる男は強かった。その女性が輝いていて美しく、また気高く雄々しく、高嶺の花であり、もっと言うなら露出が多くてグラマラスであるほどに男は燃え上がった。だから君たちに同行してほしかったのさ。相手はジウ王子だ、あの美々しく聡明で、世界に君臨するクイズ王だからね。彼と対峙するためには僕自身に箔をつけなければいけない。だから双王の協力が必要だったんだ」
「ふむー……」
「箔をつける……なるほどのう。うむ、なるほど……」
ユーヤの長く、どこか自分自身を振り返るような話を聞いて、双王はその言葉をじっくりと噛みしめるようだった。
ユーヤの言葉は双王には理解不能な部分もあったけれども、それが双王の脳内で奇妙な化学変化を起こしている。ユーヤの言葉を噛み砕き、理解できる部分だけ理解し、再構築するにつれ、双王に分かる形に、もっと有り体に言うなら双王にとって都合のいい形に、己を全肯定するような形に変換されていく。
「ん、あれは何だろう」
ユーヤが脇を見る。そこは飲み屋のようで、店の中に数人の客もいるが、隣の店舗とまったく同じ店構えをしている。その隣も同じ、その隣も、さらに三軒隣りも同じである。馬車でその前を走っていると、同じ場所をぐるぐると回っているように思えて不安定な気持ちになる。
「あれは七つ子の店という様式じゃ。パルパシア発祥のものじゃな」
どすん、とユーヤの右隣に座ってくるユギ王女。たっぷりとウェーブのかかった髪をふわりとかきあげる。
「あれは居並ぶすべての店が飲食店じゃが、中身は飲み屋であったり、焼肉屋であったり、ラウ=カンやヤオガミの料理を出す店だったりする。複数の店舗が全く同じ店構えとなることで、特定の店に客が偏るのを防いでおるのじゃ。基本は七軒じゃが、もっと少ないものもある。パルパシアには28軒というのもあるぞ」
ぼすん、と左隣りにはユゼ王女が座る。七色の部分ウィッグが混ざった髪をかきあげる。
「一種の互助会のような形態であり、外装や内装が同じなために建設費が安くなるというメリットもある。客は足を立ち入れた店では必ず何か頼むのがルールじゃ。元々はパルパシアにおいて飲食店の店舗あたりの税が生まれた時、複数の店が寄り集まって一つの店だと主張したのが始まりらしいの。どの店で何が出てくるか分からぬ楽しみもあるらしい」
「なんか近いんだが」
鼻息がかかるほどの距離から、ユギ王女が目を覗き込んでくる。
「そうかそうか、お前はこういうのが好きじゃったんじゃな。道理で我らによく突っかかってくると思うておった。実は初っ端から我らに悩殺されておったわけじゃ、そうかそうか」
「別に突っかかった覚えはないが」
「お前はどーも枯れたようなところがあるから密かに心配しておったのじゃぞ。こやつ女に興味ないんじゃなかろうかと。どれどれ短いスカートというと、このぐらいかの」
「違うぞユゼよ、このぐらいじゃ」
「いやいやもっとこのぐらいではないか?」
「いやそれスカートとして成立してないだろ。君らその長さで歩けるのか?」
「まったく不器用なやつじゃなお前は。我らのことが好きなら早く言えばよかろうに、言っておくが我ら双王は常に二人一緒じゃからな」
「何の話だ」
馬車は夜を駆ける。
公館街を抜け、喧騒の残り香が漂う市街地を抜け、ハイアードキールの港へ。
「ここか」
すたり、と双王が先に降り立ち、扇子で口元を隠しつつ目を光らせる。もともと夜に強い双王であったが、この時はさらに目を爛々と輝かせて、背中に炎でも背負うかのようだった。
「ただの空き家のようじゃの……真四角で、何の飾り気もないが」
「人気のない場所じゃのう、集団で襲われたら逃げられんな、ふふふふ」
「ようこそ」
そこに明かりが生まれ、人の声がする。
急に明かりが生まれたのは、手提げカンテラから黒い覆いを取り除いたためだった。ユーヤは背後の御者に手で合図し、御者はがらがらと馬車を移動させて舞台から消える。
「……ジウ王子」
銀に近いような、色素の薄い金髪。このときは膝丈のニッカパンツを履いており、くるぶしから下は白いタイツが見えている。ジャケットは濃藍色。襟元は顎に触れるかどうかという程度に立たせ、袖口にはフリルが付いており、ウエストコートは黒である。いかにも貴族然とした姿であるが、それ以外の服など想像もできないほどに調和しており、今から優雅なる舞踏会にでも繰り出しそうな余裕がある。
「ユーヤ様ですね。それにパルパシアの双王。夜分のお呼び立てに応じていただきましたこと、まずは深く感謝いたします。このような時間ゆえ、積もる挨拶は抜きにいたしましょう。まずはお目にかけたいものがあります」
ジウ王子の背後から、黒いローブで全身を隠した男たちが出てくる。わずかに耳に届くのは金属の触れ合う音。彼らが武装した兵士であろうことは想像がつく。
「さあ、こちらへ」
ジウ王子が建物に近づくと、音もなく扉が開き、さらなる暗がりがぽっかりと口を開ける。ジウ王子はちらりとユーヤたちの方を見た後、その暗がりの奥へ吸い込まれていく。
ユーヤは両脇にいる双王たちと視線を交わそうとして、その前に双王はずんずんと進み出てジウ王子の後を追う。
「……あの二人は、なんで急にやる気になってるんだ?」
ユーヤもまた、後を追って建物の中へ。
そして黒いローブの男たちは周囲の闇に散っていく。そしてこの場は、100年も無人だったかのように全ての気配が消え失せる。