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「ユーヤさん! それはおかしいです!」
ズシオウが、正面からユーヤの両腕を掴んで言う。
「大使館でコゥナさんが言っていたはずです! 私たちのどの国が優勝しても、ハイアードに鏡の返還を要求する、ハイアードが優勝した際は、その要求に六カ国合同で反対すると!」
「まだラウ=カンとシュネスの協力が得られていない。それに実際のところ、ハイアードの要求を封じ込めるというのは消極策に過ぎない。それではフォゾスの鏡は帰ってこない」
「ですが、妖精王祭儀は毎年あります、いずれは……」
「無理だ。というより、僕はそもそもマギレで勝てるほどの実力差とは思っていない。今のままではハイアードが何年でも、何十年でも連覇し続ける、力の差はそれほどに大きいと見ている」
「そ、そんな……」
それ以前に。
ユーヤはこの大陸での異変。その差し迫った気配を肌で感じていた。
ハイアードはこれまで六連覇しているという。その中でどんな要求がなされ、要求の影で何が行われたのか。他の国はどれだけのものをハイアードに差し出してきたのか。そして単なる友好の儀式であったはずのクイズ大会は、いったいいつから変質してしまったのか。クイズですべてが決まる世界で、クイズ以外のものが幅を利かせてきたのはいつからなのか――。
この大陸は今、机の端から半分ほどせり出している。
あと一度でもハイアードの優勝を許せば、この世界そのものが、取り返しのつかない位置まで落ちてしまうような予感が。
ズシオウが冷や汗を浮かべつつ言う。
「で、ですが、そもそも問題作成委員会、「塔の百人」から問題が漏れた例など、一度もないはずです」
「……僕はそもそも、王政国家で完全に権力から独立した民間組織、というものが信じられない。本当に今まで一度もなかったのか、どうやって証明すると言うんだ」
「それは……」
「ユーヤの言うとおりだ」
コゥナが言う。
「フォゾスは、ある国から接触を受けた。取引により、問題を手に入れられると」
「取引、ですか? いったいどの国が」
「おそらく、ラウ=カンだ」
ユーヤが断定的に言う。
「――ラウ=カン伏虎国。大陸ではハイアードに次ぐ大国、大陸最大の大学を擁する歴史と学問の国だと聞いている。「塔の百人」に接触するルートだっていくらでもあるだろう」
「なぜラウ=カンなのです?」
「このクイズ大会と、その裏で行われている暗闘は、一言で言えば「鏡の奪い合い」だからだ。問題を渡すことは優勝の確約であり、鏡を渡すことに等しいという前提がある。ハイアードが鏡を集めているなら、フォゾスと取引するわけがない。シュネス赤蛇国という可能性もなくはないが、そこの王は到着が遅れているらしいからな」
「そうだ」
コゥナの答えは短く、重い。
「ラウ=カンも鏡を集めている。フォゾスは鏡の一枚と引き換えに、問題を渡すと持ちかけられた」
「え……? ええと、それはつまり……」
ズシオウは事態の急転に混乱している。
「ラウ=カンは、まだフォゾスが鏡を奪われたことを知らない、とか……」
「そうじゃない。そもそも鏡のかかった大会でなければ、問題を手に入れるまでの不正を犯す必要はない。鏡と引き換えられるのは優勝だけ、優勝と交換できるのは鏡だけだ。ラウ=カンはフォゾスがどうしても優勝したがっていることを知っていた。だから取引を持ちかけたんだ」
「しかし、フォゾスは鏡を持っていないはず――」
ズシオウははっと息を呑む。
透明な壁に遮られるようにその動きが止まる。
すべては、コゥナにより語られている。
緑倉院。コゥナはヤオガミの国屋敷にて、鏡を探していたという。妖精の鏡がヤオガミにも存在するかどうか確認するために。
――存在を確認するために?
それは何という、穏やかで生温い言い訳だろうか。当然、コゥナは鏡を盗み出そうとしていたのだ、一度その想像に至ってしまえば、それ以外の可能性はすさまじい速さで遠ざかっていく。
コゥナの行動は、すべて自国の鏡を取り戻すためのものだ。セレノウの大使館での話も、すべてはハイアードの野望を阻止し、フォゾスの鏡を奪い返すための保険に過ぎないのか――。
「……」
ズシオウは舌を呑むように押し黙る。その目に憤りではなく、ただ沈痛な色だけが浮かぶのは、このあどけなさの残る王位継承権者のどうしようもないほどの優しさ、底の抜けたような穏健さと言わざるを得ないが、ユーヤはあまりそちらを見ぬように言葉を続ける。
「だが、ラウ=カンはフォゾスに優勝させる気はない」
「――?」
年若い二人の王族が、ふいに虚を突かれたような顔になる。
「な、なぜです? ユーヤさん」
「取引相手がフォゾスだからだ。優勝経験のほとんどない弱小国でなければいけなかった。セレノウやパルパシアでは、本当に優勝してしまう可能性があるからだ。実際のところ、クイズにおいて事前に問題を入手するという不正は、クイズ王たちに打ち勝てるほどの宝剣ではないんだ」
「そ、そう……なのか? ユーヤよ」
「妖精王祭儀でのクイズ大会では、8000問あまりが作成され、そのうち300問ほどが使われると聞いている。この8000問を記憶するというのがまず至難の業だ。しかも日程から考えて一日二日でだ。それに早押しクイズは問題の暗記だけでは勝てない。下手をすれば、答えの確定ポイントより前で答えてしまう、よく似た別の問題と間違えて答えてしまうというような、露骨な不正の暴露を犯してしまう可能性がある」
「うぐ……」
「ラウ=カンにとって最良のシナリオはこうだ。フォゾスを問題で誘って、他の国から鏡を入手させる。そして自らの国が優勝する。もちろん問題はラウ=カンも控えているからな」
実に強欲だ、とユーヤは思う。
たしかベニクギも言っていた。ラウ=カンにも妙な動きがあると。それは問題作成委員会への介入を指すのか、それとも他にまだ何かあるのか。歴史ある古豪の国が、この大陸の異変でどのような手を打っているのか。それは異邦人であるユーヤには想像力の限界を超えている。しかし義務として、あるいは職業病のような宿業として、考え続けずにはいられない。
ユーヤは考えに沈みかけるところで、ふと頭を振ってから言う。
「コゥナ、あのときに約束したはずだ」
「――?」
「君の命令なら何でも聞くと。ならばなぜ、セレノウの鏡を要求しない。それでラウ=カンと取引すればいいじゃないか」
「な……」
「いいや、それ以前に」
ユーヤは、いつの間にかコゥナの眼前に迫っている。その前に跪き、顔を下から覗き込む。
「ヤオガミの国屋敷に忍び込むぐらいなら、なぜラウ=カンの公邸に潜入しない。問題を盗み出してしまえばいいだろう。あるいは僕に命令すればいい、ラウ=カンのゼンオウをうまく騙して、問題だけを奪ってこいと」
「お、おまえ……何を言っているのだ! そんなことができるわけが」
「できる――」
ユーヤはコゥナの手を握り、一言一言刻みつけるように言う。
「この世界のためなら何でもできる」
「愛すべき人々のためなら」
「どんな罪でも」
「お、おまえ……」
コゥナは、己の膝が震えだすのを意識していた。
蛇を前にした蛙のように、その異様な気配に魂を飲まれるような気がする。
「コゥナ、それにズシオウ、僕たちセレノウはこれから、ラウ=カンに接触する」
「――?」
「おそらくはラウ=カンとクイズで戦うことになる。君たちも立会人として同席して欲しい。必ず良い方に進めてみせる。フォゾスの鏡を取り戻す道にも通じるはずだ」
「お、お前なにを考えて――」
「頼む」
「わ、わかった、わかったから手を放せっ」
ユーヤの手を振りほどき、コゥナは跳ねるように後じさる。なぜか顔が紅潮していくのが感じられ、その己の変化にも戸惑いを覚える。やはりまだ幼い、とユーヤは思う。あの紅葉のような小さな手に、不正の切符など握らせたくはない。そのように思う。
「ベニクギ! 大使館に戻ろう! 馬車を回してくれ!」
大声で呼べば、人もまばらであったはずの港の突堤に、ふわりと赤い影が降りる気配がある。
「……ゆ、ユーヤどの、気づいていたでござるか」
そこには緋色の傭兵、ベニクギ。
ユーヤは密かに嘆息する、心の中に次々と言葉が浮かび上がる。
気づくもなにもない。来ていないわけがないだろう。何を意外そうに言っているのか。この世界の人々は本当に純朴で、慎ましく、人を疑わず、クイズを愛して――。
「――なぜ、それがいけない」
ユーヤはだれにも聞こえない声で呟く、人の版図ではない海の彼方に向かって、妖精や悪霊たちに問いかけるように。
「――クイズで全てが決まる世界の、何がいけないんだ……」
※
過日
それはもはや誰も思い返すこともない記憶の残滓、時の流れの淀み、大いなる過去の忘れ形見。
真夜中の会議室で、数人の男が長机に座っている。机の上には山のような書籍、プリントアウトした資料、新聞の縮尺版などが並び、がりがりとボールペンを走らせる音がする。
「駄目だ、もう一度選択肢を洗い直そう」
もう何日も入浴していない脂ぎった髪。不健康そうに乾燥した肌。山脈でも越えてきたかのように擦り切れたジーンズ、その人物の印象はその程度だ。いくら服装にルーズなテレビマンといっても、その薄汚れた姿には眉をひそめるものも多い。特に問題作成の詰めに入るといつもこの調子だ。会議室にこもって資料と格闘し始める。
「もう十分ですよ、完璧なはずです」
「チャンピオン大会なんだ。万が一にも不備があってはいけない。この問題だが、「パリ」が正解に含まれるかどうか判断できない、今からフランス大使館に連絡をとってくれ。それと奈良の大学に複写を頼んでおいた資料がまだ届いてない、それも確認してくれ」
言われた方のスタッフは、うんざりしたような顔を隠しもしない。この人物の底知れぬバイタリティは認めなくもないが、それにしても異常である。たった20問あまりを用意するのに何日かける気だろうか。入浴もせず帰宅もせず、睡眠すらマトモに取らない。彼はただの番組制作のアドバイザーだ。そこまでの収入を得ているわけでもないのに。
「七沼さん、言っちゃ何ですけど、チーフだってここまで求めてませんよ。もっと簡単に作れる問題だってたくさんあるはずです。クイズの本ならダンボールで5箱も用意してるんだし、そこからアレンジを加えて引用すればいいじゃないですか」
「それでは駄目なんだ。今回はクイズ王たちが出場する。王の試合には、誰も見たことのないような問題が必要なんだ」
「ですが……そこまでやっても、視聴者には伝わらないでしょう、数字に結びつかないですよ」
「……」
七沼遊也は、目の前の人物にどう言ったものかと言葉を探す。
自分自身でも分かっている。自分がどれほど異常なことをしているか。クイズはしょせん興業に過ぎない。これ以上に「おもしろい」問題を作っても、視聴者には理解の及ばない物になるだろう。
どうしようもないほどの孤独がある。
そんなこだわりを持っているのは自分だけなのだと。
クイズ王を神格化するほどに崇めているのは、それは何かの錯覚に過ぎないのだと感じる。
クイズ王たちを守るため、あらゆる不正を排除してきた。
ある時は5時間スペシャルの問題をすべて入れ替え。
ある時はカンニングの映像を本人たちに突きつけ。
そうして、いくつもの番組を潰してきたというのに。
その破壊の手を止めることができない。
「だが、この問題形式だけは、特別なんだ」
七沼遊也はただ、何度も訴えるしかない。それで奇人変人と呼ばれても、あるいは煙たがられても。
己は、クイズと、クイズ王たちに生涯を捧げると決めた、ただの狂信者なのだから。
「だから最後まで、全力でやらせてくれ」
「一問多答クイズとは、究極のクイズなのだから――」




