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迷宮世界のダイダロス
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問、アメリカ国防総省の通称を、その建物の形状に由来してペンタゴンと呼びますが、その意味は何?
解、五角形
「伝え聞くところによれば、ある朝、先代か、あるいは先々代の将軍家の夢枕に名も知らぬ神が現れ、これを授けたと聴いています。しかし受け取った御方はその夢枕について仔細を語らず、ただ後代に、将軍家の至宝として伝えるように言ったそうです。ヤオガミにはこれと同じ輝きのものが存在せぬため、将軍家の身分を証立てるもの、として身につけることとされていましたが、それほどまで貴重なものだったとは」
「存在したのか……」
コゥナは、どこか複雑な様子でそれを見つめる。
「過去に使われたことはないんだな? 使い方について伝わっていることも」
ユーヤが確認する。ズシオウは、襟元を直してから答える。
「そのはずです。過去に将軍家において、将軍や、第一王位継承権者が失踪したという例も聞きません。このような場だからこそ言いますが、ヤオガミにおいて将軍や、その世継ぎの失踪というのは国の大乱を招きます。仮にこの鏡の真の用途が伝わっていても、到底使えるものではありません」
ヤオガミの王も、おそらく先程の伝承についてのやり取りと同じ思考に至ったのだろう。超常的存在から渡された器物なことは認めるが、王の身柄を代償とする儀式など御免だと。
「そうか、ならばいい……」
コゥナはそう言って、そしていよいよそのことを言わねばならぬ、という覚悟に身を固める。
「――フォゾスの鏡は、奪われたのだ、あのハイアードに」
また映像が切り替わる、それは森の奥にある、石造りの寺院のような建造物だった。ユーヤの脳裏には東南アジアの仏教寺院などが連想される。
「バルビナフ霊廟……。我らランジンバフの森の一族を含め、十四の部族の族長が共に葬られる合斎霊廟だ。大乱期の以前から存在するが、五年前、ハイアードがクイズ大会で優勝した際に、この霊廟を調査したいと要求してきた。考古学的な位置づけを見出すため、大々的に学者を派遣して調査を行いたいと……。
調査は六週間におよび、それは数多くの論文を生んだと聴いている」
「……その霊廟に、鏡があったんだな」
「うむ、拝斎堂……祈りを捧げる場所において中央に安置されていたものだ。いつのまにか、精巧に作られた偽物とすり替えられていた。我々は鏡のすり替えを疑ったが、非公式の交渉も知らぬ存ぜぬで通されてしまった。そもそも何を持って本物とするかの定義もなかったため、偽物と断言できなかったことが交渉を鈍らせた」
そこまで聞いて、ユーヤは己の存在感を割り込ませるように発言する。
「一つ聞きたい……。もし、優勝時の要求として、鏡を直接的に要求された場合はどうなったと思う? あるいは譲渡ではなく、貸与だったら? 大族長トゥグート氏は断れるだろうか」
「父上ならばおそらく、渡すだろう。貸与ならばだが」
こともなげにコゥナは答える。
「しかし、すべての族長がそうとは限らない。そもそもバルビナフ霊廟の調査ですら、何人かの族長は頑なに反対したのだ。あの鏡はフォゾスにとっては祖霊の安らかなる眠りを象徴する器物となっている。貸与や譲渡となればおそらく誰かが、部族間の争いも辞さぬほど強固に抵抗するか、あるいは秘密裏にハイアードから奪い返そうとするだろうな」
「そうか……わかったよ、ありがとう」
「コゥナ様は、あの鏡を取り戻したい」
その体は線が細く、幼さや脆弱さの印象はまだ抜けきらぬ身であったけれど、コゥナはそれだけをずっと考え続けている、という風にはっきりと言う。
「妖精王祭儀のクイズ大会が友誼の場として重要なことは分かっている。しかし、あえて言おう、フォゾスは今回の大会、ハイアードの優勝の阻止のためならどんな協力でもするつもりだ。そしてこの場にいるいずれかの国が優勝した場合、ハイアードに鏡の返却を申し出て欲しい。そのためなら、フォゾスにとって可能な限りの礼をするつもりだ」
――
それは。
ユーヤの感覚に照らしてみれば、そのコゥナの発言を客観視することが残酷に感じるほどの、有り体に言えば「ぬるい」言葉であった。
それを打擲するような言葉ならいくらでも浮かぶ。
ハイアードが鏡を盗んだという証拠はあるのか。
優勝の阻止のためにどんな協力ができるというのか。
所持していないとシラを切られたらどうするのか。
ハイアードは鏡を「集めて」いるのか、それとも目的にかなう鏡を「探して」いるのか調べたのか。
鏡の情報を流布すること自体が危険だと感じないのか――。
静寂を縫って、ズシオウが口を開く。
「ヤオガミが優勝した時のことについては、国元よりは特段の指示は受けておりません、フォゾスにも協力できると思います」
それは国元も、ズシオウとベニクギの優勝は期待していないからだろう、とさすがに誰もが思ったはずだが、ユーヤは発言を控える。
ユーヤの細く長い、神経質そうな両の指はテーブルの下で組み合わされ、二つの親指を絡み合うようにくるくると回す。
「ユーヤ様、どうすればいいのでしょう」
エイルマイルが、唇が頬に触れるほどの距離で耳打ちする。ユーヤは目を伏せたまま短く逡巡し、やがて口を開く。
「コゥナ、ハイアードの優勝阻止についてはセレノウも協力できる。もしセレノウが優勝した場合は、鏡の返却を要求してみよう」
「そうか、恩に着る――」
「ただ、僕たちは自分たちの国の鏡が狙われているとも感じている。そのためヤオガミと、そしてパルパシアと接触したんだ、ハイアードが優勝した際に、その要求に六カ国全体で反対票を投じるために」
「反対票ならばフォゾスも協力できるが――」
ユーヤはうなずき、横のエイルマイルを見る。
「ならば次はラウ=カンかシュネスということになるが……エイルマイル、どちらかと接触できる機会を作れるかな」
「ラウ=カンの見翁さまでしたら、こちらから会食したいと打診すればお会いできるかと。普段ならば日数のかかる会見ですが、妖精王祭儀の時期にはそんな突発的な交流が多々行われます」
「シュネスのアテム王どのは到着が遅れている。どこかの都市で内紛が起きたとかで国に留まっているのだ。妖精王祭儀での会議や会談などは外務大臣が行っている。おそらく明日には到着できるという触れ込みだが……」
ガナシアがそう告げる。ユーヤは少し視線を落とし、そして何かを断定するように言う。
「では次はラウ=カンだな、接触の機会を設けてくれ、交渉してみよう」
「ちょ、ちょっと待たぬか! パルパシアは協力するとは言っておらんぞ!」
テーブルの端の方から抗議の声が上がる。ユーヤはどこか面倒臭そうな気配をあえて出し、眼球だけを動かして双王を見る。
「パルパシアはハイアードの妙な動きに気づいていたんだろう? 昨日そう言っていたな」
「き、気づいていたと言っても、どうもここ数年、何かを探しているようだ、という程度じゃ。ほうぼうに網を張って、ようやくセレノウの動きを掴めただけじゃが……」
「何でもいい、ハイアードの不穏な動きを「警戒」していたなら、その「抑止」にも協力できるはずだろう」
「し、しかし」
渋る様子の双子に、ユーヤは噛んで含めるように言う。
「分かっているのか? パルパシアの鏡だっていつ狙われるか分からないんだぞ」
「わ、我らは別に鏡など必要ない……」
「君らが良くてもこっちが困る。もしハイアードが何かの目的のために鏡を探していて、パルパシアの鏡が目的にかなうものだったらどうなると思う。フォゾスの鏡は半径7ダムミーキの陸地を生み出す、これは天変地異に等しい現象だ。それほどの力を悪用されでもしたら、大陸が混沌に陥る可能性すらある。王として自覚があるなら大陸の安寧を考えるべきだ」
「うぐぐ、そ、それはそうじゃが」
「そ・れ・と・も……」
ユーヤが立ち上がりかけると、双王はまたがりがりと机の脚を鳴らして引く。
「あああああ、わ、わかった。何でも協力する!!」
その怯えようにさすがに気の毒さも覚えたが、ユーヤはふんと鼻を鳴らしつつ着席する。
「それじゃあ反対票の件に関してはフォゾスとは話がついたことになるな。いいペースだ、あと二カ国じゃないか」
「そうですね……これから使いを出しますので、おそらく夜には御会いできるかと」
エイルマイルも、やや緊張してはいたものの、どことなく安堵の気配が見える。
「それじゃあ夜まで暇になるな……よし、コゥナ」
「うむ、何か打ち合わせることが」
「デートしよう」
ユーヤのその発言に。
時の流れが、10秒ほど停止した。
※
黒錨都ハイアードキールとは造船の街であり貿易の街。
世界中のあらゆる文化が入り混じり、あらゆる人種、食材、芸術などが行き交う街でもある。
そして年に一度の妖精王祭儀の時期においては、人々は忙しさもしばし忘れ、七日と七晩のあいだ祭に興じることとなる。それはまさに、一年をかけて巻いたネジを解放するようなエネルギー。
ハイアード開催の祭りも今年で7年目、この日のために蓄財してきたと言いたげに人々は大枚をはたいて着飾り、酒を飲み、異性を口説き、あるいは王たちのクイズ大会に熱狂する。
そして大通りには人が満ちている。まさに押し合いへし合いのありさまで、人の波が大河の流れのようである。しかし七年目ともなると慣れたもので、多くの衛兵が出て人の流れを整理し、一方通行を定め、数多くの休憩所なども用意されている。
さらにイベントを広範囲に分散させ、美術館や公的施設などを無料で開放し、一箇所に人が集まらないようにしている。表通りから裏通りへ抜けられる店では、ちゃっかりと通行料なども取っている。そして大通りの左右にずらりと並ぶ屋台、縦横無尽に練り歩くパレード、数え切れないほど開かれる小さなイベント。大陸の熱気を一点に凝縮したような騒ぎである。
「すごい人だな、ここまでの祭りはちょっと見たことがない」
「ハイアードキールだけで人口は250万だからな、さらに、ほぼ同数の観光客が世界中から来ているらしい」
左手側から声がする、そこにいるのはフォゾスの姫君、コゥナである。人波にはぐれないよう、ユーヤの腕を掴んでいる。
「そんなに来てたら宿泊する場所がないだろう」
「そのために、海上に宿泊用の大型船舶がいくつも来ているらしいな。この数年で新しいホテルも複数できたし、民間の宿屋も部屋を拡充したり……」
「その話も興味あるが、パンの屋台ないかな。お金ならそれなりに預かってきたから、何か奢るよ」
「こ、コゥナ様は子供ではないぞ。祭りではしゃぐ気はない」
「いや僕が食べたいんだけど……」
ユーヤとコゥナ、ともにハイアードにとって異邦人である二人は、人のひしめく大通りを進んでいた。コゥナは丈の長いスカートをはいて足に描かれた模様を隠していた。顔の化粧などはそのままだが、もとよりコゥナより遥かに奇抜な格好の大道芸人や客引きの女、あるいは意味もなく仮装しているだけの一般人などが大量にいるので、コゥナだけが特に目立つというほどでもない。
「それより、なぜ急にデートなのですか?」
今度は右手側から声がする。
それは白いボタンシャツに茶のズボンという簡素な服装、大きな黒っぽい色眼鏡で目元を隠した人物だった。
「いや、せっかくの祭りだし、コゥナも見たかったんじゃないかなと」
「別に見たくなどない! それに、なぜそいつが同行するのだ!」
「それはもちろん、ユーヤさんが心配だからです」
ボーイッシュな姿に変装してはいるが、その人物は性別のない時期だという。
ヤオガミの国主名代、ズシオウは、ユーヤの腕にひしと抱きついて澄まし顔だった。