4 (三択早押しクイズ 2)
そして
「正解!!」
アナウンサーの女性が、肺にいっぱい息を吸い込んで声を張る。
「10ポイント先取にて! ユーヤ選手の勝利でーーーす!!!」
観客が、爆発する。
ユーヤたちには全体が見えなかったが、公邸の外に広がる人垣、それはもはや二千人に達しようとしていた。熱狂が人を呼び、忘我の叫びが天を突くかのごとく轟く。
庭の立ち木から七色の光が登り、互いに絡み合いながら螺旋の虹となって巨大な弧を描く。人々の間をオレンジや緑の光球が飛び交っている。花火とは違うようだが、あれも妖精だろうか。ユーヤにはそれをまじまじと観察する余裕はなかった。観客から、大使館の使用人たちの中から、男手が何人も飛び出してきてユーヤに群れ集い、その体を抱えあげて胴上げを始めようとする。その外側には若い女性たちが集まり、熱のこもった目で黄色い声を浴びせる。
「勝利者に喝采を!」
「男は出てこい! 勝者を胴上げだ!」
「う、うわ、ちょっと」
ユーヤはというと困惑していたが、その実、この世界に来て初めて純粋に喜んでいるようにも思えた。喝采と称賛、そして楽しい時間を過ごした後の心地よい疲れ、それがユーヤの頬を緩ませているように思える。
その横側を遠く見て、エイルマイルは両手を組み合わせていた。
そして頬を一筋の涙が伝う。悲しみでも、単純な感動でもない、何かしらの感極まった涙であった。
「……ユーヤ様」
やはり、と、静かな確信が、熱となって身中に生まれる。
「やはり、間違っていなかった、伝えられていた秘儀の記録も、そして姉さまの決断も――」
涙はその勢いを増し、姫君と冠される少女は拭い去ることも忘れ、ただ滂沱のままに――。
※
狂瀾の時間が過ぎ、観客達がようやくすべて帰ったのはそれから一時間も後のことだった。おそらくは彼らは酒場で、それぞれの家庭で、そして明日の職場で、今日の決闘を何十回も語って聞かせることだろう。
「ううっ……」
その熱気の名残とは全然関係なく、脂汗を浮かべて立ち尽くすのはガナシアである。
ここは大使館の食堂、20人が一同に会せる長方形の大テーブルがその重心であり、部屋の片隅では大使館つきの使用人たち、執事、料理人、その他小間使いなど男性陣が集まって、ユーヤを交えて何やら真剣に話し合っている。
ユーヤがその中心になり、彼を介して何かをやり取りするかのように、男たちが次々と発言している。
「そうですな、私ならやはり水着でしょうな、すぐにでも街で調達してこれますが」
「いやいや、やはり王道の下着でしょう、それで歌でも歌ってもらうとか」
「ユーヤ様、憚りながらバニーガールなど良かろうと存じますが」
「へー、この世界……もとい、この国にもバニーガールあるんだな」
「はい、私めの大好物でして」
恰幅のいい腹の料理人、白髯をたくわえたベテランの執事、真っ黒に焼けた筋肉質の庭師、そんな男たちが額を突き合わせて議論している。
「男どもってサイテーですわね」
「まったくですわ、ガナシア様にどんな破廉恥なことを要求する気かしら」
黒のエプロンドレスに身を固めたメイド集団は食堂の反対側に陣取って、男どもの熱心な談義を冷ややかな目で見ていたものの、特に止めることもなく推移を見守っている。中にはガナシアの方をじっと見ながら、その羞恥の予感に打ち震える衛士長に、何やら熱い吐息を漏らす者もいる。
「ああ……おかわいそうに、ガナシア様、いったい何をさせられるのでしょうか……」
「大丈夫よっ、ガナシア様ならどんな辱めにも耐えられるはずっ、その勇姿はちゃーんと銀写精で写真に残しておかないと!」
「あらあら、私はもう藍映精を手配しましたわ、ふふ、やはり映像で残しませんと」
男どもの会議はまだ続いている。
「園児服というのはいかがでしょう」
「おい、さすがにマニアックすぎるだろ、ガナシア様にそこまでさせるのは」
「ガナシア衛士長どのは筋肉質なようですが、胸囲は1メーキ近くありますからな、やはりそれを活かすべきかと」
「1メーキ……その単位わからないな、執事さん、あなたの身長はいくつだ?」
「は、1メーキと67リズルミーキです」
「なんだ、じゃあメートル法と大差ないな、100リズルミーキで1メーキか」
「ユーヤ様、実は私の妹が病院で働いておりまして、ナース服なら今夜中には調達を……」
「あの……ユーヤ様……その」
おずおずと、手を上げるのはエイルマイルである。彼女は男性陣の異様な盛り上がりと、ガナシアの震えている意味がよくわかっていないようで、おろおろ目を泳がせながら双方を何度も見返していた。
「その、そろそろ、今後のことについてご説明をしたいのですが……」
「ああ、そうだったな、じゃあみんな、とりあえず1案から6案まで用意しといてくれ」
「かしこまりました」
息の合った様子で声を揃え、男の使用人たちはぞろぞろと食堂を出ていく。その大股の足取りにガナシアだけが不安を募らせる。
「な、何でもするとは言ったが、そ、その……」
「心配するな、さすがに脱がせたりはしない、ちょっと罰ゲームとして、こっちの用意した服を着てもらうだけでいい、男性陣で話し合って用意するから」
「そ、それが不安だ……」
「それでクイズ大会だったか、まず聞きたいんだが、それはいつ行われるんだ?」
ユーヤは椅子に腰掛け、食堂の大テーブルの上で手を組み合わせる。
「はい、四日後です。厳密に言えば祭儀のセレモニーは昨日すでに終了していますが……」
「四日後か……」
ユーヤはわずかに唇を噛む。四日があまりにも短いことは明白である。クイズに限らず何かを成し遂げることはおろか、成し遂げるべきことが何かを知ることも覚束ない、異なる世界はおろか、異なる国に慣れる時間にすら足らない。刹那に過ぎる時間なことが容易に想像できる。
「大会はまず予選を戦い、上位3カ国で決勝が行われます。出場するのは各国の王家代表、それと副官が一名です」
「じゃあ、まずハイアード獅子王国とやらについて聞かせてくれ」
「はい、ではこのテーブルに映写いたします」
その声を合図に、
息も控えめに待機していたメイドたちが、すばやく動き出す。
入り口を閉め、長めの梯子を持ち出して天井に登り、明り取りの窓の木戸を下ろしていく。また壁面にある巨大な窓に、カーテンとは違う黒の遮光幕をかけていく。十人ほどのメイドたちが、見事な役割分担ですばやくその準備をしていく。
エイルマイルはドレスの懐からペンダントを取り出し、その先端にはめられた銀塊のようなものをテーブルにかざす。
瞬間、その指先ほどの銀塊が光を放ち、白のテーブルに写真のような像が映る。
「――これも、もしかして妖精か?」
「はい、銀写精です。印画紙に形象を焼き付けることもできますが、このように暗所で固定映像を投射することもできます」
よく見ればそれは銀塊ではなく、人の姿をしている。手足を畳んで背中を丸め、静かに眠るような姿勢になっている妖精である。その額には3つめの目があり、そこから光が投射される。
光が描くのは日に焼けた地図である。どこかで撮影した地図を投射しているようだ。大陸の形状は全体的には踊る人影か、あるいは異形の怪物のようにも見える。地図の細部では河川が、森林境界を示すと思われる線が、そして国境線が複雑に入り組んでいた。地図は七つの部分に塗り分けられていたが、その北方の一角、大きなひし形の部分をエイルマイルが示す。
「ここがハイアード獅子王国、大陸ではシュネスに次ぐ面積を持ち、人口や経済規模も最大、数多くの大学や図書館を持つ大国です。名実ともにこの大陸の盟主と言えるでしょう。私たちが今いるのはここ、大陸最大の港でもあり、首都でもあるハイアードキールです」
そう説明するエイルマイルの横顔を、ユーヤはちらと盗み見る。そもそも彼が召喚されたのは、このハイアードとの因縁が原因だったはずだ。率直にその国力の豊かさを褒めるかに思えるエイルマイルの顔には、やはりというか、わずかな強張りが見て取れた。意志の力で極力それを見せまいとしているのだろう。
「第一王位継承権者はこの人物です」
映像が切り替わる、それは壇上にて花束を持ち、爽やかな笑顔を浮かべる男だった。周囲には紙吹雪や投げ花が舞い、先ほど決闘の時にも見たような虹色の螺旋が見える。やはり、その光の演出も何かの妖精であるらしい。
その髪はエイルマイルと同じく金、より色素が薄いために白に近く見える。すらりと背が高く、おそろしく切れ長の目に整った薄い唇。小さめの額と高い鼻を結ぶラインは実に調和が取れており、肉体の方は絵に描いたような柳腰ではあるが、立ち姿には隙のない気品が感じられる。
はっと人の目を引く華やかさ、匂い立つような品位、見ているだけでその思考が占拠されていくような妖艶な美しさ、そんなものが同居している男である。その表情はというと実に淡いものだった。ごくわずかに唇の端を綻ばせるような笑い。作りものの表情のようでもあるし、それ以上に相好を崩すということが期待できない人物のようでもある。
「嫌味なぐらい美男子だな……背も高いし」
「ジウ王子は、まさにクイズの神に愛された男と言う他ない」
ガナシアが、ようやく少し落ち着いた様子でそう発言する。
「ジウ=ハイアード=ノアゾ第一王子。眉目秀麗であることは見ての通りだが、その才覚は相当なものだ。10歳で大学相当の学問を終わらせ、12歳からハイアードの執政官筆頭を務めている。また武名にも優れ、短剣術と弓術においてはハイアードはおろか、大陸でも指折りの使い手だ」
そして、と間をおいて言う。
「クイズにおいてはまさに圧巻の強さだ。15歳で初めて国王の名代として出場し、それから21歳の前回大会まで7連覇を成し遂げている。他を寄せ付けぬ圧倒的な強さなのだ」
「副官は? クイズ大会は二人一組での参加なんだろ?」
ユーヤはその王子の経歴など何事でもないかのように、小首をかしげて尋ねる。ガナシアは少し気勢を削がれるような思いがしたが、さほど間を置かず答える。
「副官は何度か変わっているが、いずれもハイアード国内で碩学とか英傑と呼ばれる人物ばかりだ。今年はおそらくジュベラック上級書記官、この人物だろう」
映像が切り替わる、頭髪がすっかり白くなっているものの、深い落ち着きを宿した細身の老人が映る。
「だが、やはりジウ王子だ、この人物の実力は他の国の代表を大きく超えている。いや、もはや歴代最強と言ってもいい」
「そういう賛美の表現は要らない。僕たちはこの人物に勝たなければいけないんだろ、褒めるだけ相手への気後れが募るだけだ」
「……それはそうだが」
言われて、ガナシアは少し不服そうな顔をする。ユーヤの今の言は正論だが、それはジウ王子の天稟を知らぬためだ、と言いたげである。
「それで、まずそのジウ王子が突きつけてくる要求とは何だ? それを防ぐために僕を呼んだんだろう?」
「……これです」
エイルマイルが差し出すのは、七角形の板のようなものである。
大きさは両手で覆えば隠せる程度、七角形のためかどことなく不安定な印象だが、その表面は美しい虹色にきらめいている。
それは発光というわけではなく、油を塗ったような表面のきらめきだった。銀妖精の光の余波を受けて七色に揺らめくような光、金属のような樹脂のような、乳白色の素地がまずあり、表面にプリズムのように色彩が散乱している。いったい、素材が何なのか、どのような意図のある物体なのか、まったく窺わせないような雰囲気があり、この世のものではないような、という形容がユーヤの脳裏をかすめる。
「僕を召喚した時に持っていたものだな?」
「はい……これは妖精の鏡、ティターニアガーフと呼ばれるものです。我が国にこの一枚しか存在しない、妖精王との契約の証なのです。あの時説明したように、現王、あるいは第一王位継承権者の肉体と引き換えに、異世界から人間を召喚することができます」
「とんでもないお宝じゃないか。いくらクイズ大会とやらの約定があっても、他国に渡せるようなものじゃないだろ。あれこれ理由をつけて断ればいい」
「……。それは……無理なのです」
エイルマイルは一度言葉を探すようにテーブルを見つめ、その手に持つ銀の妖精を胸に押し当てて言う。
「このティターニアガーフの本当の用途は国家機密なのです。これは我がセレノウの王室に伝わる宝ですが、一般的にはただの宝石、つまり軟玉石として知られています。数年に一度、首都セレノウフェムの博物館で公開されるのですが、おそらくハイアードは、美術品の貸与という形で要求してくるはずです」
「じゃあ破損したとでも言って断ればいい、あるいは盗賊に盗まれるとか」
「なっ……盗賊にくれてやるというのか!」
ガナシアが言うのを、ユーヤはこめかみに指を当てて答える。
「そういう体にしろってことだよ、別に本当に盗まれる必要はない」
「む、そ、そうか、そうだな」
こほんと咳払いをする脇で、エイルマイルは沈痛な表情をする。
「無理です……。このティターニアガーフは、王位継承の儀式にも用いられる神聖なものなのです。行方不明にすることはできません」
「じゃあ真正面から、きっぱりと拒否すればいい。いくら何でも、国家の意志として拒否したものを、無理に奪おうとするわけがない」
「……それは」
エイルマイルは、薄暗い部屋で、さらに顔を伏せている。
ガナシアも言葉を発せず、急に周辺の空気が重くなったような、黒い大きな生き物が部屋に降り立ったような、そんな重苦しい気配が流れた。