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問、ネパールの国旗は、世界で唯一○○ではないことで知られている、それは何?
解、四角形
本来であれば妖精王祭儀の時期、このセレノウ大使館には来客が引きも切らぬはずであった。それはハイアードに居住しているセレノウ国民の代表であったり、商社の長であったり、時に俳優であったり文人であったりする。
しかし前日より、セレノウ大使館はその多くを断り、エイルマイル自身も公務は最小限にとどめていた。表向きの理由は第一王女アイルフィルの帰郷による混乱のため、その実はむろん、各国との秘密裏の交渉と、その検討に時間を使うためである。
それに加えて、この時はメイドを含め、すべての職員が控室での待機を厳命されていた。
暗幕を敷かれた食堂に王族と、その側近だけが集まり、セレノウ側はエイルマイルとユーヤ、そしてガナシアのみである。
それに加えて。
「なぜ我々がこのような場所に来ねばならんのじゃ」
「なんと狭い大使館じゃ、まるで犬小屋のようじゃ、窓の数が片手で数え切れるのではないか」
暗幕の降ろされた食堂、その中で燭台の照らす光が浮かび上がらせるのは、蒼と翠の双子。
いつものボディコン服に羽扇子という姿のパルパシアの双王も来ていた。長テーブルの端の方に着座し、心持ち二人で体をくっつけている。どうでも良い事だが、ユーヤはその格好がフォーマルと認められてることに心の底から驚いた。
「また折檻を受けたいのか?」
ユーヤが言うと、双子の王はびくりと身をすくませてこころもち身を引く。
「う、うぐぐ、おのれ我らを脅すか」
「お主なぞ怖くないぞ! 怖くないんじゃからな!!」
「ほう」
がた、と椅子から立ち上がりかけると、双王は飛び上がらんばかりの勢いで、椅子の脚をガリガリと鳴らしつつ後退する。
「ああああ! わ、わかった、わかったからその場にいてくれ!」
「よ、余計なことは言わぬから……」
その怯えきった様子は何事かと、ベニクギなどは内心疑問に思わぬはずもないが、問い質す雰囲気でもないので黙っていた。
そして、場の中央には褐色の少女。
黄色や橙の顔料の線で顔に線状の化粧をし、鳥の尾羽根や飾り布で全身を装飾したコゥナが、全員が静まるのを待っていた。
やがて、暗がりの中でテーブルに手をつき、ゆるゆると語り出す。
「セレノウ、ヤオガミ、そしてパルパシアのお歴々よ、急な呼びたてにも関わらず、よく集まってくれた。名誉ある大族長トゥグートが一子、コゥナ・ユペルガルが先ずそのことに礼を言いたい」
「集まってる面子については……僕が早馬を飛ばしてもらったのはヤオガミだけなんだが、パルパシアの二人はなぜここに?」
「コゥナ様が呼んだ。やはり双王にも知らせておくべきだと思ってな」
「我らは今朝方、パルパシアの大使公邸にて使いを受けたのじゃ。今日も朝から公務に学問に裁判にと予定がぎっしりじゃったのじゃが、どうしても緊急の用件じゃというのでな。ありがたく思うが良い。涙も許可する」
「……」
パルパシアを呼ぶか呼ばないか、コゥナとしては朝まで逡巡していたということか。そこにはコゥナの抱く迷いの大きさと、これから語らんとすることの重要性が同時に感じられる。
「用件というのはあれについてだ、マルタート」
横に控えていた太っちょの大臣が、汗を拭きながら革張りのケースを置く。この大臣はビアジョッキのように常に汗だくで太めながら、妙に影の薄いところがあり、そのように隅に引っ込んでいると誰かが呼ぶまで存在を忘れそうになる。
ケースの留め金を外し、中身を全員に示す。
「これだ」
それは三角形の板であった。大きさは人の顔ほど、全体は真珠のような大理石のような複雑玄妙な輝きであり、油で濡れたような独特の冷光を放っている。
「妖精の鏡……これがフォゾスに伝わっているものか」
ユーヤがごくりと息を呑み、他の面々も、あるいは驚き、あるいは困惑するような様子でそれを見る。
「そうだ、だがこれは偽物だ。昨日、パルパシアの鏡と、セレノウの鏡を見て確信した。よく似せてはいるが、これは何かの石材に真珠様の貝を貼った細工物、本物の濡れたような輝きには程遠い」
あの鏡がこの世のものではないこと、それはユーヤにも分かる。あの鏡は濡れるとか光るという表現すら適当ではない。あえて示唆的に言うならば、鏡の向こうには別の世界があり、摺り硝子を通してそれを見ているような印象だ。その発光は常に揺れ動き、色味は遷移し続けている。あのような物質はユーヤの知識の中にも一つもない。
「盗まれた、ということか……」
「そうだ、ではまず、この鏡がどのようなものかについて話そう」
コゥナは腰に下げた袋から銀の塊を取り出す。その手足を屈めた姿の妖精、銀写精の背中を擦り、その妖精が持つ額の目が光を放つ。暗幕に覆われた部屋で、一方の壁に映像が映る。
それは古代の絵画のようだった。大きな羽を持つ巨人と、枝を組んだように簡略化された人間が、六人。
「フォゾスにはこのように伝わっている。かつて大陸全土で戦乱を極めた大乱期、その中で妖精王が降臨し、六人の王にクイズと妖精、そして妖精の世界との扉を与えた、これが妖精王との絆であると告げ、人々には武力ではなく、知力で争うように教えたという」
「セレノウにも似たような話が伝わっています」
エイルマイルが言い、コゥナは短くうなずいて先を続ける。
「だがこれは昔話ではない、フォゾスには口伝という形で、族長だけに伝わっている事実だ。いわく、六つの国にはそれぞれ1つずつ、妖精の世界と通じる鏡があり、その鏡は王か、あるいは王を継ぐ一人だけが通ることができる。そして、その一人と引き換えに、この世に特別な力を示す、と」
「その話は、確かにパルパシアにも伝わっておる……」
双子の王が、おずおずと発言する。
「しかし、それは「王の身柄と引き換えに、妖精と取引できる」というものじゃ。具体的に何が起こるかは伝わっておらぬぞ」
「むしろそれが自然だ。この鏡についてはどの国でも秘中の秘、そしてなるべくなら、具体的な効果など伝えたくないと思うはずだ」
「なぜ……」
と言いかけて、双王もはっと口をつぐむ。
その先はユーヤが引き継ぐ。
「王の身柄を10年預かることと引き換えに、特別な効果を得る、それは言ってみれば王を生贄にする儀式だからな。その効果を知れば、いつ誰に悪用されるかわからない。そうでなくとも、国の危難に際して王の身代を使えるという発想自体を封じておきたい、それが自然な考え方だと思う。できれば王族だけがその秘密を独占し、永遠に使われないままのほうがいい、さらに言うなら、鏡のことなど忘れ去ってしまってもいい、というわけだ」
「コゥナ様もそう思う。事実、フォゾスでも過去に二度しか使われていない。口伝の上では、だがな」
映像が切り替わる、それは古い地図のようだった。全体が緑で埋め尽くされ、その中に大河の線が走っている。
図が切り替わる、大河に沿って、ほぼ球形の黄緑色の部分が生まれる。その部分が切り開かれて平野になったということか。
さらに切り替わる、大河は流れをほとんど変えぬまま、球形の緑色の部分の真下に、もう一つ黄緑色の球形が生まれる。
「この図が分かるか?」
コゥナの質問を受けて、エイルマイルが声を上げる。
「ええ……三枚目の地図が現在のフォゾスの首都、十字の路地が走る街、十字都フォゾスパルですね。その真南にある切り開かれた土地が、第二の都市であるフラマーグでしょうか」
「そうだ、だが奇妙だとは思わないか、なぜこのように真円に近いほど球形に切り開かれるのだ。この円の端の部分は大河マーグミールより7ダムミーキも離れている。川の流域に沿って切り開くなら、もっとノコギリの歯のように、川に沿ってギザギザに切り開かれるのではないか」
「それは……確かに」
「フォゾスの鏡は、土地を生み出す」
コゥナが言い、脇にいたマルタート大臣はわずかに身をすくませる。百数十年の間の秘密が、ついに暴露されたことを畏怖するかのように。
「え――」
「間違いない。このフォゾスパル、そしてフラマーグと呼ばれる土地の周辺において、古代に大規模に森が切り開かれた形跡はなく、またそれより外の地形も、古い地図と現在とでは微妙に食い違っている。本に新たなページを挟み込むように、粘土で作った人形に無理やり新しい粘土をはめ込むように、この大陸には過去に二度、新たに土地が生まれているのだ。それに伴って、大陸全体が僅かに膨張していると思われる」
全員が、さまざまな反応を見せる中、しかし誰も発言はしない、話がどこに向かうのかを見極めるため、コゥナの次の言葉を待つかに見える。
「学者などは、古い地図と現在の地図との不整合について、測量技術の精度がどうとか、地殻運動における未知の現象がどうとか理由をつけている。鏡のことを知らぬ学者がそういう結論になるのは無理もないところだ。コゥナ様でも、口伝を聞いてなければ想像すら及ばぬ」
コゥナは一度言葉を切って、地図をじっと見つめてから続ける。
「平野を半径7ダムミーキ、それは確かに広大な土地だ。一人の人間の10年と引き換えにするには余りあると言っていいだろう。そしてここからが肝心なのだが、フォゾスの伝承にはこうある、6つの鏡には、それぞれ全て異なった力がある、と」
「異なった力……」
異世界から、人間を召喚する。
ユーヤの脳裏をその言葉がよぎらぬはずはない。フォゾスの鏡が生み出す土地が半径7ダムミーキとすれば、その面積は153.86平方ダムミーキ、一つの市に匹敵する広さである。金銭的価値にすれば小国の国家予算並みか、それ以上になるだろうか。それだけの価値が、異世界の人間一人にあるとでも言うのだろうか。
「ハイアードは、この鏡を集めていると踏んでいる」
コゥナは言葉に力を乗せ、話が核心に入ったという意思を込めて言う。
「ハイアードが何を望んでいるのか、それは分からぬ。だが土地とは考えにくい。ハイアードが何を望むにせよ、それは阻止されねばならない。鏡は人の世の大難を打ち払うために使われるべきもので、富めるハイアードが使うべきものではないのだ」
ユーヤは、うなずきと首を傾げるのの中間のような、曖昧な反応をする。
「そして、ここで一つだけ確認しておきたい」
コゥナが言う。騒然としかける場に緊張が走る。
「ヤオガミの国主代理であるズシオウ、そしてベニクギ、貴殿らの国に、この鏡は存在するのか?」
「……わ、我がヤオガミに、でござるか」
「そうだ、先日、コゥナ様が国屋敷を調べた限りでは見つからなかった。何か心当たりがないか聞きたい」
「なっ――」
ベニクギが硬直し、そして連想が矢の速さで走る。
――国屋敷に入った賊 緑倉院 物が散乱するだけの 何かを探していたかのような
「あの賊は――」
「あります」
ベニクギが何かを言いかける寸前。ズシオウが発言する。
「若様!」
「最初から、相談に乗っていただければよかった。もし緑倉院に忍び込んだとき、ベニクギと鉢合わせていたなら、あなたも只では済まなかったはず」
「申し訳なく思っている。コゥナ様も……悩んでいたのだ」
ズシオウは白装束の襟元をほどき、右肩を肩甲骨のあたりまで下ろす。そのあまりにも白く、儚げな印象の肩がのぞく。肩口には赤い組紐が巻かれ、結わえ付けられた円形の飾りが見える。大きさは親指と人差指で作る環ほどしかない。
ズシオウはその組紐を外し、右手の袖口からするりと引っ張り出す。そしてテーブルの上に置く。
それは――九角形の鏡
「銀散花釉紋袖飾。ラウ=カンと国交が持たれる頃から、ヤオガミの将軍家に伝わっているものです」
その白く揺らめくような光沢、この世のものではない輝きに、ユーヤは不気味さを覚える。
この鏡はそもそも人の所有物なのか。暗謀も策略も、すべては妖精王とやらの手の平の上での事象ではないのか。人間の社会とは、つまりは妖精世界の領地に過ぎないのではないかと、そんな不吉な想像が沸き立つのを止められなかった――。




