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異世界クイズ王 ~妖精世界と七王の宴~  作者: MUMU
第三章  虎闘 一問多答クイズ編
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その場所は暗く、冷たく、空気の動きが乏しかった。


それはきっと地下であったのだろう。推測しかできぬのは、その人物は気を失っている間にここに運ばれ、そして今の今までずっと、真の闇の中にいたからだ。


賑やかで活気に満ちる紅都ハイフウにあって、この場所だけは音と、そして一切の熱と無縁に思える。


石の床を何かが這う音、水滴の落ちる音、綿埃のような羽虫の気配。それだけを追ううちに無限の時間が流れるかに思え、思考の中で言葉や自意識というものが溶け崩れていく。頭の中で細く灯る意識の火、その火がもし消えれば、二度と灯されることはないだろうという昏い予感。


その人物は、そこにずっと立っていた。自らの意思でそうしていたのではない。両の手首と、首に環が回されている。鎖に繋がれた三つの金属環が彼女をそこに立たせていた。鎖は天井に繋がれ、この世の終わりまで千切れることはなさそうな強固さを漂わせる。金属の輪で手首の皮は擦り切れ、冷たい石の上で足は血色を失い始めている。頭の上には氷のように冷たい水滴が落ち、それが眠りを妨げる。その水滴の他に、命をつなぐものも与えられていない。金属環を除けばひとすじの糸すら身に着けておらず、体温は空中に拡散していく一方に思われる。


「――いるか」


何かが聞こえた。それが人間の声だと意識されるまで数秒を要する。


「生きているか」


それはしわがれた老人の声だった。金属の擦れ合う音が聞こえる、武装した衛兵を連れているようだ。縛られていた人物はきつく目を閉じる。視力の弱った目には燭台に灯される火が眩しすぎる。


「はい」


その人物、この場所に長く幽閉されていた囚人の答えに、老人は少なからず驚いたようだ。感嘆の息を漏らす。


「よく生きていたものだ。頭頂を穿つ水滴のみで二十と七日を生き延びさせるという泪監刑レイジアンシン、本当に耐えきる者がいたとはな」


老齢のためにひどくかすれた声だが、芯の部分に強い張りが残っている。


「だが、お前を出してやるわけにもいかぬ。土牢には移してやるが、一生を飼い殺しとなろうな」


哀れみをかけるような気配は微塵も見せず、老人は淡々と言う。


「外に出す以外なら、一つだけ望みを聞いてやってもよい。何なりと言ってみるがいい。いっそのこと、ここで人としての生を終えるというのも意義ある選択やも知れぬぞ。日の目の当たらぬ場所で数十年を過ごすのも辛かろう」


むしろそれを望むがいい、という物言いである。実際、それはこの老人なりの慈悲と言えなくもなかった。燭台に照らされた地下牢の中で、囚人の見た目は想像していた以上に惨憺たるものだった。


「では、私は……」


その囚人は、幽鬼のような弱りきった声をこぼす。


「私は、あなたの側にいたい」

「ほう、儂の側女そばめとなるか、それとも後宮の一員となりたいか?」


老人はいくぶん興が乗ったように言う。そのような奇天烈なことを言い出して、関心を引こうとする囚人もいくらか見てきた。いわく、私はあなたのために命を投げ打つ兵士になれる。あなたのために他国に潜む密偵となれる。何もできないが、何かしらお役に立てるはずだ――。

しわがれた声は、囚人を試すように言う。


「だが、後宮入りとなれば平民出から見れば破格の出世。囚人の望みというには高みに過ぎる。その願いを聞き届けるなら、儂にも幾分の意味がなくてはならぬな。お前を側において、儂にどんな得がある」

「私は、あなたに歓びを与えられる」


囚人はそう言う。


「およそこの世にある中で、最も大きな喜悦を――」


その言葉に老人は、この紅都ハイフウに君臨する王、見翁ゼンオウは、


あらためて、蔑みの視線を投げ落とした。









問、パスカルの、シェルピンスキーの、ルーローの、といえば、後に続く図形は何?


解、三角形






朝の食堂にて。

ユーヤはいきなり疲労困憊であった。テーブルに突っ伏して弛緩している。


「ユーヤ様、どうかなされましたか?」


侍従長のカルデトロムが尋ねる。


「あ、あのメイドたち……昨日も深夜まで僕の服を仕立て直してたのに、なんであんなに元気なんだ……? 今日は身支度に加えて、マッサージしましょうとか、首の骨が歪んでますとか……」

「モンティーナのマッサージですな。あれは垢スリに加えて整体や爪とぎ、入れ墨にピアッシングと、人体にまつわるあらゆることを習得してますからな。大使館の男どもも、ひと通り手にかけております。なまじメイドの中でも色気があるだけに、新人の犠牲が後を絶ちません」

「手にかけるという表現がすごく適切だな……」

「まあそれより、朝食にいたしましょう。今日も特製のパンをご用意いたしました」

「よし! パンだな!」


と、にわかに元気を取り戻して上体を起こす。


「本日はこちらを」


その声を合図に、水色リボンのメイドが持ってくるのは銀の盆である。その上には何やら塩の塊が乗っている。大きさは一辺30リズルミーキほどの立方体。一部が焼け焦げており、熱気と白煙がうっすらと漂う。

その塩の塊をカルデトロムが木槌で叩けば、中から現れるのは葉の塊である。中にある一回り小さな立方体を、ゴムノキのような楕円形の葉で巻いているようだ。


「ほう……これはいわゆる貧乏鳥かな。鍋も釜も持たない貧乏な男が、鳥を葉でくるんで土中で蒸し焼きにしたという……。泥だと不衛生だし、塩の風味をつけるために塩で包んで蒸し焼きにしたものか」

「そのような鳥料理がラウ=カンにあるようですな。ですがこれは違います」


外側の大きな葉を取り除くと、何やら食パンのような四角いパンが現れる。表面は灰色と黒のまだらになっており、まるで古びた古代遺跡のようだ。水色リボンのメイドはまた別のパンを用意している、コッペパンに似た半球形のパンであり、中心にナイフを入れて二つに割り、葉物野菜やハムの薄切りなどを挟んでいる、なにかメインの具を挟む前の下準備に思えた。


「……?」

「ユーヤどのはご存知ありませんか、これはシュネス風のゾルドゥラッグ、パンの塩漬けでございます」

「なっ!?」


驚愕を顕にするユーヤ。


「焼き上げたパンを強く圧縮し、葉で包んで塩で固め、さらに岩塩と、砂漠の砂を混ぜたもので満たした壺に漬け込みます。その際に多種多様な香辛料、羊や鳥の干し肉、ある種の樹皮、ココナッツやアンズの干果などを入れて風味を付けます。そうして二年ほど熟成させると、強い塩味の石のようなパンが生まれるのです。パンは周囲の塩ごと掘り出し、霧吹きで水を吹き付けながら1時間ほどローストすることで柔らかさを取り戻すのです」

「なんという手間のかけよう……それはもはや保存のためじゃないな、調理としての塩漬けか」


見れば、メイドは蜂蜜に卵白を混ぜたものを一心にかき回している。そうするうちに金色の綿のようなものがボウルの中で膨らんでくる。


「このパンは塩味がきついために、別のパンで挟んで食しますが、このグルーモウという蜂蜜がよく合います。見ての通り卵白と合わせてかき混ぜると細かい泡となって、淡い甘さが塩味を引き立てるのです」

「こりゃすごい……メレンゲというより、まるで最新の分子料理だな、蜂蜜にも色々と常識を超えた性質のものが……」

「ユーヤ様、お客様なのでぇす」

「後にしろ!!」


間髪を入れずの怒鳴りに、紫リボンのメイドもちょっと気圧される。


「おおう……ですがユーヤ様、ヤオガミの国主代理さまなのでぇす」

「なに、ズシオウが……」


ユーヤは数秒ほど、膝をガタガタと震わせる。

立ち上がろうかパンを待とうかの、そんな極限のためらいであった。








「ユーヤさん、おはようございます」


ロビーに通されていたのは、いつもの通り袖が長めの白装束、それに木彫りの面という姿のズシオウである。鼻から上を覆う面の奥で、ユーヤを見つけた目がきらきらと光って見える。その背後には赤い着流しの傭兵、ベニクギも控えている。


「ああ、おはよう」


ユーヤはロビーの椅子に腰を下ろす。その背後にはなぜか銀の盆を持つメイドがいて、パンとサラダ、紅茶などを乗せている。


「すまない、昨日から食事を取る暇もなくて、何か腹に入れていないと倒れそうなんだ」

「いえ、私達も早く着いてしまいました、どうぞご自由にされてください」


ズシオウが言うが早いか、ユーヤの手がパンの一つをひっつかみ、金色の泡が乗ったようなパンにばくりと噛み付く。


「ふふ,よほどお腹が空いてたのですね」

「まあ無理もないでござるな、話は聞いてござる、昨日の深夜はパルパシアの双王と戦ったとか」

「ええ、私も驚きました。しかもパルパシアが得意とするイントロクイズでの決闘だったとか……ユーヤさん?」


ズシオウとベニクギが話を向ける先で。


「かっ……」


ユーヤは、パンを頬張ったまま固まっている。

その目は見開かれ、耳まで動くほど顔全体に力が入り、指先はぶるぶると震える。


「あの、どうかされましたか」

「ぐ、い、いや……」


ようやくパンを飲み込み、どこか名残惜しそうに紅茶をカップいっぱい飲み干すと、肺の空気を一気に吐き出すように深く息をつく。


「す、すさまじい……」

「?」

「いや、その、何でもない……。と、とにかくパルパシアのことじゃなくて、今日はコゥナの……フォゾス白猿国のお姫様から話したいことがあるそうなんだ」

「フォゾス……昨日の夜会でお見かけした方ですね。フォゾスの狩猟民がクイズ大会に出てくることはなかったので、我々も初めてお目にかかる方でしたが」

「ああ、僕はマルタートとかいう大臣の方は見たことあったけど」


「まあ、ヤオガミのズシオウ様、よくお越しで」


そこへ、すでに淡い色のロングドレスに身を包み、来客を迎える装いのエイルマイルが現れる。

にわかに騒々しくなりかける大使館の朝の光景。

来客がエイルマイルに気を取られた隙に、素早く次のパンに手を伸ばすユーヤであった。







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