31
ユーヤは腰に手を伸ばし、ラジオのスイッチを切る。
ガナシアは、今の今まで呟き続けていたラジオの存在、その奇妙な違和感に首を傾げながらも、ともかくユーヤの言葉を聞く。
「双王が何かを知りたがった、その動機、それは元はといえばこの妖精王祭儀そのものだ。そこに何らかの奇妙な気配が流れていること、何か不穏な動きがあることを察した人物がいた。ヤオガミの傭兵もそうだし、あの双王もそうだったんだよ」
「我らは、仲間はずれにされることが嫌いでの」
と、階段を降りつつ、スカイブルーの双王が告げる。
「そちらのタキシードの殿方には改めて名乗っておこうかのう。パルパシア第一王女、ユギ・パルパシアじゃ。もう一人は第二王女のユゼ・パルパシア。しかし我らの間に上下の区別はない。パルパシアにおいて双子は対等じゃ。我らは二人で王であり、双子都市と呼ばれる隣接した二つの街を王都と定め、二つの王宮にそれぞれ君臨しておる」
「それで政治がちゃんと機能するのか……?」
ユーヤがぽつねんとこぼす。階段にいたユゼ王女が、胸をそらしてふんと鼻を鳴らす。この双子は実に息が合っており、二人で一人の人物のように発言する。どちらの台詞をどちらが発言しても別に不自然さはないし、一人の言葉の後を受けてもうひとりが語り出すという場面が多い。思考を共有しているかのように。
「合議制というものじゃな。パルパシアはそれで大乱期よりうまくやっておる。我らパルパシアこそは文化の要であり、最大の農業国でもあり、もっとも富める国でもある。我ら双王はパルパシアの王として、あらゆる快楽を楽しみ、文化と学問を愉しみ、人の世の暗謀を悦しむ。我らは常に大陸の中枢にいなければならぬ。だから我らに断らず、勝手に愉しみを見出すことは許されぬ。今年の妖精王祭儀での不審な動きのように、暗闘に興じる連中はみな不遜というものじゃ、そういう暗がりでの駆け引きを、我らを抜きでやるとはのう」
「……」
エイルマイルも、何のことを言われているのか薄々分かってきた。
同時に、いま自分がユーヤの前で、何を口走ったのかを。
思えば奇妙なことばかりだった。なぜ自分は裸で放置されていたのか。それはおそらく、服を探させるためだろう。あの地下室に隠されていた、古今に名高い珍品財宝の山、そこからエイルマイルが何に興味を持つかを見張られていたとしたら――。
「その妖精の鏡、我らパルパシアにも伝承だけは伝わっておった。王か、あるいは第一王位継承権者の肉体と引き換えに妖精と取引できるとな」
「伝承だけ……? 使った人間はいなかったのか」
「おらぬのう。過去に使用された記録はなく、行方不明になった王族も確認できぬ。それも当然じゃのう、パルパシアの王家は必ず双子として生を受け、生涯を睦まじきままに生きる。どちらかを犠牲にする儀式など願い下げじゃ」
「……」
ユーヤが一度押し黙った後、後方の二人に向けて呟く。
「二人とも、あの鏡については一切話さないでくれ。カマかけが来るかも知れないから、できればずっと黙っていてほしい」
「む……」
「は、はい……」
二人がうなずくのを確認して、ユーヤは声を張る。
「あの夜会のはじめから、エイルマイルをマークしていたんだな」
「そういう事じゃ、しかし我が直接に、ではないがな。あそこで給仕をしておった男どもは全てパルパシアの騎士よ。命令はこうじゃ「騒ぎが起きた時、目立たぬように振る舞っていたなら薬を渡して連れ出せ」とな」
「……」
時として、目立たぬような行動が逆に不自然となる場合がある。
騒動に対して興味を示すでも、逃げ出すでもなく、ただじっと関わらぬように振る舞うこと。
それはおそらく、疑惑の最後の一押し程度のことに過ぎなかったのだろう。エイルマイルはもっとずっと早い段階から観察されていたのだから。
「風の噂に聞くガナシアどのの決闘、ヤオガミの国屋敷での決闘、ここ1日で立て続けに情報が入ってきたセレノウの動きに、いよいよ事態が動き出したと見たのよ。ここ数年、ハイアードを中心に網を張っておったが、ようやく実を結んだというところかのう」
「……ハイアードが、何を画策していると言うんだ」
「それは皆目分からぬ。だが核は見えてきたのう。おそらくはその至宝、妖精の鏡が事態の鍵のようじゃな。それが伝承にある通り、本当の異形の器物であるとすれば、じゃが」
「それは妙だな、この妖精の鏡とやらが本当の魔法の品だとして、それだけでは不穏の鍵とは言えないだろう。ただのオカルト話の粋を出ない。王族を誘拐してまで確認することとは思えない」
「……」
「まるで、ハイアードがこの鏡を集めていることを、すでに知っているようじゃないか」
「……!」
エイルマイルは、はっと気づく。
この鏡が、セレノウにあり、パルパシアにもあった。
では、他の国にもあるのだろうか。
ハイアードのここ数年の連覇、その中でどの国に、どんな要求が出された?
あるいはそれ以外、盗みであるとか、場合によっては購入であるとか、譲渡であるとか、あらゆる方法で、すでにハイアードは他国の鏡を手にしているとしたら。
そして次はセレノウの鏡に目をつけた。姉であるアイルフィルはそのことに気づき、それを大いなる危機と考えた。
――では、何のために集める?
「腹芸はもうよい」
モスグリーンの王、ユゼ第二王女が言う。
「もうこちらの目的は果たした。セレノウの姫よ、迷惑をかけたのう。その鏡は返してもらうが、その代わりそのドレスは進呈しようぞ。六年がかりで編まれたボビンレースのドレスじゃ。世界に一つきりの逸品じゃぞ。それを土産に帰られよ」
「う……」
エイルマイルは、その六角形の鏡をひしと抱きしめる。しかし、いかに自分を誘拐した相手とはいえ、この鏡をこの場で自分のものにする、と言うほどの道理があるのか、それを考える。
そこへ、ユーヤがそっと囁く。
「エイルマイル、渡すんだ」
「……。わ、わかりました」
手近にあった木箱の上、そこに六角形の円盤を乗せる。
ユギ王女がつと前に進み、その板に手を伸ばしたとき。
ことん、と、更に物が置かれる。
七角形の板が。
ガナシアが叫ぶ。
「!? ユーヤ! いつのまにそれを!」
「む――」
「まどろっこしいな双王。ここで互いに鏡を持ち帰って、はい終わり、ではつまらないだろう?
君たちだって分かってるはずだ、ハイアードはこの鏡を集めている。この鏡こそがこの世界に残された最大の神秘。経済力でも、文化でもなく、この鏡こそが大陸の力学的な要だと気づいたんだ。あの銀髪の優男はね」
「……何が言いたいのじゃ?」
「この鏡をすべて集めた者が、この世界を手に入れる」
そう、断言する。
「――!」
エイルマイルが、そしてガナシアが目を見張る。
(まさか――)
確かに妖精の鏡は国の至宝ではあるが、よもや、それほどの価値があるはずが。
ユゼ王女は探るような低い声で言う。
「おぬし、一体何者じゃ? なぜそこまで言い切れる?」
「君たちが勝ったならそれも教えよう。互いに、勝てば相手に何でも命令できるという取り決めはどうだ。鏡を渡せでも、腹を切れでも、知ってることを全て話せでも何でもいい、簡単なことだろう」
「分かっておるのか? お主たちから申し出た決闘であれば、こちらに勝負の方法を決める決定権があるのじゃぞ」
「勿論分かっているとも」
ユーヤは、声を声で切り捨てるように、相手の発言にかぶせるように鋭く言う。
「ジャンルも、出題範囲も、勝負の日時もすべてそちらで決めたらいい。ただし、できれば今夜中に願いたい。君たちのことを考えて眠りにつくなんて真っ平だ」
「立腹しておるのか知らぬが、あまり愚を重ねるでない。我らとイントロクイズで勝負すると言うか」
「何でもいいと言ったはずだ、さあ出題範囲と日時を指定しろ! 今すぐか!」
「……」
ユギ王女、そしてユゼ王女は、眼の前のこの男の言動に眉をしかめながらも。
扇子で隠した口元を、こらえ切れぬ笑みの形に歪める。
「ふ、よかろう、ジャンルはイントロクイズ、出題範囲は昨年のヒット曲ベスト100じゃ。出題は業者を呼ぶとして、問題となる記録体を取り寄せねばならぬのう。パルパシアの大使館に使いを出して、音楽室から持ってこさせるか……」
「こちらでも記録体を用意する、そちらも用意したらいい、集まったら業者にシャッフルさせる」
「ふ、それでよい、では用意ができ次第、始めるかの」
その光景を、遙か後方、商館の入り口あたりで眺めていた人物がいる。
褐色の弓師であり族長の娘、コゥナである。彼女は交わされていた会話にそれなりの思いや驚きを抱いていたが、つと前に進み出る。
「では立ち会いはこの大族長トゥグートが一子、コゥナ・ユペルガルが務めよう。偉大なる一族の名に誓い、勝負の成り行きを、そして勝敗に付随する約束が果たされることを見届けようぞ」
「分かった、では準備ができ次第」
ユーヤはつと振り返って、そのまま商館を出る、今は屋敷から漏れる光のために、周囲も少し明るく見えていた。ガナシアたちも後に続く。
「ま、まさか」
ガナシアは、今の一連のやりとりを見て驚愕していた。
その驚きが顔に出るのを、かろうじて抑えていたのだ。
「まさか、本当に」
本当に、ここまで条件を飲ませるとは。
ユーヤがここに来るまで、馬車の中で語っていたことは三つ。
・イントロクイズで闘うこと
・出題範囲を設けること
・勝負は決闘が決まってから一時間以上後に行うこと
それが勝利の絶対条件である、と……。
そして勝負が一時間以上先になることはすでに分かっている。ハイアードキールにあるクイズイベントの進行業者、その全てにセレノウのメイドたちが早馬を飛ばし、偽の仕事を依頼しているからだ。業者が現地に向かっても、そこには封筒に入れられた依頼料が置いてあるだけ。ただでさえハイアードキール各所で無数のクイズイベントが行われている時期である。記録体の確保、妖精を呼ぶ準備、もろもろ計算して間違いなく1時間かかることは検討済みである。なぜその検討が必要だったか、一時間の間にこれからどんな準備を行うのか、ガナシアも全容は聞かされていないが。
「あ、あの、ユーヤさま」
馬車に乗り込んだ後、エイルマイルがおずおずと手を挙げる。
「その、決闘は私がやる、のですよね? いえ、まるでユーヤさまが戦うようなやりとりでしたので、一応、確認をと……」
「違うよ、僕が戦う」
「え――」
エイルマイルは口を開けて固まる。同席していたコゥナはというと、そのエイルマイルの反応がよく分からず怪訝な顔をする。立会人であるという自覚からか、コゥナの口数は極端に少なくなっていた。
エイルマイルは手を揉みあわせて言う。
「で、ですが……」
「君もイントロクイズはできるんだろう、だが、パルパシアは無敵の強さを誇ると聞いている。おそらく君が戦えば善戦はできるが、必ず負ける。勝てるとすれば……勝ちの目があるとすれば、僕が戦うしかないんだ」
ユーヤは馬車の中で立ち上がり、己の座っていた座席をがばと持ち上げる。座席の下の収納スペースには、無数の銀の光。ガラスに銀メッキをした立方体が財宝のように詰まっている。メイドや大使館職員たちの私物も含め、急いでかき集めた記録体である。この中には昨年のヒット曲も大量に入っている。不足分はこれから集めねばならぬが。
「これから勉強するのさ、一時間でね。だから出題範囲を決める必要があった、完全ノンジャンルのイントロクイズでは絶対に勝てなかった」
「……! そんな、いくら何でも」
「できる……」
ユーヤは断言する。しかし、それは自身に満ち溢れた力強い宣言というより、どこか重々しい、あるいは苦々しい響きだった。
何かしら目の奥に痛みを感じるかのように、眉根を歪めながら言う。
「これから曲をかける役をやってもらうから、仕方ないが、本当は君たちには見せたくないんだ」
あまり表情を変化させない、感情を見せない、それがユーヤの体質レベルにまで染み付いている技術ではあったが。
その顔には確かに、哀しみの色が見えていた。
「これは、世界を終わらせる技術だから……」