26 + コラムその4
「ふむ、これが話に聞く土霊精の土人形……大したことはござらぬな。呼び出すのに完全なる黒一色のブラックオニキスが必要なことから高価な妖精と聞くでござるが、割に合うのかどうか」
「ベニクギ! あと二体いるんだ! そちらも頼む!」
「む、承知したでござる」
と、ベニクギが首を巡らせれば、そちらには何やらひしゃげた鉄の棒が沈むプール。
そこに、大小様々な黒い石片が散乱している。水の中に立つのはラウ=カンの女性用ドレスである紅柄の女性。
そして、手長足長の石巨人が一体。
「……一体だけ? 他には見当たらぬでござるが……」
巨人が腕を振る。すさまじく高い部分まで振り上げた腕が雷となって降りそそぐ。
睡蝶が右足を踏み込み、体を斜めに構え直すと同時に左側面の空間に黒腕が落ちる。水膜が打ち上がる刹那、その鮮紅色の紅柄がするりと液体のように動き、巨人の脚をすり抜けて背後に周る。
ぎゅる、と巨人の胴が半回転する。鞭のような柔軟性を見せる長腕、その石の蛇が鮮紅色のドレスに食らいつく刹那、すでに睡蝶はその腕を飛び越えている、こともなげに片手をつき、カウンターにひょいと上がるような無造作な動き、それが百分の一秒を見切っての技とはとても思えぬ。
水に降り、そしてさらに一歩踏み込み、胴体に、それは柱のようにも、背骨のようにも見える直方体の連続部分に手を当てる。
「溌っ!」
どん、と打ち上がる水膜。それは睡蝶の背後から、送り足である左の足元から打ち上がった水である。とてつもない力で左足を打ち付けると同時に全身を剛直。踏み足で生まれた力を一切逃さずに右手に連続させ、巨人の胴体に力が染み透り――。
瞬間、全員の目にその場面がスローモーションに見える。石の巨人がふわりと浮き上がるように見え、全体が風に吹かれる洗濯物のように波打つかに見え、中央から光が弾けて――。
爆散。
そうとしか見えぬ一瞬の破砕。打点を中心に轟音がホールを突っ走り、礫片が風を裂いて飛び、巨人の長い手足が全て同時にちぎれるように見えて、さらには妖精の力が失われ、不可思議な力で連結されていたと思われる直方体の石がすべて元の石に戻って四方八方に散る。
ぱらぱらと、最後の一粒の礫片が落ちて、睡蝶はふうと息をつく。
「んもう、楽しいゲームが台無しですネ」
つまらなそうにそう言って、足元の石をよけながら歩き、ぴょんとプールから飛び上がる。
周囲の客も、大半は逃げていたが、残っていた数人は茫然自失の体である。
「な……何だ、今の……?」
「打撃……? いや、爆薬、とか……」
ベニクギの技はまだ理解できるものの、素手で石の巨人を破壊するという、睡蝶の技はもはや理外の存在であった。称賛の一つも上がって良い場面でもあろうが、声が出ないほどに驚愕が観客を支配している。
「なんと、素手で……確かにラウ=カンにはそのような技があると聞くでござるが……」
「ユーヤさん! 大丈夫ですか?」
と、そこへ声が飛ぶ。
ユーヤもまた睡蝶の技に驚かぬはずもなかったが、声に応えてそちらを見れば、白装束と仮面の人物。ズシオウがいる。手足の長さを隠すためというその白装束は、わずかに引きずるほど裾が長い。そのため左右の裾を少しつまむような立ち方である。礫片と水が散乱している場所ではなおさら慎重に歩いているように見える。
その背後からは若い侍たちが何人もついてきている。刀を抜いているものもいたが、ベニクギの「もう終わった」というようなうなずきを見て納刀する。
「ああズシオウ……そうか、そりゃ君も来てるよな」
「ええ。会場の反対側の方で……ラウ=カンの見翁様と立ち話をしておりました」
「ゼンオウ。たしかラウ=カンの王様だったか……」
そういえばあのチャイナ服の子もラウ=カンなのだろうか、と思いプールを見れば、もうあの睡蝶という娘は影も形も見えない。
ユーヤがその姿を探そうと視界を巡らせると、パルパシアの双王がふいに扇子を振り、周囲の人間に言う。
「いや、面白い余興であった!! さすがは世に聞くヤオガミの剣術と、ラウ=カンの拳技であることよ!」
「――え?」
「よ、余興……?」
観客はざわめいている。どうやら騒動が収まったようだと、周囲から野次馬のような連中も集まりつつあった。
スカイブルーの方の双王が声を張る。
「そうとも! ちょっと余興に刺激が欲しくてのう、急遽、土霊精の土人形を用意させて乱入させてみたまでのこと、むろん、ロニであるベニクギどのが会場に来ておることも、あの睡蝶なる人物が拳技の達人であることも承知の上じゃ」
「そ、そんな馬鹿な……」
「いくら双王でも……いや、ありえなくもない、のか……?」
「実際に瞬殺だったしな……」
ユーヤは、視線を潜めて親指の爪を噛む。
(どういうつもりだ……?)
もちろん、今の一連のことが余興であるはずはない。
パルパシアの双王は睡蝶の名前も知らなかった。それに会場は、簡単な受付はあるもののほとんど出入り自由の状態。ベニクギとズシオウが来ていたことを知っていたかも疑わしい。それに乱入の際のガラスのシャワー、戦いで飛び散った礫片。ざっと見たところ怪我人は出なかったようだが、怪我どころか死人が出ていてもおかしくなかった。
問題は、なぜ余興ということにしようとしているのか。である
「ふざけるでない!」
そこに乱入するのは褐色の肌に、上下セパレートの着衣を身につけた少女である。
今更ながらにボーイの一人が差し出した弓を、ひったくるように受け取って背中に背負う。
「ガラスが降ってきたのだぞ! 誰かに当たったら大怪我をしたところだ!」
プールの底からガラス片を取り上げ、フォゾスの姫、コゥナが声を張る。
「ああ、それか」
と、前に出てくるのはモスグリーンのボディコン服である。
鷹揚に手を差し出し、コゥナからそのガラス片を受け取る、指にはめた大粒の指輪がきらりと光る。
「ふむ、良い出来じゃの、皆のもの、美しいガラスじゃと思うか」
と、いちど己の服で拭いた後、周囲の客に、あるいは後方にひらひらと降ってみせて、
その端を己の口に咥え、ぱきんと割る。
「――あ」
コゥナが、そして他の観客もあっと驚いて口を開く。
モスグリーンの王はそのままぱりぱりと咀嚼し、ごくりと飲み下してしまう。
そして一言。
「これはの、飴じゃ」
「あ、飴――?」
「……なるほど、ちょっとしたトリックだな」
そこで前に出てくるのはユーヤである。土埃と水気を気にするように、服を何度も叩いている。服を汚して帰ると大変な目にでもあうのだろうか、と思った観客も一人ぐらいはいた。
「トリック、ですか?」
ズシオウも首を傾げる。
どうやらヤオガミの国主代理と対等な男のようだ、と周囲の観客もその言葉を聞こうとする。
「ああ、あの黒い巨人が乱入してきた窓、あれは最初から飴細工だったんだ。映画でよく使われるやつだな。頭を酒瓶で殴るシーンとか、悪党が窓に放り投げられるシーンとかで使うものだ」
映画、あるいは映像作品という概念はこの世界にもあるため、観客はなるほど、とうなずきを見せる。
「しかしいくつか本物のガラスも転がっている、この部分にトリックがある」
と、水の中からガラス片を取り上げて言う。
「あそこを見てくれ、男性スタッフの足元にバケツがあるだろう」
観客の視線が一斉に動く。確かに雑巾のかかった金属製のバケツが置かれている。
「あの中にはガラス片がたっぷり入ってたんだ。そしてベニクギや、あの紅柄の子が戦っている時、スタッフがこっそりガラスを撒いてたって仕掛けだな」
「な、なるほど……」
「確かにパルパシアの夜会だし、このぐらいの余興は……」
観客も、まだ半信半疑という体ではあったが、どうも「双王ならやりかねない」という気配が広がりつつあった。この双子の王は普段どれだけ素行が悪いのか、とユーヤはひそかに思う。
ぱたぱた、と、扇子で平手を打ち付けるような拍手を送るのはその双王である。
「やれやれ、見抜かれてしもうたの、なかなか頭の回る殿方じゃ」
双王は観客を見渡し、今度は腹からの声を出して言う。
「さあさあ! 驚かせてしもうたの! お詫びとしてパルパシアの酒を振る舞おうぞ、100年ものの深熟ワインを100本じゃ、このプールは片付けねばならぬから、向こうへ移動するのじゃ!!」
観客から、戸惑いは残るものの明確な歓声が上がる。
100年もののワインといえばユーヤの世界でももちろん貴重品ではあるが、さすがに賞味限界を過ぎてるのが当然である。後で聞いた話ではあるが、この世界においては数百年の熟成に耐える長期熟成のワインが存在するのだとか。
パルパシアの双王と、観客がぞろぞろと移動するのを、ユーヤは何となく眺めた。
傍らのベニクギが声をかける。
「ユーヤどの、今のが本当に余興なのでござるか?」
背後にいたコゥナはヤオガミ代表の顔は知らなかったが、何となく身分の高そうな相手だということは直感的に分かった。ちなみに言うならばズシオウとコゥナの身長はほぼ同程度である。
「そんなわけないだろ」
ユーヤはしかし、何事でもないようにそう言った。
※
コラムその4 妖精いろいろ
フォゾス白猿国、コゥナのコメント
「妖精という存在はこの大陸の隅々に根付いておる。それらは日常生活はもちろん、文化や闘争とも結びついた人の営みに欠かせぬものだ、ここではコゥナ様が一般的な妖精について教えてやろうぞ」
ラウ=カン伏虎国、睡蝶のコメント
「私もお手伝いしますネ♪」
○ 赤煉精
コゥナ「口から火を噴く妖精だ、妖精の中では雑食な方で、様々なもので呼び出せる。多めの蜂蜜に加えて石炭を一掴み、ルビーの粉末、乾燥した草を一抱え、シュネスに住む赤蜥蜴のウロコ、などなどだな」
睡蝶「でもあまり見かけないですネ、家で煮炊きをする時は、普通にマキを燃やしたほうが手軽ですからネ」
コゥナ「火を得られるのは便利なことは違いないが、いかんせん火力が強すぎる。呼び出すときの媒体の量で調整できるとはいえ、最低のものでも人間の頭ほどの太さで炎の帯を吹くのだ。およそ日常生活で使うには不向きな妖精だな」
睡蝶「お風呂屋さんとか、大きなお屋敷の炊事場では活躍しますネ、あとはゴミを燃やしたりもしますネ」
コゥナ「これを安定的に呼び出せる物資を確保すること、それが市街地における文明の基本と言えるな」
睡蝶「ラウ=カンにはこれを使った豪快な料理もありますネ。鹿を円形のプールのような場所に押し込めて、この赤煉精で四方八方から火をかけるのですネ、一気に空間の温度を高めることでおいしい蒸し焼きができるのですネ。ちなみに一度に料理する頭数が多いほど美味しいと言われてて、富豪などは一度に20頭以上を料理しますネ♪」
コゥナ「地獄絵図だな」
○ 紫晶精
コゥナ「言わずと知れた早押しボタンに化ける妖精だ。蜂蜜にベリー系のジャムを混ぜることで呼び出せる」
睡蝶「この妖精は他の妖精と比べて特殊と言われていますネ、それというのも起こせる事象が小さすぎるからですネ」
コゥナ「最大で直径30センチほどの木板を動かす、それだけの能力しか持たぬ妖精だ。しかもボタンは一時間ほどで自然に消えてしまうのだ。こういう無機物に化ける妖精の中でも極めて短い、おおよそ早押しボタンとしての使い方以外に適当なものがない、奇妙な妖精だな」
睡蝶「でも妖精王は人間にクイズと妖精を与えましたネ、ある意味ではいちばん根源に近い妖精とも言われていますネ♪」
コゥナ「都市部の発明家などは、この妖精を何とか実用的な機械に使えないかと頭を捻っている。ネコだけが出入りできる扉だとか、楽器だとか、二階の息子が一階にいる母親を呼ぶ装置とかだ」
睡蝶「この紫晶精を使った簡易な発明品は「パープルギミック」と言いますネ。一つのジャンルになっていて、ときどき発明家が集まって発表会なんかが開かれてますネ」
コゥナ「発明家と言っても街のおじさんとかだからな。たまにクスリと来る程度で、たいていは地獄絵図のスベりっぷりらしいぞ」
○ 銀写精
コゥナ「映像を残せる妖精だ、蜂蜜に加えて指先ほどの銀塊で呼び出すことができる、それなりに高価な妖精だな」
睡蝶「映像は平面に投射する以外に、専用の印画紙にもプリントできますネ、お店に銀写精を預けると、一日ぐらいで写真を作ってくれますネ」
コゥナ「学者などは、妖精の力を使わずとも光を印画紙に焼き付けることはできる、と主張しているが、機械を同じ場所で30分以上固定しておかねばならぬなど、まったく使い物にならん。銀写精があまりに便利すぎるので、機械式の写真を研究している学者もほとんどいないな」
睡蝶「銀写精や紫晶精などが、無機物に変化するように見えることを学者さんは「機化」と呼びますネ。半永久的に残るものと、一定の時間で消えるものの二つがありますネ」
コゥナ「ラジオの発信源となる七彩謡精などは大陸に存在する20体あまりのうち、まだ消滅したものが一つもない。もっともあれを呼び出すには「籠いっぱいの宝石」が必要なのだ。そうそう消えてもらっては困る」
睡蝶「でもラジオは娯楽の王様ですからネ、妖精が一年で消えるなら、人間は一年おきに籠いっぱいの宝石を用意するしかなかったですネ」
コゥナ「やはり地獄絵図だな」
ユーヤ「人生は地獄絵図の連続なんだよ」
ガナシア「急にどうした」