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問題、ノーベル賞の授賞式において、男性受賞者の燕尾服を全て仕立てていることで有名な、ストックホルムにある仕立屋の名前は?
解、ハンス・アルデ
侍従長のカルデトロムが、ユーヤの前に紅茶を差し出す。
「災難でしたな、私もモンティーナの垢スリは一度だけ体験いたしましたが、今は思い出すことも恐ろしゅうございます」
食堂のテーブルにて。椅子に深く腰掛け、全身を弛緩させてぐったりした様子のユーヤが胡乱げな目を向ける。
「ドリフだ……ドリフのコントだ。いかりや長介の銭湯コントがこんなに辛かったとは……」
「? まあそれより、遅めの昼食にいたしましょう、焼き立てのパンをご用意しております」
「! パンか!」
と、骨が何本か抜き取られてそうなほどぐったりしていたユーヤが、にわかに元気を取り戻して身を起こす。
「はい、滋養のあるものが宜しいと思い、ラウ=カン風の烤香包を用意いたしました」
そしてテーブルに銀の盆が運ばれてくる。
「お、ガナシア……」
「メ、メイドたちが服の仕立てにかかりきりだからな、私も立哨を交代したから、普段の仕事を手伝っているだけだ」
給仕は彼女が務めるようだ。まだ超短丈のメイド服で、銀の盆を捧げ持っている。
「あ、あまりじろじろ見るんじゃない」
「い、いや、別に……」
椅子に座って間近で見ると、その肢体の迫力に圧倒されそうになる。スカート丈だけでなくその服自体が小さめのようで、1メーキ近いという胸囲がユーヤの前にせり出してくるような錯覚。きちんと服を着ているはずなのに、胸と言わず足と言わず盛大にはみ出してるような感覚があり、肉体に対する服の割合が、のし袋に対する水引ほどの面積しかないように思われる。
しかも気恥ずかしさのためか、その動きに無駄な所作が多い。盆を置くときにもたもたと何度も腕の位置を直したり、隣の椅子との間に体をねじ込む時にエプロンドレスが引っかかりはせぬかと体を前後させたり、両足の腿や膝頭の間を風が吹き抜けることが気になるのか、常に内股気味で足をもじもじと摺り合わせている。テーブルの上には例によって蜂蜜の瓶が並べられる。
「…………」
ユーヤは給仕の様子をぼんやりと見ていたが、ふいに、さっと目をそらしてうつむく。
「な、何かあったら呼べっ」
「あ、ああ、うん……」
ガナシアが去っていくと、ユーヤは椅子をテーブルへ近づけ、なぜか背中を丸めてしばらく固まっていた。
その背中を、侍従長のカルデトロムがぽんと叩く。
「羨ましい限りです、私にはそのような健全さの証拠はなくなりましたので」
「……面目ない」
それはともかく、遅めの昼食である。
運ばれてきたのは、熱された黒い鉄板、そこに乗るのは平たいパンである。見た目は一斤の食パンから、上の皮を薄くそいだような印象。きつね色の表面が食欲をそそる。
そこから立ち上るのは、しかし小麦粉だけではない、複雑玄妙な香りの洪水。
「おお……? 何かすごい香りだな、クラムチャウダーのような、ミネストローネのような」
「烤香包とはいわばパンのステーキです。ふっくらと焼き上げた薄手のパンを、数十種の野菜、キノコ類、乾燥させた魚貝類、香苔樹の樹皮などでダシを取ったスープで煮詰め、しかるのち天火で乾燥させるという工程を何度か繰り返します。これには甘さを押さえ、レンガや干し草のような土の風味のある蜂蜜、パルパシア産の「黒野」がよろしいでしょう」
「まるでワインみたいな形容だな、この世界の蜂蜜はほんとに奥が深い……」
その蜂蜜は焦茶色に近いほど深い色であった。カルデトロムが薄く伸ばすように蜜をかけると、すでにユーヤの手はナイフを操っていた。すくっと抵抗もなく切れるパンを、フォークで突き刺して口に運ぶ。
それが口唇を通過する瞬間。まるで数十回の食事の経験に匹敵するような香味の重奏。野菜の色彩豊かな味わい、キノコの深い旨味、そして樹皮から取れるという出汁であろうか、ユーヤの経験したことのない焦げ臭いような独特の旨味がエキゾチックな印象を残し、その複雑な味わいにしばし忘我を覚える。
そして魚介の出汁。それは何と繊細で、しかし貴重な宝石のような絶妙な塩味だったことか。海の香りが確かにどこかに潜んでいる、しかし味の洪水の中でそれは限りない深みにあり、生命の原点である潮の風味を追い求めて、意識が深く深くへと引き込まれるかに思える。
「おお……」
またも、である。この味を形容する言葉がない。たった一切れのパンであるのに、すでに胃の腑に満足感がある。そして蜂蜜、その土の香に近いという焦茶色の蜂蜜の香りが遅れて来る。その土の匂いはこれからの豊かな食事を予感させた。胃が一気に拡張し、今の感動をもう一度、もう一度と急き立てるかに思える。
「ユーヤ様、付け合せはカルム豚のベーコンでございます。こちらを」
ふと脇を見れば、そこにはカリカリに焼かれたベーコンがある、しかし、それは円形の皿に紙ナプキンが何枚も敷かれ、その上に載せられているのだ、必然的にベーコンの油はどんどんと紙ナプキンに吸われ、皿いっぱいの面積にまで油染みが広がっている。
「……? こんなに油を抜いて……一体どういう」
ユーヤは怪訝に思いつつも、ベーコンをフォークの先端で挟み、持ち上げる。
それを口に運ぶ、思った以上に油が落ちている。じっくりとローストするように焼き、脂肪の層を極限まで削り取るようなベーコンである。肉の旨味は強く残っているが、油の風味は遠く、これではもはや――。
「! ま、まさか、この料理ではベーコンが「つけ合わせ」なのか!」
「左様です」
カルデトロムがにやりと笑う。
本来、場の主役ではないはずのパンに濃厚な旨味を付加し、ベーコンからは余分な油を落として、カリカリした食感と香りだけを残す。そこに主客逆転の妙があった。パンが肉であり、ベーコンが野菜となる。そこには面白さと、奇妙な背徳感のようなものと、新たな味の組み合わせを発見したことへの歓びがあり――。
「ユーヤ様……」
と、その脇の下に腕がさし入れられる。
「えっ?」
そのまま、ぐいと引き上げられて体が運ばれんとする。
「ユーヤ様……。髪の毛、お仕立ていたします……。時間が……ないので……」
「えっ、ちょ、ちょっと! まだパンが!!」
背後を見れば、そこには腰まで、いや膝までの長さの豊かな黒髪を持ったメイドがいる。前髪は目が隠れるほどもあり、痩せぎすで手足が長い。しかし体力的にはやはり上級メイドと言うべきか、生白いユーヤよりずっと腕力が強く。その体を強引に運ぶ。
「私……。ラクアニト……。ふふ……ユーヤ様の髪、いじりたかった……徹底的、に……」
「わ、わかった! 髪いじっていいから! せめてパンだけ! パンだけ食べさせて!!」
「うふふふ、ふふ、あと、で、です……」
そしてずるずると廊下を引きずられていくユーヤを、カルデトロムは悲しげに見送るのだった。
問題、一般的にルネ・ラコステが普及のきっかけと言われるポロシャツ、どんなスポーツのためにデザインされたもの?
解、テニス
そして色々ありすぎて日は傾いて。
ユーヤはロビーの中央で新しい服に身を包んでいた。完璧にまとめられたオールバックの髪に、つやつやと美しい光沢が乗っている。
「では、ご説明させていただきます」
銀縁の眼鏡をかるく持ち上げ、知的な気配を漂わすのは社長秘書風のメイドである。名はロ=ルトと言うらしい。
周囲には一仕事終えたメイドたちが爽やかな汗の匂いとともに微笑みつどい、男たちはさらに遠巻きに見守っている。
「上下のタキシードスタイルにウェストコート。素材はシュネス赤蛇国の高山で生産される霧山羊の生地、柔らかな手触りとしなやかな柔軟性があります。色はあえてベーシックな黒。人物に余計な印象を与えず、エスコートなされる姫様を引き立てる作りです。カランドラ生地の持つ上品な光沢が、シックになりすぎない男の色気をもたらします」
「襟はピンと尖ったピークドラペル、攻撃性とフレッシュさ、姫を守る騎士のような隙のなさを表します。Vゾーンを引き締めるボウタイは固い素材で小さめに作ってあり、喉元の印象を控えめにしております。素のお顔立ちを引き立て、会話のじゃまにならない造りです」
「トラウザーズ(ズボン)は足の動きに合わせたラインを作り、臀部の切れ込みを深く作りました、足を長く見せる効果がございます。裾丈は靴の甲にそっと触れる程度、クイズ大会においては走ることもございますので、極力動きやすい作りを目指しました」
「ドレスシャツは手縫いの妙味が生きております。クイズにおいてはどうしても前傾姿勢が多くなり、首が後ろ襟から「抜けて」しまうものですが、寸法をギリギリまで見極めることで、前傾でもエレガントなラインを維持します。ちなみにジャケットには肩パットはありません。極力腕の動きを妨げず、それでいて肩の美しいラインを守るように、隠し糸などで肩の角を吊るように作っております」
「カフリンクス(カフスボタン)はセレノウ産のカメオ。わずかにブルーの混ざった最高級品でございますが、あえて装飾の少ない縁無し丸ボタンで素材の良さを生かします。胸元の懐中時計も新しくご用意いたしました。セレノウのディク・アーミレン社の高級品。蓋は装飾のない銀無垢ですが、文字盤の一部がクリスタルになっており、中身を見たときにセレノウの高級モデルだと察していただける狙いがあります。嫌味にならない程度の仕掛けです」
解説を終えたメイドがぺこりと一礼すると。
「ユーヤ様!! どうでしょうか! 完璧な仕上がりと思われます!!」
目をぎらぎらと輝かせたドレーシャが、勢い込んで言う。
ユーヤはがぶり寄られたまま、疲れの漂う顔で答える。
「ああ……うん、ありがとう、完璧だよ……」
メイドたちが、一斉に歓喜の声を上げる。飛び上がり、手を打ち合って、あるいは手を取り合って回ったり踊ったり。
ユーヤはその喜びぶりをぼんやりと見て、かすれた声で呟いた。
「パン食べさせて……」
※
過日。
それは誰も覚えておらぬ大過去の瞬景。かの麗しくも壮絶なクイズ黄金時代。
「――あの選手を排除できないのか」
インカムをつけて叫ぶように言うのは、髪はざんばらに乱れ、Tシャツとジーンズだけという姿の男。
「無理ですよ。もう本番中ですし、決勝戦なんですよ」
「あの選手のヘッドホンだけ音量を下げるとか、音を遅らせるとかできないのか、あるいは他の選手に極端に有利な問題を今から用意……」
「それは完全な不正です、そんなことはとても」
「できないんだろ! 分かってるよ!!」
苛立ちを顕に、インカムを己の頭からむしり取る。
「だが、分かっているのか、彼女の異常な強さを。今週も勝てば五週連続の優勝だ。次のグランドチャンピオン大会への出場権を手に入れてしまう」
「強い選手がいるのは良いことじゃないですか。女性ということで話題性もあるし、彼女が初出場した五週前から、視聴率だってずっと右肩上がりですよ。いったい、何をそんなに心配してるんですか?」
疑問の顔で問いかけるのは新人のADである。本来はもっと上の人間に直接交渉したかったが、今の彼は単なるアドバイザーでしかない。それに番組制作の上層部も、あまり彼――すなわち七沼遊也に会いたがっていなかった。無理も無いと自分でも思う。結果として、彼はいくつもの人気番組を潰したも同然なのだ。
「彼女が勝ち続けると、何か困ることでも……」
「壊れてしまう」
すべてを説明してる余裕はないのか、遊也は端的にそう言って、爪を噛みながらモニターを凝視する。
「この番組だけじゃないんだ、このままでは彼女はすべてを壊す。クイズ王となって、先人たちの築いてきた国を破壊する暴君になるだろう」
「彼女はまさにイントロクイズの王に、音曲の暴君になってしまう――」