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「ユーヤ様、そろそろ着くようです」
そう揺り起こすのはエイルマイルである。ゆるゆると石畳を進む馬車はハイアードキールの公邸街に至り、まもなくセレノウ大使館に戻ろうというところである。市街地や、郊外に伸びる馬車道に比べても、公邸街の石畳は見事な精度で舗装されており、コンクリートの道を進むようにほとんど揺れを感じない、自然とユーヤの眠気も強くなろうというものだった。
「ん、ああ……」
ユーヤのほうは浴衣のような着流し姿であるが、エイルマイルはすでに別のドレスに着替えていた。王族であるから、馬車に着替えぐらい用意されているだろう。
あの騒動でユーヤのタキシードがダメになったことは言うまでもないが、エイルマイルのドレスの方は、破れてはいないが血と蜂蜜、それに土などで汚れ果てており、もはや王族の着るものとしては相応しくないとかで、念入りに洗われた後、国屋敷に務める女性が引き取る段取りになっていた。
ともかく、夜はまた別の夜会がある、服を用意せねばならない。
この時はユーヤもまだ、それを深刻なこととは考えていなかった。
※
問題、ウィンストン・チャーチルの言葉、何とスピーチは短いほうがよい?
解、スカート
大使館に着くと、エイルマイルはそのまま馬車を降りずに別の公務に向かうという、祭りの時期とはいえ、王族が暇なはずもない。
「申し訳ありません、シュネスの財務官僚の方と会食、それにセレノウの製陶組合の催しにてスピーチもあるのです……。夜会に出かけるまでには戻ってこられますので」
「いや、気にしないでくれ、夜会まで時間があるから、ゆっくりしとくよ」
ユーヤだけが大使館の手前で馬車を降り、そのまま歩いて向かう。公邸は道が広く、特徴ある建物がまばらに散らばっているため、まったく初見の街であっても大使館の立地ぐらいは見当がつく。
大使館に近づくと、何やら入り口に人だかりができている。
もちろん祭りの時期であるから、普段からそこかしこに観光客やら見物人やらがいるのだが、それにしても多い。
「ちょっと……失礼」
人垣をかき分け、なんとか前庭へと抜けると。そこには入り口を守る衛士が。
「――」
そこで、ユーヤも硬直。
立哨の時間ででもあったのか、その入口にて門を守るのは衛士長ガナシア・バルジナフである。腰までの髪を盆の窪でまとめ、衛士であるだけに体格の良い彼女が、今は黒のエプロンドレスとヘッドドレスに身を包んでおり、その上で腰に剣を佩いている。
その顔は羞恥の色が滲んでいた。真一文字に引き結んだ口元はふるふると震え、衛士らしく正面を見据えてはいたもののその視線は泳いでいる。集まった野次馬の顔をまともに見れていない。そして耳やうなじまで真っ赤にして、腰のあたりで握った拳をやはり震わせている。
「お、おい、あれガナシア様だよな、衛士長の」
「あ、あれか、大使館のイベントか何かか」
「す、すげえ、すげえ格好だマジすげえ」
男どもが語彙を失って騒いでいる。
それも無理はない。それは確かにメイドたちの服であった。この堂々たる衛士長がメイドの仮装というだけでそれなりに話題性がありそうだが、問題なのはそのスカート丈である。
そのスカートは、股下がほとんど無いに等しいほど短い。
数値でいうと3リズルミーキも無いのではないか、と思われる。何かの縫い代かと思えるほど短い。
「市販されてる中で一番スカートの短いメイド服」というのがいわゆる罰ゲームの3案であったが、マネキンが着ている姿とは印象がまるで違う。ユーヤが男性職員たちと検討しているときも、まさかここまで極端な眺めになるとは思っていなかった。
まずガナシアは長身であり、鍛え込んでいるために腿周りが太く、さらに背中を反らした姿勢のために美脚が強調され、余計に股下の頼りなさげな布が強調される。
ユーヤは人垣を抜け、入り口へと近づく。特に観客のほうを見ずとも、ガナシアに向けて無数の銀写精が向けられているのが分かる。
「か、帰ったか、ユーヤよ。エイルマイルさまは別の公務の予定があったはずだな、そ、そちらに向かったか」
健気にも平静を装ってガナシアが言う、明らかに歯の根が合っていない。
「……ぎ、義理堅いんだな、あの小切手の件で、「何でもする」の約束は果たされたと主張しても良かったのに」
「あ、あれは罰ゲームではないのだろう、それに、罰ゲームで王室の小切手帳を持ち出したなどという形にできるものか。べ、別に私なら、へ、平気だ、このぐらいの、ち、ちち、恥辱など」
顔を赤くするごとに盛大に写真に取られているが、これ以上絡むのも可哀そうかと思い、ユーヤはそそくさと大使館に入る。
入口を通る時、扉の影に潜んでいた何人かのメイドと目が合う。彼女たちは銀写精と藍映精を何台も向けていたが。ユーヤが通ると神妙な目をそちらに向け、一度重々しくうなずいた。
うなずきの意味はよく分からなかった。
※
問題、イギリスではスモーキングジャケット、その他のヨーロッパではディナージャケットと呼ばれる、ニューヨークの地名に由来する略礼服と言えば?
解、タキシード
「タキシードがダメになったのですか!?」
まず断っておくならば、「タキシード」とは自動翻訳により、ユーヤにそう聞こえている単語であり、実際にはこの世界ではこの世界なりの名前のある礼服である。
大使館の一角、会議室のように使われている食堂で、のけぞりながら叫ぶのはメイド長のドレーシャである。昼を過ぎてその溌剌さはいや増しており、オレンジのリボンと相まって鮮烈な印象がある。
ユーヤは言う。
「ああ、そうなんだ、申し訳ないが、今夜の夜会までに、代わりを用意して欲しくて……」
「ユーヤ様!」
と、そういう癖でもあるのか、ドレーシャは思い切り顔を近づけて言う。
「な、何?」
「あれはセレノウの首都であり職人の街、銀弓都セレノウリフの最高の職人による仕立て服なのです!! あれこそは現王、ティディルパイル様がお若い頃に仕立てたもので、体型が合わなくなったため遊ばせていた服ではありますが! あれ一着で100万ディスケットは下らない逸品なのですよ!!」
「そ、そうなのか……。いや、本当にごめん、別に高級品じゃなくてもいいから、何か適当な店の貸衣装とかでも……」
「問題はそーゆーことではありません!!」
ドレーシャが床を踏み鳴らして声を張る。
「パルパシア主催の夜会は日没からです! 会場まで馬車で向かうとして、逆算して三時間弱! それまでに、あの服に勝るものを誂える必要があるということです!! 前よりも落ちる服をご用意することなどできません!!」
「え? いや、三時間でタキシードなんか作れるわけが……」
「違います!!」
ドレーシャは怒り心頭という顔をしつつ、不思議とどこかに笑みを残す顔で胴間声を飛ばす。
「ウェストコート(ベスト)にトラウザーズ(ズボン)、それにドレスシャツもです!」
そして、にわかに大プロジェクトが始まる。
まずドレーシャがやったことは、公邸のメイドを一堂に集めることだった。
このセレノウ大使館のメイドたちは、後ろ姿でも誰なのか分かるように、色違いの大きなリボンで髪をまとめているという。ドレーシャのオレンジに始まり、青に赤、緑にピンク、銀色に黒と様々なリボンのメイドたちは総勢10人。一堂に会するのは大使館のロビーである。
全員で円形に並び、その中央には腰の高さの台が置かれ、10個のタンブラーが置かれている。中を満たすのは琥珀色のウイスキー、指の幅ほどの量だけ注がれている。
「みんな! これは大陸の花であり胡蝶の国! セレノウの名誉をかけた戦いと心得て!!」
タンブラーのひとつを持ち上げ、ドレーシャが全員に向けて言う。
他のメイドも一人ずつタンブラーを手にとり、それを頭の高さに掲げる。
「期限は三時間! でも問題は時間じゃない! 私たちが挑むのは、かのセレノウリフの職人の手業! 伝統の技術が百と織り込まれ! 至極の指芸が万と仕込まれた名人の服なの!! でもそれは国王陛下に向けて誂えたもの! ユーヤ様の服じゃないの! これから新しく作る服が! 仕立て直しの品に負けたとあってはメイドの名折れよ!! このメイド長ドレーシャ・ヴォーの名にかけて、そんな無様な仕事は見せられないわ!!」
ユーヤはというと目を白黒させつつ、ロビーの隅に侍従長のカルデトロムと共にいた。
「こ、このノリは何なんだ?」
「はっ、メイドたちが心を一つにする儀式ですな、私も見たのは半年ぶりになりますか」
ドレーシャの高らかな宣言が行われる。それはドレーシャの言葉と言うより、何かの決まりに則った言葉のようであった。
「侍従の職責に否やはなく! 侍従の御業に不可能はない!」
「否やはなく! 不可能はない!」
円を組む他のメイドたちが唱和する。
「それが職人と伝統の国、セレノウの誇り!」
「セレノウの誇り!」
「オール・フォー・セレノウ!!」
「オール・フォー・セレノウ!!」
そして全員がタンブラーの中身を一気に煽り、
それを同時に床へと叩きつける。
「うわっ」
けたたましい音と飛散するガラスに、ユーヤも少し気圧されて身を引く。
「ほんとに何なんだこのノリ……」
少し呆れたような調子でつぶやくユーヤであったが。
わずかでも余裕を見せていられたのは、その瞬間までだった。
「ユーヤ様採寸をお願いします、肩周りを」「胴回りを」「太もも回り……」「ちょっと足首を回してください」「首を前に倒すでぇす」
「のわっ……」
次の瞬間、数人のメイドが殺到してユーヤをもみくちゃにする。
そしてものすごい勢いで体に巻き尺を当てられたり肩を強引にぐるぐる回されたり腹を揉まれたり足首をひねられたり。
食堂のテーブルに生地が広げられる。セレノウの大使館にはそういった生地や木材などがストックされているそうで、裁ちばさみを持つのはドレーシャである。このメイド長には服飾の技術まであるのだという。
「メイド長、ジャケットの採寸取れました、まずこれから」
「わかった! まかせて!」
別のメイドが見せるメモを一瞥し、ドレーシャが生地にチョークを走らせる。熟練の職人でも緊張の瞬間と言われる生地の裁断、この若いメイドは一度きつく目を閉じ、次の瞬間くわっと見開くと、一寸の迷いもなくハサミを入れ、ぐいぐいと切り進める。
メイド集団に全身ゴリゴリと測られたユーヤは、床に両手両足をついて疲れ果てていた。体に巻き尺が何本か巻き付いたままである。
「す、スーツの仕立てってもっと優雅なものでは……」
と、ふと視線を横にやる。そこには大使館の男性職員たちが、今更ながらに割れたタンブラーを片付けていた。
「……ええと、君たちは手伝わないのか?」
ユーヤがそう言うと、若い男の職員は悲しげにつぶやく。
「メイドたちが本気になってる時に手を出すと、尻を蹴られるのがオチですので……」
「……く、苦労してるんだな、君らも」
ぐいぐい、と、そのユーヤの裾を引っ張るものがいる。
「ん?」
背後を見る。そこには二人のメイドがいた。一人は小学生かと思うほど背が低く、ふわふわと広がるウェーブのかかった栗色の髪を、左右でピンクのリボンでまとめたメイド。もう一人はやや長身で20代後半ほどの外見、全身がボリューミーであり、胸部や腰が不自然なほど張り出したメイドである。やはりウェーブのかかった髪を、赤いリボンでまとめている。
「ゆーやさま、おゆあみしましょ」
幼いほうのメイドが言う。言葉がすぐに変換されず、ユーヤはきょとんと固まる。
「うふふ、湯浴みですわユーヤ様。わたくしモンティーナと、妹のマニーファでお世話させていただきますね」
豊満かつ妖艶な印象のメイド、モンティーナが言う。自分の胸がこぼれ落ちそうなのか、高い位置で腕を組んでいる。
「お……お風呂、ってことか?」
なぜか嫌な予感がする。
「ええ、夜会ですもの、念入りに垢を落としませんと。うふふ、それにユーヤさま、ヤオガミの大使館で何かあったようですね。体から妙な匂いがいたしますわ」
「わ、分かった、一人で入るから」
「うふふ、だ・め・で・す♪」
ぐい、と妖艶なメイドが腕を掴んで立たせる。その一瞬、予感は確信に変わる。このメイド、おそろしく力が強い。まるで身長2メートル、体重120キロの格闘家に掴まれるような錯覚。
「いや、ちょっと待って、自分でできるからホントに」
「おーふろ、おーふろ、あかーはかたきだ、そぎころせー♪」
妹だというマニーファが不穏な歌を歌っている。彼女たちは姉妹で大使館に勤めているようだ。
「うふふふふ、わたくしの垢スリは絶品ですのよ。楽しみですわあ、もう大使館では受けてくれる方がいなくなってましたから」
「た、助け」
その瞬間、ユーヤは見た。
侍従長のカルデトロムが、他の男性職員たちが、物陰に隠れて怯えながら見送っていることを。
そしてたっぷり30分。
2分おきに浴室から悲鳴が聞こえ、そのたびに男たちは身を震わせるのであった。