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異世界クイズ王 ~妖精世界と七王の宴~  作者: MUMU
第一章  死闘 早押しクイズ編
15/82

15 (早押しクイズ 2)

ぽたり。


白い円舞台の上に、汗が落ちる。


昼の最中。太陽は中天にあり、この石舞台にあっては鮮烈な陽光が天蓋の笹でほぐされ、無数の針となって降りそそぐ時刻。


エイルマイルは、それは決して暑さのためだけではない汗が頬を伝う。緊張、焦燥、精神の摩耗、そのようなものが自律神経の混乱を招き、発汗という形で現れている。


ユーヤの構える台の上には、竹籠が置かれていた。


その中には、手のひらほどの白い紙。

その全てにセレノウの王室印が押され、金額の書き込まれた紙が、8枚。


「エイルマイル、答えを」


ユーヤが言う。だがエイルマイルは動けない。

問題文は、わずか7文字しか読まれていない。「かわのふかさを」としか。


「わ、分かり……ません」

「そうか、仕方ないな」


ユーヤは何事でもないように、タキシードの襟元から帳面を取り出す、書き込まれる数字は、2億5600万ディスケット。

アオザメが、一度ごくりと唾を飲んでから言う。


「え、エイルマイル様、お手つきです。不正解ですので、罰金を、その……」

「い、いい加減にしていただきたい!!」


叫ぶのはヤオガミの傭兵、ベニクギである。


「これで9問目のお手つきにござる! 本来、雷問とは一度でもお手つきになれば敗北という厳粛なるもの! 我らの儀式を愚弄しているのか!」

「おかしなことを言うんだな。お手つきに関するルールは事前に協議したはずだろ、一回目は100万ディスケットを場にプールし、ニ回目からは倍になっていくと」

「もはや遊びで済まされる額を越えてござる! ここまでの累計が5億1100万ディスケット。もう一度間違えれば10億を越えるのでござるぞ! そもそも、その支払い能力が保証されてござるのか!」

「だから、こうして小切手帳を用意していた。セレノウにあるビルベルス王立銀行の振り出し小切手だ。王室印も押されている。まさか一国の国庫が、10億やそこらでパンクするわけもない」

「ぐ、し、しかし……」


ベニクギにも、さすがにもう分かっている。

ボタンを押しているのはこの正体不明の男、ユーヤという人物だ。

いつやったのかは分からないが、早押しボタンを取り替えたのだ。

それを不正として追求できるか――いや、エイルマイルが声を上げない以上、偶然同時に押していた、という可能性が排除できない。言い逃れのしようはあるし、この男なら、ボタンを証拠として押さえる前に、また元に戻すぐらいのことはやってのけるだろう。


しかし、なぜそんな真似をする必要がある。


その事に何の意味がある。


そして、なぜこの壁の花であったはずの王女は、この現状に一言も言わず耐えているのか。

そもそもの話をするなら、なぜこのような場所で自分と決闘しているのか。




あの一問目――。




「え――」


エイルマイルは、目に見えて動揺した。

その目はついと隣のユーヤを見ようとして、慌てて引き戻される。


「あ、あの――」


その哀れがましいほどの混乱、頬の紅潮、激しい動悸がありありと伝わる。

司会の若侍、アオザメもおずおずと発言する。


「あの、エイルマイル様、お答えを」


(閣都三大大路……そ、それは分かるけれども、絞り込むための情報が何もない、これでは……)


「……わ、分かりません」

「おおっと……、え、エイルマイル様、不正解です」


アオザメは、本来の雷問であればそれで失格なのだが、事前に聞いていた特殊ルールを思い出す。


「ええと、お手つき、誤答に関しては罰金という取り決めだったと伺っていますが、ど、どうなされますか、現金をお持ちではないですよね。この場合は、ええと」

「問題ない」


ユーヤが落ち着き払って言い、タキシードの内襟から……







「小切手帳だと?」


声を大きくして問い返すのはセレノウの衛士長、ガナシア・バルジナフである。


「そうだ、これだけの文化水準なら銀行があるはず。振り出し小切手か、手形のような有価証券があるはずだ」

「確かにある……。セレノウのビルベルス王立銀行が発行している振り出し小切手が……。あれなら、財務大臣や国庫庁の裁可を経ずに金銭を融通できるが……」

「それを貸してもらいたい。しかも、エイルマイルには内密のうちにだ」

「そ、そんなことができるか! 王室権限における振り出しとは、その名の通り王室だけの特権だ! 小切手をエイルマイル様か、国元の国王の許可なく行使することは犯罪に当たる」

「エイルマイルなら、決して文句は言わない。「文句を言わない状況で」使う」

「な……」


そのユーヤの言葉の意味は分からなかったが、ともかく、王室の小切手を持ち出すなど前代未聞もいいところである。一時的とは言え、通貨の発行権を握るに等しい。常識としてガナシアがそれを持ち出すことも、ユーヤが使うことも許されることではない。


「だ、ダメだ、確かに何でもするとは言ったが、そんな大それたこと」

「違う」


ユーヤは語気を強める。その目はまっすぐにガナシアを見つめ、目には強い意思が感じられる。その圧のようなものがガナシアをたじろがせる。


「これは罰ゲームで頼めるようなことじゃないんだ。だから心からのお願いとして言っている」

「お、お願いだと……いったい、何に使うつもりなんだ」

「それは言えない。だが、エイルマイルには必要なことなんだ、どうしても……」


後から、ガナシアの語る所によれば、まるで催眠にかけられたようだったという。

実際に、それは何かしらの心理学が混ざっていたのであろうし、ガナシアがユーヤという人物の会話に慣れていなかったということもあるだろう。この人物の、この漆のような黒い目を覗いていると、自分の発した言葉が闇の彼方に消え失せ、逆にユーヤの言葉はそれを信じざるを得ないような奇妙な気分になる。ユーヤが今は夜だと言えば、中天に太陽が出ていても夜だと思いこんでしまいそうな、そのような「言葉を無理矢理に信じさせる」という技術こそがユーヤの職業技能とでも言うべきものであったが、この異世界の人間で、その特性を理解している人間はまだいなかった。


「ただのお金だ」


ユーヤが言う。ガナシアの目を見たまま、その魂に何かを直接書き込むように。


「お金で、あのお姫様の成長が買えるなら、あのお姫様の目的の助けになるなら、安いものさ。お金だけならね……」







「……それは本当に、エイルマイルどのの意思でござるのか?」


ベニクギが言う。思えば罰金の取り決めも、小切手帳を出したことも、遡ればこの決闘を国屋敷の名主から引き出したことも、このユーヤという男の仕業だ。そしていま現在、この決闘を好き放題にかき回しているのも――。


「ユーヤ殿、貴殿は一体何を考えているのでござる。その小切手帳は本物と認めてもよいが、それを用意したのは貴殿ではあるまい、一体誰が……」

「……お願いしたのさ」


ユーヤはそれだけ言って、小切手を竹籠の中に入れる。


(考えられる戦術があるとすれば、一つしかない)


ベニクギは、彼女もまた当惑と無縁ではいられないが、それでもなおユーヤの狙いを読もうとして考えを巡らせる。


(罰金は場にプールされるというルール、つまり最終的に勝ちさえすれば支払いはない。とにかく拙者よりも先に押して、解答権を得てしまえば敗北はないと……)


だが、ここまで得点上は、セレノウ側が1ポイント、対するヤオガミ側は2ポイントである。


(決着まで、あまりに遠すぎる。こんなペースで、あと何問の誤答を侵すつもりか。セレノウは小国、いかに国庫に直結している王立銀行からの振り出しとは言え、その金額を無限に認められるわけがない。いや、あんな調子で罰金が増えていては、ハイアードやパルパシアのような大国であっても……)


「問題、「魚は眠らず」という意味」


ぴんぽん


「……う」

「エ……エイルマイル様、お答えを」

「……わ、わかり、ません」


それに、あのエイルマイルの疲弊ぶりだ。

額にじっとりと汗をかき、手の先は小刻みに震え、目は雨に打たれる猫のように震えている。その桜色の唇は早い呼吸のためにわななき、白地に桃色の妙味が残っていた肌は、今は青冷めて見る影もない。しかしそれでもユーヤに向けて不本意だという視線は送らない、いや、ユーヤのほうを見られないと言うべきか。


「分かった、次の罰金は5億1200万ディスケットか」

「……う、う」


その口元が何かを言いたげに動こうとするも、舌が動く直前、何かの意思が働き、唇を強く噛んで生まれかけた言葉を飲み込む。

その痛々しい様子に、さしもの傭兵も異を挟まずにはいられない。


「エイルマイルどの、もう止められよ」


それはセレノウ側にと言うより、その場の全員に言うような言葉であった。


「これが雷問である以上、その金額は決して冗談では済まされぬ。しかしここで勝負を投げるなら、支払いは現状の額面だけでよい。ただ一言、負けを認めていただければ、勝負はここまでにいたそう」


そう言われ、エイルマイルは、この幼さの名残を残す王女は、目にも明らかなほどに脆弱な、縋るような瞳で見上げる。解答台につくベニクギに、そして傍らのユーヤに。


「必要ない」


しかし、それを拒むのはユーヤ。


「僕たちは負けるつもりは一切ない。こちらはいま1ポイント、ここから9問正解すれば勝ちだ、簡単な話だ」

「……その小切手は、子供の玩具おもちゃではござらぬ。この決闘の場において振り出された以上、ヤオガミとしては絶対に回収する心算にござる。たとえ彼我の国際関係を壊そうとも」

「分かっているとも。勝てばいいだけさ」

「なぜ、そこまでする……。たかが反対票を一つ、その程度のものしか賭けていない場で、なぜそこまで」

「違う」


ユーヤが、ベニクギに鋭い視線を向ける。


「クイズは賭けの道具じゃないんだ。クイズは、クイズでしかない。しかしある意味では、どれほどの金銭よりも重いものを賭けて戦っている」

「……?」

「クイズ王は、負けたらどうなると思う」


ふいにそんな事を言う。

ユーヤの言葉には不思議な浸透力がある。その何気ない質問を、ベニクギはしばし考えずにはいられない。


負ければ何を失うのか。それは例えば名誉か、時には金銭か。


「全てだ」


ユーヤが、ベニクギの心中の答えを見透かしたように言う。


「クイズを極めるには一生かかる。仲間内で楽しんでいるだけならいいが、もし王の座を欲するなら、それは一生をかけるほどに険しい道だ。クイズ王にとって価値の基準はクイズしかなく、それ以外の仕事や、趣味や、友人はすべて余技でしかない。行住坐臥、すべてをクイズに捧げられるほどの意思の持ち主だけが、王の座を手にできる」

「な、何の話をしているでござるか……」

「クイズ王は、負ければ「生涯」を失う。それは財産や命を失うより、遥かに大きな喪失だ」


かつて出会った、あの王たち。

誇りに溢れ、天賦の才に恵まれていた偉大なる王たち。彼らの一生は、まるでクイズに捧げる供物のようだった。生きてきた全てがクイズのためにあり、見聞きしてきた全てをクイズのための知識に変換するような生き方――。

もちろん現実には、世捨て人のような生き方をしていたわけではない。彼らには仕事もあったし、仲間や、家族を持つ王もいた。しかしその生涯の全てが、クイズのためであったように思える、そんな瞬間が確かにあった。ではもし、その彼らがクイズに負けたなら。


そう、負けた王のことなど、誰も覚えていない。


もし負けた瞬間、世界から煙のように消え失せたとしても、誰もそれを見てなどいないのだ。少なくとも、クイズの世界においては――。


「己の生涯すら無為になる、そんなリスクを背負って王たちは戦う。だからこそ誰もが王と認め、だからこそ王の戦いが人を感動させる。逆を言えば、王は全てを賭けなければ王ではない。それまで生きてきたすべての生涯を、あらゆる経験を、友人を、家族を賭けて戦っているんだ」


はっと、その横で目を見開く気配がある。


「だから負けられない。そして負けはしない。これまでの生涯の全てを、クイズに捧げてきた僕たちだから」

「そ――そうです」


エイルマイルが、その胸元で拳を握り、目に力を込めて言う。


「私は、負けるわけには行かないのです。姉さまのためにも――」

「……」


その一場面。

誰もがエイルマイルの健気な、可憐な花のような決意表明を見ている中で、もし気まぐれにユーヤのほうを見るものがいたなら。

その若い男の表情の意味を、何時間もかけて読み解いたなら。

そこに、どこか冷ややかな、物足りなさのような感情を読み取ったことだろう。


(エイルマイル、まだ幼すぎる。こんな僕の、取ってつけたような言葉に簡単に感化されている)


ユーヤは思い、そして誰にも気づかれぬ程度に、わずかに頭を振った――。




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