13
ユーヤの意味不明な発言は続く。
「クイズについてはどうだろうか。もともと文化的風土が大陸から独立している島国だからな、ラウ=カンとは古くから文化の伝来があるらしいが、本格的にはここ100年だし、現在でも人の行き来は限定的だという。やはり大陸全土を出題範囲とするクイズにおいては『知識の不及』というのも否めないだろうし、『経験の不足』もあるし、もともと国民性として『クイズに不向き』だったとしても、大陸と国交する際にはそんな事も言ってられないしな」
「……何が言いたいのでござるか? 我々が怖気づいていると? 別に我々は決闘を拒んでいるわけではござらぬ」
「それは勿論だ。国屋敷なんて大層な名前をつけていながらその権限が『有名無実』だとは思わないよ。逆に国元との『意思が不通』であってくれればこの場で決断してもらえたんだがな。『本国からの不遇』ということもないだろうし、個人としての『能力に不信』を抱かれてるわけでもないだろう。国屋敷で勝手に物事を決めるのは『不徳である』という見方もできるだろうし、僕らが唐突な要求をしているのは確かだ、こちらの『狙いが不透明』であると感じるのも無理はないことで……」
傍らのエイルマイルも、この奇妙な会話に目を白黒させている。挑発にしてはあまりにも不格好だし、意思の誘導というほど迂遠でもない。
しかしその一瞬、ユーヤが口元に手を当て、短く呟いた一言がエイルマイルの耳をかすめる。それは距離で言えばほんの10リズルミーキほど、刹那の一瞬に生まれて、すぐに消えてしまうような極小のつぶやき。
――『不信』か。
その言葉がなぜか頭の片隅に引っかかり、エイルマイルはユーヤを振り向く。
その顔は一見、普段と代わりはない。あまり着慣れぬタキシードに身を包んだ若い男。その目は静かに細められ、上座の方をじっと射すくめ――。
(……?)
何か違和感がある。顔は確かにベニクギの側を向いているが、その目は微妙に伏せられ、まるで畳の目でも数えるかのようだ。視線がベニクギと絡み合っていないため、一人でダラダラと喋っているような印象が生まれ、それが確かに直接的な挑発の意思を和らげてはいたが、ではユーヤは何を見ているのか。
周辺視野という言葉が思い出される。ユーヤは時として直接的な観察を避ける。その目はベニクギの顔より下に、そしてわずかに右に寄せられ――。
(この方向は……ズシオウ様?)
その視線の流れを追ううち、不信か、という呟きが意味を結ぶ機会が失われる。続けざまのユーヤの言葉に揉まれて消滅する。
「しかしやはり、君自身の問題なのかな。クイズ大会の映像を見させてもらったが、やはり君自身のクイズの実力は大したことがなさそうだ。セレノウだって特に好成績を収めているわけじゃないが、いざ戦えば君は負けるかもしれない。だから心配で仕方ないんだな、どうせ大したものを賭けるわけじゃないのに、慎重なことだ」
ベニクギは、話がようやく分かりやすい挑発になってきたと感じ取り、そのように出てくるならばむしろやりやすい、と口の端に微笑を貼り付かせる。
「ふむ、そう思っていただいても一向に構わぬでござる。むろん雷問、すなわちクイズは武人の嗜みではござるが、ロニは主君の身を護るが本分、いたずらにその実力を披瀝するものではござらぬ」
「だろうな。武人は武が本分だからクイズなんて弱くても仕方がないってことだ。どうせヤオガミは万年最下位だし、期待もされてないからな。だから決闘なんてとんでもない、人前で負ける恥はかきたくないってことだ」
「挑発にしてもあまりに浅薄でござるな。そもそも、我らに決闘を受ける義理など一つもない。言うほどに格を下げるはセレノウ側でござるぞ。そもそも、貴殿の顔は見たこともないが、一体どのような出自の」
「――ベニクギが」
瞬間、土鈴のような硬質な声が茶室に生まれる。
ベニクギが瞠目して脇を見れば、風炉の側に膝を向けてたはずのズシオウがいつの間にかユーヤに正対し、揃えられた膝の上で小さな拳を握っている。
「ベニクギが、弱いと言われるか」
発言するのはズシオウ。巫女のような舞姫のような、畳に広がる白装束の裾野の上にあって、目元を隠す木製の面の下にあって、その頬にわずかに赤みが差している。
ユーヤはそちらに視線を向け、少し断定的な調子になって言う。
「そうとも、貴方だってそう思っているだろう? だからベニクギが勝負から逃げていることに何も言わない」
「我らヤオガミがクイズ大会にて結果を残しておらぬのは、出題範囲が大陸全土に及んでいるためだ、決闘になれば形式と出題範囲はこちらに決定権がある。出題範囲がヤオガミと、一般常識に絞られた上での雷問であれば」
「さっきの○×クイズの出題範囲がそんな感じだったな。だが同じことだ。僕はその大会で優勝した。出題範囲がヤオガミでも特に不利になるわけじゃない。問題なく勝てるよ、そこの彼女にならね」
「あのような一般参加の座興と同列に語るか!」
「わ、若様! 乗ってはなりませぬ! 安い挑発に過ぎませぬ!」
「止めるのかベニクギ! お前が侮辱されているのを見過ごすことはできぬぞ!」
「違うな」
と、ついとズシオウを指で示し――それは、時と場合によっては刀が襲ってくるぐらいの不敬な行為ではあったが――ユーヤが静かに言う。
「侮辱しているのは君の方だ、君がベニクギを侮辱しているんだ」
「なっ……! なぜ私が、そのようなこと」
「ベニクギはむしろ勝負を受けたがっている」
「なっ――」
もちろん驚愕に目を見開くのはベニクギである、だが彼女に口を挟む暇を与えず、ユーヤが言葉を続ける。
「彼女はまだ若い、その若さでロニとして名を成した人間なら、自分の能力に誇りを持っているはずだ、僕に挑発されて受けたくないわけがない。だが君が必死にそれを止めているんだ。戦えば負けると分かっているから」
「そんなことはない! 私がいつベニクギの実力を疑ったと――!!」
「ならば、受けるんだな?」
「勿論だ! 我らの雷問で、二度とその高慢な口を聞けなくしてくれる!」
ベニクギは、わずか数十秒のうちに事態が急転したことに、さしも凄腕の傭兵であっても動揺せずにはいられなかった。
なぜ突如としてズシオウが怒り狂うのか、挑発されていたのは自分のはずなのに。
だが、もはや後には引けぬ、そのぐらいは分かる。
たとえ一歩でも、勝負の円に踏み込んだ人間がそこから下がることは許されない、自分の足を切り落とすか、あるいは相手の足を奪うまでは――。
※
竹林の中に存在する円舞台、それが勝負の舞台となった。
「ここは祭事のおり、巫女が舞踊を奉納する場でござる。武士であれば試合や力試しを、学者であれば弁論を、この舞台にて奉納するのが習わしでござった」
ベニクギがそう言い、ユーヤが彼にしては分かりやすい形で感嘆する。
「すごいなこれ、直径20メートルはある一枚岩の板だぞ、どうやってこの場所まで運んだんだ」
ユーヤたちがいるのは国屋敷のほぼ中央だという。そこで竹林が開けて、足元には巨大な円形の石盤が敷かれている。赤の混ざった白い大理石のようだが、おどろくべき巨大さである。これだけの石材を円形に切り出し、この場所に運んでくるだけでもかなりの技術力であると言える。
ユーヤはというと、身をかがめてその大理石をペタペタと触ってみる。どうもこの竹林では、装飾として赤が重視されるのかな、などとぼんやりと思う。
そして上空を見る、大きく吹き抜け状になっている空間のはずなのに、日光が差していない。周囲から勢いよく伸びる竹が吹き抜けの中央に向かって集まり、密集する笹が緑色の天蓋となって上空を埋めている。
(……何だこの空間は、竹をかなり密集して植えている。そのせいで円盤の外縁部の竹に、中央に向かってテンションがかかっている。せっかくの吹き抜けなのに天井を笹で埋めて何の意味があるんだ……?)
舞台には他にエイルマイル、それにベニクギとズシオウがおり、それ以外には周囲にひっそりと控える侍たちと、司会席には先程の○×クイズで見かけた若い侍がいる。ユーヤはそちらをぼんやりを見て、アオザメという名前を思い出す。
先程まではもっと大勢が動き回って、テーブルを設置したり、舞台を掃き清めたり、例の紫色の妖精を呼び出したりと忙しく立ち回っていた。しかし広く一般に開放されていたセレノウ大使館での決闘とは違い、この雷問は厳粛なものという認識が強いらしい。
しかし、よくよく見れば竹林の奥や、円舞台に至る道のはしばしに人影がある。この国屋敷に詰める侍や、他の使用人である人々が、興味を隠しきれずにこっそりと控えているようだ。
ユーヤが口を開く。
「ルールの確認をしたい、試合形式は君らの国で言う雷問、つまり早押しクイズでいいな。出題範囲はヤオガミで行われている形式と同じ」
「……左様にござる」
「じゃあこちらはエイルマイルと僕で戦おう。君のパートナーは? ズシオウが務めるのか?」
「必要ござらぬ。決闘は受ける側に形式などの決定権があるとは言え、出題範囲がヤオガミというのはあまりに公平を欠くというもの。そちらは二人で参られよ。そもそも、雷問での一対一という形式は武人同士の命のやり取りにも近いものにござる。そこまで深刻な事態は避けとうござる」
それは、この強気なロニにしては珍しく、気後れを含んだ発言であっただろう。ヤオガミ最強と言われるロニの冠を持ち、この国屋敷の守護役を務めるベニクギであっても、急な事態にさすがに心労のきざはしが見える。さりげなく、エイルマイルとユーヤの共闘を飲ませたことも気づかぬ程度には。
「形式は、じゃあ先に10問正解した方の勝利でいいかな、お手つきはどうする?」
「……雷問であれば、誤答は武人の恥として、その場で敗北となるのが慣例にござるが」
「それはクイズとしては盛り上がりに欠けるな、だとしても一対一…この場合だと二対一のチーム戦か、それだと一回休みはほとんど1ポイント進呈と同じだし、うーん」
と、少し考え、脇のエイルマイルに目を向ける。赤が目を引くベニクギに比べると、エイルマイルの白を貴重にしたドレスは竹林では埋もれがちである。
「なあ、一般的な労働者の年収っていくらぐらいかな」
「? ええと、そうですね。年間500万ディスケットほどでしょうか」
「よし、じゃあ一問間違えるごとに100万ディスケット、そして間違えるたびにその額が倍々になっていく、なんてどうかな。適度に緊張感があったほうが面白いだろ? その罰金は場にプールしておいて、勝負に勝ったほうが総取りだ」
「……異論はござらぬ」
ベニクギは、そもそもお手つきの取り決めについて話し合うなどということが不本意だ、とでも言いたげである。これが刀での切り合いなら、誤答とはすなわち一撃を外すこと。脇腹に、首に、脳天に刀を振り下ろされる隙ということではないか。そんなふうに考える。
「エイルマイル、少し打ち合わせをしよう」
「はい、あの……」
と、二人は円舞台の端、人気の少ない方へ移動する。
「あの、先ほどの茶室でのやり取り、あれは一体……」
「あまり聞かないでくれ、僕だってやりたくなかったんだ、子供を誘導するなんて……」
「ズシオウ様のことですか?」
「あの子にとってベニクギはヒーローで、その実力を疑われてると指摘されるのは耐え難かったってことだよ、それに、子供は手に感情が出やすいからね……。ま、それについては本当に聞かないでくれ、君が覚えるべき技術じゃないんだ」
「……?」
「それより、出題範囲がヤオガミと一般常識ということだが、大丈夫かな?」
「す、少しなら……。ヤオガミで出版されたクイズの本もたくさん入ってきていますし、ヤオガミの書籍もそれなりに」
「ヤオガミで最大の長さを持つ川とされているのは?」
「それは三左国吉川……。いえ、たしか流路距離の算定基準が変わったのですね。今は八宵川が最長になるはずです」
「よし、勝負を決めるのは君だ、頑張ってくれ」
「え、ですが……その」
エイルマイルは、その目に戸惑いを浮かべて言う。
「わ、私ではベニクギ様にはとても……。あの方は、早押しクイズにおいては通常の問題でもガナシアと同格なのです。それに私は、その、早押しクイズで試合をしたことなど、一度も……」
「誰だってそうだ、アタック25だってみんな初心者だが、パネルの取り方や早押しのタイミングもみんな一定レベルに達している。ずっと番組を見ていたからだよ。君だって見てきたんだろう、クイズ大会と、他にも色々と」
「ですが、ユーヤ様、あなたの力なら……」
ユーヤはついと頭をもたげ、一度、周囲の竹林を見やる。
ズシオウは何人かの侍ふうの人物を率いて立ち、ベニクギはすでに解答台についている。高みを渡る風は笹の葉擦れを率いてさらさらと鳴き、いよいよ中天に近くならんとする日差しが、この円舞台にまだら模様の影をもたらす。数千もの竹が落とす線状の影、竹は囃し立てる無数の観客のように、ざわめきながら肩を抱き合って踊る。円舞台の大理石が、白いまだら模様に輝き出す。
(そうか)
そこでユーヤは気づく、それは別に勝負にも関係ないことであるし、誰かに確認するようなタイミングでもないが。
(この円舞台は、月だ)
(天に生い茂る笹が大地、この白く浮かび上がる石盤が月の見立て。周囲の竹のせいで天地の感覚が曖昧になっている。花天月地ならぬ、叢天月地か)
(ここで舞う巫女も、試し切りを見せる武人も、月に立っているという見立てなのか)
ユーヤは一瞬、その静かなれど騒がしい、素朴なれど技工の極み。武骨なようで計算され尽くした不可思議な空間にあてられ、一瞬の忘我を覚える。遥か遠くに来たような、それでいてよく見知ったクイズの気配が迫るような。
古びた中世世界のようでもあり、遥かに洗練された未来世界のようでもある、二律背反の感覚。
ユーヤは一度きつく目を閉じ、かっと見開くと、エイルマイルに向き直って言う。
「エイルマイル、もう試合が始まる、だから君に長々と説明している時間もないし、そもそも言葉だけで……誰かに言われたからって実感できることじゃないと、僕だって分かっている。そして君には荒療治が必要なんだ。これからしばらく、想像を絶するほどに辛く恐ろしい時間が訪れるかもしれない、そのことを最初に謝っておく」
「え――」
「一つだけ、約束してくれ。これから勝負の間、僕が何をしようと、いいね、
僕が何を言っても
どういう行動をしても
それは最初から承知の上のことだったと、すべて最初から分かっていたことだと、そのように振る舞うんだ」
「あの、何を言って……」
「これが約束できないなら、僕はこの件から一切の手を引く――。いいね、約束してくれ、ずっと鉄面皮を貫くと」
「は……はい」
混乱と当惑、エイルマイルは何もわからない、自分が何に当惑するべきなのかも分からないという不安。準備を進める人間の動きが速くなったり遅くなったりするかに見え、風景がふいに遠ざかるような浮足立った感覚。
ともかくも、始まろうとしていた。
円形の石舞台。
外周の竹の闇は無限のごとく深い。
白い台が、左右に分かれて二台と一台。
片方には赤い衣の傭兵、
片方には頼りなげな姫君と、剣呑な雰囲気を宿す異世界の住人。
観客は少ない、石舞台の傍らには白無粧のズシオウ。
ごく身分の高いと思しき壮年の人物が数人。
太刀を帯びた侍が数名。そして遠まきに潜む使用人たち。
すべて合わせても二十人にも満たぬ。
互いの台には早押しボタンである紫晶精が、そして参加者の三人はおもむろにクイズ帽を被る――。