10 (○×クイズ 1)
「客人というのは其方等でござるか」
そこへ、人物が現れる。
ユーヤが首を向ける。ガナシアほどではないが、ユーヤと同じぐらいの背丈の女性。襟元が深めになっている緋色の着物に、膝の下辺りで絞った袴を履いている。脛は甲羅のような黒革で守られており、足にはがっちりと足首に巻きつけるような草鞋。その赤い髪は竹林の中を吹く風に乱され、引き絞るような赤い眼が二人を見ている。
着物は赤地に流水の染め物、上品さを残した淡い赤に、指で線を引いたような抽象的な水が描かれている。見た目によっては華やかに過ぎる格好だが、その人物の見事な赤い髪と、この緑一色の竹の世界において、その否応なき鮮烈な印象、強烈なまでの存在感を認めずにはいられない。
「拙者、この国屋敷の守護役、ベニクギと申すでござる」
「セレノウ第二王女、エイルマイルと申します。昨年の妖精王祭儀ではご挨拶する機会がありませんでしたが、そのお姿は何度か目にしておりました」
「僕はユーヤ」
ユーヤの挨拶は簡単なものだった。
ちら、と前髪の中からベニクギの眼がユーヤを見る。
「エイルマイルどの、姉上のアイルフィルどのが足を負傷されたと聞き及んでござる。事の次第は分からねどもお見舞い申すでござる」
「いえ、念をとって国元へ戻っただけで、さして重傷というほどでもありませんので」
「さて、それで本日の茶会へ代理で参られたとのことでござるが」
ベニクギの視線は、エイルマイルではなくその背後にいるユーヤに向けられている、ということをユーヤは気づいたが、首をそむけて視線をそらす。
「エイルマイルどののご出席はたしかに承ってござる。しかし、そちらのユーヤと申される方の同席は認められぬでござる」
「……! な、なぜです?」
「お持ちいただいた招待状は本物でござった、それに我々も過去の式典などのおり、そのお顔は存じてござる、エイルマイルどのの臨席に関しては異論はござらぬ。しかしそちらのユーヤどのは素性が知れぬ。同席を許可する理由が見当たらぬでござる」
「ユーヤ様は私の付き添いです。身元もセレノウ王家の名において保証を……」
「ユーヤどのがガナシアどのに代わり、クイズ大会の参加者になったということも聞き及んでござる。しかし本日はただの茶会、なぜ衛士長のガナシアどのでなく、そちらの方が付き添いなされるでござるか?」
「そ、それは……」
「ちょっといいかな?」
と、張り詰めつつある空気を無視するかのように、わざと垢抜けた様子で手を挙げる。
「……何か?」
「さっき、馬車を止めた人が一般客かどうかって聞いてただろ、あれは何なんだ?」
「……本日の茶会は、妖精王祭儀の一環として催された宴にござる。市民を対象に○×クイズを行い、優勝者をズシオウ様の茶会に招待しているのでござる」
「ふうん、○×クイズね。でも、その優勝者ってのもただの市民だろ? 素性が知れないんじゃないのか?」
「……別段、素性が知れぬものを接見させぬというわけではござらぬ。ユーヤどのの同席が認められぬのは、ただ手続きに則っておらぬため」
「君は僕が暗殺者か何かに見えるのか?」
「暗殺者? まさか」
と、一言かるく否定して、そのまま沈黙する。
実のところ、ベニクギ側にユーヤの出席を拒む明確な理由があるとは言いがたい。素性が明らかでないとは言え、身分は王室が保証している。それに目の前のユーヤという男は、少なくとも暗殺やら荒事やらとは無縁、それだけは断言できる。
では、なぜユーヤを拒むのか。
それは一言で言えば、勘。
守護役として、この国屋敷に詰める兵士たちの長として、あるいはもっと意識の奥、ロニと呼ばれる卓抜の傭兵としての本能が、この男を遠ざけたいと思っている。ベニクギの表層的な意識に囁きかける。理由も理屈も伴わない危険な予感が、この男から匂うとでも言うかのように。
「じゃあ、僕は一般枠で参加するよ、その○×クイズで優勝すればいいんだろ?」
「……む」
ベニクギは数秒の間、逡巡する。
あるいはエイルマイルがこの場にいなかったなら、どんな理由をつけても拒否したかも知れない。
しかし、仮にも招待状を出したのはヤオガミ側であり、ことは一国の王女を巻き込んでいる、これ以上の強弁は現実的ではない。
「……それならば、納得いたすでござる。一般枠として参加いただき、優勝されたならば許可いたそう」
「ありがとう、じゃあ僕はこの道を戻ればいいんだな」
「……では、エイルマイルどのは拙者が案内いたすでござる」
「ユーヤ様」
エイルマイルが、その場を去ろうとするユーヤに駆け寄る。
「ユーヤ様、先に茶室にてお待ちしています。具体的な交渉については合流してから」
「……ああ」
その短いやりとりをベニクギはけげんな目で見ていたが、エイルマイルがユーヤに一礼してからベニクギに向き直ると。軽くうなずいて竹林の中に踏み込んでいく。来た方とは逆方向にも道が伸びているらしい。
ユーヤもまた身を翻し、もと来た方向へ歩を進める。
その顔はどこか重荷を背負ったような、けだるげな気配があった。
今の去り際のエイルマイルの顔を思い出す。
あのきらきらと輝くような目、それはまるでサンタクロースに願い事をする子供の目だった。己にもたらされた幸運を信じて疑わない。願いが叶えられると安堵しきっているような目だ。それを思い返し、わずかに憂鬱な気分が心中をよぎる。
「……荒療治が必要かな」
誰にともなく、そうつぶやき、やがて一切が竹に飲まれて消えた。
※
広間には大勢が詰めている。
糊のきいたシャツと皮あてのズボンを身に着けた庶民風の人物、呉服を着た壮年の男、鎖骨のあたりまで届く白鬚の老人、学生らしき若者などなど、ユーヤの見たところでは和装と洋装が半々といったところか。
この国屋敷なる建物の内部は驚くほど広い。大小様々な建物が竹林の中に散在し、渡り廊下や石畳の道によって有機的に連結されている。
○×クイズの会場となるのは百畳ほどの大広間だが、ユーヤから見て右手側に襖が並び、左手側は大きく開け放たれて中庭が見えている。
中庭には野球の内野ほどの大きさの池が見えている。その周囲は四角に切り出した石で固められ、底には砂利が敷き詰められた人工の池である。周囲には踊るように幹をねじれさせた大ぶりの松と、青い大輪の花をつけた朝顔。浅めの池に泳ぐのは白鳥のように巨大な白いヒレの魚。懐かしいようでいて、どこか決定的な部分でユーヤの知る日本と違っており、その違和感はやや心地よくもあった。
そもそも畳も微妙に違う。畳縁も、い草の編み込みも見たことがない様式。柱や天井の組み方も違う。
だがそんな細かな差異より、ユーヤの目を引いたのは襖絵の意匠だった。描かれているのは水牛のようだが、大きさは象ほどもあり、何百冊もの和綴じの本をソリに乗せて運んでいる絵である。水牛の背中では菅笠をかぶった男が、片手に鞭、片手に和綴じの本を持っている。何かの昔話の一場面でもあるのか、二宮金次郎のように労働の際にも読書を忘れなかった人物の故事がこの世界にもあるのか、ともかくその襖絵は相当な技量であるのは間違いなく、水牛の毛並みの一筋まで見事に活写している。
視線を横移動させれば、16枚ほどの襖に渡って、遠景の岩山と水辺に集う鳥、道を行き交う行商人や親子連れ、それをかきわけるように進む水牛の荷車という大胆な構図であった。水牛の荒い息遣い、乾いた道に振り下ろされる蹄の重々しい音、その中で、男が本をめくる乾いた音まで伝わるかのようだ。
「皆様、本日はお早いうちより、お集まりいただき感謝いたします。わたくし、司会進行を務めさせていただきますアオザメと申します」
髷を結った若侍風の人物がそう述べる。広間の奥にすらりと立ち、手には問題集と思しき紙束を持っている。その問題用紙の角が金属製のリングで束ねられていることに、なぜか数秒の懐郷を覚える。一人称は「拙者」とか、「それがし」ではないんだな、と漠然と思う。
「これよりヤオガミ将軍家、および在ハイアードキール国屋敷主催の○×クイズ大会を開催いたします。本日は数名のお客様をお招きしての茶会が奥座敷にて行われておりますが、先の告知の通り、此度の優勝者にはそれにお招きいたしたく存じます。問題は全部で30問を予定しておりますが、優勝者複数の場合は一人に絞られるまで決勝試合を行います」
アオザメという人物は、侍というより営業マンのような愛想のよさで一気に言うと、居並ぶ30人ほどの人間を見渡してから続きを述べる。
「正答数の計測は背後にいる係員により行われております。解答後、○×の棒はしばらく下げずにおいてください。例年、優勝者はおよそ25問から28問以上の正解を挙げておりますが、もう優勝の見込みがないと感じた場合には、途中退席されても結構です。国屋敷のお庭にては屋敷詰めの者による試し切りやヤオガミ料理の振る舞いなども行われております。そちらもぜひお楽しみください」
周囲に和装の人物が多いのは、おそらくは大陸に居住しているヤオガミの国民ということだろうか。若い人物は少しで、商家の若旦那風にかっちりと黒髪を撫で付けた人物や、髪のすっかり白くなった老人なども見える。いずれも身分の高そうな、あるいは裕福そうな印象がある。洋装のものもいるため、ユーヤがことさら目立つという事もなさそうだ。もう何度も出場している人物ばかりなのか、司会のアオザメの説明の間も、隣のものと小声で雑談を交わしたり、懐から小冊子を取り出して読んでいたりと自由に過ごしている。
ユーヤはやたらと周囲を見回し、背後に居並ぶ侍ふうの係員や、庭の方から聞こえる人々の声に耳を立てる。
「ではこれより、第一問」
「すいません」
はた、と手を上げるのはユーヤである。司会のアオザメは小首をかしげてユーヤに視線を向ける。
「……どうか、なさいましたか?」
「ちょっと……こういうイベントに出た経験がなくて、上げるタイミングとかの要領がよく分からないんです」
「おや、そうですか……」
それは若き侍にとっては想定していない発言だったのか、言葉を受け止めるのに数秒を要するようだった。
ユーヤの知るところではないが、この世界において、多人数参加の○×クイズをやったことがない人間、というものは理解の外の存在である。それは誰かの誕生日、酒場の片隅、幼児教育の場ですら日常的に行われる、ありふれたイベントである。その経験がないというのは猫を抱いたことがないとか、ケーキを食べたことがない人間ぐらいには珍しいだろうか。
しかしアオザメという司会者も、若いながらに場数は踏んでいるのか、すぐに気を取り直して全員に向けて言う。
「分かりました、では一度、練習を行いましょう。申し訳ありませんが皆さん、お付き合いください」
「ど、どうもすいません、不慣れなもので」
ユーヤは申し訳なさそうに頭を下げ、下げたまま、恥ずかしそうに項垂れたままの姿勢で固まる。
「では練習問題です」
こととん、と、部屋の片隅にいる男が太鼓を叩く。
「ヤオガミ名産の白桜酒、その原料はもちろん、桜の花びらである、○か×か」
周囲で衣擦れの音がする。
○×のボードはシンプルな形状である。視力検査で使うようなもの、と言えば想像しやすいだろうか。棒の先に丸い板が貼られ、それに赤い○、青い×が描かれている。老人は重々しくのっそりと、婦人は袖を手で抑えながらしとやかに上げる。ややあってユーヤも棒を上げ、全体をアオザメが見渡してから、丹田に力を入れて声を張る。
「はい、そこまで、正解は×です。もちろん白桜酒の原料は米ですね。おや、こんな問題で間違えていてはいけませんよ?」
「あ、す、すいません! 上げ間違えました!!」
慌てた様子で、そう叫ぶのはユーヤである。上げていた×のボードを急いで下ろし、○に持ち替えて上げようと。
した結果、○のボードが手からすっぽ抜けて50センチほども飛び上がる。
「うわっ」
それが前にいた婦人の前に落ち、ごく小さな叫びが上がる。
「うわわ、す、すいません、取ってください」
膝立ちになって群衆の中でどたばたと動き、人の間から強引に手を伸ばしてボードを拾う。その騒がしい動きに、周囲の人間もさすがに眉をひそめないではなかったが、どうやら本当の初心者らしいと見て、ため息をつきながらも寛恕の生暖かい眼差しが向けられる。
アオザメも、今回は何だか面倒な参加者がいるな、と思わないはずもなかったが、顔には出さずに淡々と注意を促す。
「えー、ボードは落とさないようにお気をつけ下さい、上げ間違えの無いよう、左右の手にそれぞれ一本ずつボードを持たれておくとよろしいですよ」
「すいません、気をつけます……」
ようやく落としたボードを回収し、自分のスペースに戻ったユーヤは正座になって肩を狭め、恥ずかしそうに深く項垂れたまま固まる。
だがもし、その瞬間に、ユーヤの目を覗き込んだ人間がいたならば。
その目が冷静に細められ、そこに何らの動揺も、羞恥の欠片も存在しないことに気づいただろうか――。




