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嘘つき

 彼らとすれ違った誰もが、顔色を変えたわけではない。

 落ち着き払っていたし、同行人であるエリスは変な目で見られた覚えもない。


 まさか、背中を向けた途端に衛兵も女官も走り出して、宮殿中に噂話を轟かせていたなんて、考えもしない。


 * * *


 山積みになったドレスを前に、エリスは呆気にとられるのみ。


「あ~あ……やっぱり。こんな感じかなって思ってた」


 ファリスが苦笑いをしながら言う。

 先程よりは節度があるなと思ったのも束の間、堪えきれなくなったらしくお腹を抱えて笑い出した。


「一通り揃えましたが!?」


 ずらりと十人もの女官が揃って、ジークハルトに詰め寄る。


(着るものをお願いしたのは、ついさっきですよね? どうしてこんなに人が集まってるのか……。この宮殿はよほど人手が余っているのでしょうか)


 あるいは、ジークハルトのお願いは、いかなる業務よりも優先されるというのか。

 ひとまず余計なことは言わずに、ジークハルトの反応をうかがうエリスであったが、当人は気にした様子もなく、ちらりとドレスの山を一瞥しただけだ。


「何を着ても似合うんじゃないか」


 無造作の一言を耳にして「あ、これは全然興味なしだな」とエリスは了解したが、女官たちの反応は真逆だった。


「そう……! おっしゃるかと思いまして……!! いろいろ揃えましたが……!!」


(いちいち言葉に力が込められているような。どういうこと?)


 強いまなざしを向けられて、エリスは戸惑ったものの、ジークハルトはどこを副風といったところ。


「好きなの選んで着てくれ。俺にはよくわからない」

「じゃ、じゃあ、一番動きやすいのにします」


 よくわからないのはエリスも同じだったので、素直に希望を伝えてみた。

 だが、ジークハルトに怪訝そうな顔で見返されて「その反応は何?」と見返す。


「……それじゃ一応、俺が選ぶか。なるべく動きにくそうなやつ」

「どうしてですか!?」


 真逆では!? と焦ったエリスに対し、ジークハルトはドレスの山に手をかけつつ、何気ない調子で返してきた。


「調査が終わる前に逃げ出されるのを防止する目的だ。嫌疑が晴れるまでは、せいぜい外に出たら目立つ程度の恰好をしておいてもらおう。派手なドレスがいいな」


(嫌疑って言った。絶対言った)


 その一言に食いつきたいエリスであったが、女官たちの食いつきの方が激しかった。


「逃げ出されないようにですって……!! ジークハルト様が!!」


 ファリスは笑い転げているし、エリスは事情がわからないままだ。もどかしい。


(大体、「逃げ出さないように」って、ジークハルトは完全にわたしのこと疑っているし……良い意味合いは全然無いですよね)


 失敗した。山積みのドレスに目がチカチカしても、自分で選ぶべきだった。

 ジークハルトは、上から何枚かばさばさと適当に手でまくりあげ、青いドレスを手にした。


「この辺かな、エリス嬢に似合うのは。顔がはっきりしている場合、はっきりした色が似合うってどこかで聞いた」


 女官たちから押し殺した悲鳴が上がり、エリスは「選んでくれてありがとうございます」というお礼すら言いそびれてしまった。

 ジークハルトは、女官たちにさりげない口ぶりで続けて言った。


「少し、海水をかぶってる。湯を使わせてくれ。あ、いや、俺のことは後でいい。こちらのお嬢さんのことだ」


(これは、逆らっても仕方ない展開ですよね)


 意地を張る場面でもない。濡れた服も着替えたい。脱いだそばからジークハルトに「検分のため」回収されるのかと思うと、不安は尽きないのであるが。


「それでは、失礼して身体を清めてきます。せっかく用意して頂いたドレスを汚したくありませんし」


 エリスがそう告げると、ジークハルトは「待ってる」と請け合った。愛想もない、実直一辺倒な返事であったが、妙にほっとした。

 気を許したつもりはないが、この国には今のところ他に知り合いがいない。


 気になるのは「きゃあああ……!」という女官たちの反応である。どういうノリなのだろう。

 ちらっとファリスに視線を向ければ、なんとか笑いを押し殺したファリスは、息を整え、軽く咳払いをしてから女官たちに言った。


「えーと……エリス嬢は、名前以外は記憶のない行き倒れの方で……、陛下がたまたま助けただけだから、とりあえずまだあんまり期待しない方がいいよ」


 記憶がない……! 行き倒れ……!

 と、いちいちさざめく声が聞こえてきたが。

 何か、想定しなかった文言が含まれていた気がしたエリスはその場で凝固した。


「陛下?」


 他人事のような顔をしていたジークハルトに確認すると、とぼけた様子で腕を組み、首を傾げた。


「言ってなかったっけ?」

「聞いてない……! 兵士って聞いたら、否定しなかった……! 陛下って、王様……!」

「遊んでいても仕方ないから、一兵卒として鍛錬もするし、見張りもするからな」

「陛下が?」

「悪いか? というか実はまだ即位式をすませていないので、厳密に陛下ではない」

「暇なんですか?」

「失礼だな」

「状況に頭が追いつかないんですが」

「記憶喪失のせいじゃないか?」


 はぐらかされているわけではなさそうだが、とらえどころのない会話が続き、エリスはつい掌で額をおさえた。


(落ち着こう落ち着こう落ち着こう。悪くない。陛下がなんだというのです。好都合じゃないですか。目当ての騎士団長まであと少し)


「陛下が兵に交じって過ごされているなんて、他の兵たちは萎縮しませんか……?」


 責任者である騎士団長はどうお考えですかね!? という言葉、喉元まできていたのを堪えて尋ねてみると、ジークハルトからはまったく手ごたえのない反応。


「気にしてないんじゃないか。俺が稽古に紛れ込んでいるのは、子どもの頃からだから」


 どういう国なのだろう。

 陛下と呼ばれる身分になってまで一兵卒に混ざって見張り? 絶対、どこかから嘘が混ざってるように思えてならない。


(嘘なら、わたしもついているんですが。記憶喪失どころか、ばっちり覚えています。暗殺という任務を帯びていることを)


 互いに無言になった一瞬、視線は確かに相手の深淵を探り合うかのように密に絡んだ。


「熱ーい空気のところ申し訳ないんだけど……。エリス嬢はさっさと着替えるべきだし、陛下は仕事に戻るべきだ。女官の皆さんも、そんなに人手はいらないから。通常業務に戻りましょう」


 エリスとジークハルトの間に、ファリスが身体を割り込ませる。


「それはそうだな。……暇なのはファリスだけか。なら、後は任せる」


 あっさりと、ジークハルトは踵を返す。

 肩幅が広く、背筋の通った、綺麗な後ろ姿。


(即位間際の……王太子殿下ということ?)


 思わず険しい目をしたエリスの顔を、ファリスが横からのぞきこむ。


「陛下、なかなか良い男でしょ?」

「陛下なんですか?」

「陛下って言い慣れようとしているんです。殿下でいるのはもうあと少しなので、良いかなと。難航しているのはお妃様候補なんですが……。エリス嬢、お似合いだなって思っていたんです。陛下、今まで全然女性に興味を示さなかったから。もう、いま宮殿中が上から下からひっくり返ってますよ、『あの陛下に女の影』って」

「何を言ってるんですか……?」


 すれ違った誰も、顔色を変えたわけではない。

 落ち着き払っていたし、変な目で見られた覚えもない。

 まさか、背中を向けた途端に衛兵も女官も走り出して、王宮中に噂話を轟かせていたなんて、考えもしない。


「おめでとうございます、快挙ですよ。陛下がまさか。ついに。生きていればいいことってあるんですね。感激しました」


 何を言っているのか。問いただす前にエリスは女官たちに両脇をつかまれて、引きずられる。


「綺麗にしてさしあげますね! 次に陛下にお会いしたときにとどめをさしましょう!」

「おかしいです! 絶対何かおかしい話になってる……!! 私はそういうんじゃないんです!!」


 エリスの抵抗は歴戦の女官たちにものともされず。

 湯を使って洗い清められ、香りの強い石鹸で磨かれ、身体中に何かを塗られドレスを着つけられた。

 エリス自身はあまりのめまぐるしさに息も絶え絶えになり疲労困憊の極みであったが。

 仕上がりに満足した女官たちに、ジークハルトとの夕食の席に送り出されることになった。

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