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半熟魔法使いの受難  作者: 有沢真尋
【第三部】

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ハレルヤ(中編)

 戴冠式に向けての衣装の合わせを自室で行いながら、ジークハルトが言った。


「せっかく、食事も喉が通らないアリエスが出来上がっていたというのに、姫は監禁しそびれたな。エンデの大喝で、昨日ようやく食事に手をつけたとか」


「そんなことを言っても、ここでアリエスの代わりに見張っていないと、誰かがエリスに手を出しそうで気が気ではなかったんです」


 ディアナは天蓋付きの寝台の横の椅子に行儀よく座ったまま、聞こえよがしの嘆息をして返す。

 隣国の姫君であるディアナは紛れもなく客人であったが、現在その定位置はジークハルトの私室の寝台の横である。若き王と婚約する仲ではと噂される姫君だけに、これは事情を知らぬ者にはかなり熱い話題となっているのだが、蓋を開けてみれば色っぽい事実は何もなかった。一切何も。

 三人の女官に衣装を着つけられ、入れ替わり現れる文官と会話しつつ、合間にジークハルトはディアナを見もせずに言った。


「それで姫、婚約の話はどうする。戴冠式には来賓として出ても良いし、姫にその気があるのなら婚約者として列席するのもこちらとしては問題ない」

「婚約……、何をおっしゃってるのでしょうか。陛下はもうエリスを諦めたとでもいうんですか……!?」


 そこで、ジークハルトは姿見で出来を確認すると、少しこのままでと女官たちに言って退室を促した。

 寝台のそばまで歩み寄り、椅子に座るディアナの前に跪く。この日初めて二人はまともに向き合った。


「現実の話をしている。俺はエリスを諦めていないし、死を受け入れるつもりもないし、この先もずっとエリスを愛するだろう。だが同時に、この国の王だ。将来的に世襲の廃止も考えているが、一方で妃を迎えて子をもうける利も考える。あなたは姫君で、メオラは多少後ろ盾として弱いが国内の貴族の娘をめとるよりは全然良い。あなたはどうだ、相手が俺では不足か」

「不足も何も」


 心の中に、ずっと違う女性を抱いている相手というのは……。

 ジークハルトはディアナの戸惑いを知ってか知らずか、なんでもないことのように続けた。


「姫がアリエスを思うのも自由だ。家庭教師をしていたと聞いたが、初恋なのでは?」

「ジークハルト様」


 ぶしつけな物言いに、ディアナは咎める声を上げた。

 マントを身に着け、麗々しい正装をした青年王は気にした様子もなく、歯切れの良い口調で言った。


「どうせ結婚をするなら、頭の良い女がいいと思っていた。求婚している、考えてみてくれ」

「エリスが目覚めたら、どうするおつもりですか」 

「その時は、何がなんでも、自分のものにしようとするだろうな」


 まなざしに、どうしようもなく仄暗いものがのぞく。自分のものにするとは、即ち身も心もすべて欲しいということだ。もはや理屈ではなく。

 少年のような見た目に、強さと、烈しさを秘めた海の国の新しき王。


(何も、知らなければ、惹かれていたかもしれない……)


 その心が誰にあるかを知っていても。

 求婚という言葉に心がざわついてしまったのを、ディアナ自身痛感していた。


「戴冠式には、来賓として出席します。各国から大勢来ているうちの一人として」

「いずれにせよ、一番良い席を姫とエリスに用意する。退屈かもしれないが、見ていて欲しい」


 王族として生まれ、心構えを説かれて育ち、伴侶の心のすべてを欲しいだなんて望むべくもないものと理解してきた。

 それでも、今のジークハルトはあんまりだとディアナは思う。

 その一方で、王としての責務を果たそうとしている姿勢は、王族として培ってきた心情に照らして好ましい、頼もしいとすら思ってしまう。互いに違う人を思う自由を残そうという共犯者めいた提案も、秘密を共有するようで胸が高鳴る。

 高鳴るけど、痛い。


(アリエスにはエリスがいて、わたくしの初恋はとっくに終わっているんです……)


 ディアナはもう手放す準備が出来ている。でも、ジークハルトの胸の中にはいつまでもきっと彼女がいる。


「少し出てきます。エリスに何かしてはいけませんよ」

「確約はしないが、わかった。姫はたしかに、一日中ここでは大変だ。外の空気を吸ってきた方が良い」


 危うい返事。

 二人は同時に立ち上がる。

 ディアナは軽い足取りでジークハルトの横をすり抜けようとし、立ち止まると、思い出したように言った。


「陛下は頭の良い女がお望みと言いますが、わたくしは陛下の馬鹿ではないところが少し苦手です。手玉に取れる気がしないんですもの。ところでエリスは」


 無駄な質問をしているのはわかっていると知りつつも、ディアナは問わずにはいられなかった。


「エリスは、頭の良い女ですか?」

「悪いと思ったことは一度もない。考える力のある少女だと思った。『時』の魔導士とも話したが、あちらはあちらで足元にも及ばないと思い知った」


 では、ジークハルトが望む王妃として申し分のない『条件』もエリスは兼ね備えているのだ。


「婚約の件、考えておきます」


 思いとは裏腹の言葉を口にして、ディアナは振り返らずにその場を去った。


 * * *


「……悪党」


 心根のうつくしい姫君を傷つけた自覚はあって、眠る少女と二人きりになったところでジークハルトは一人ごちた。

 椅子に腰を下ろしても、長いこと少女の方を見られなかった。目を覚ましてはいないと知っていても、自分の顔を見せたくなかったせいだ。


(心はいつだってここにある。だけど頭がどうしても未来のことを考える。最善手を選べ、と。数多の民を導く王として)


 愛に生きたい。

 叶うことなら、彼女が眠っていたという深い森の奥に連れ去って、寄り添って眠りにつきたい。

 次をおいてもう二度と彼女が目覚めることがないというのが本当なら、その横で、喉をナイフで突いて一思いに死んだって全然構わない。鋼を持つなという戒めがなければ、実際にやってしまいそうだ。

 添い遂げられるのであれば、亡骸であっても構わないのに。


「王でなければ……」


 誰にも聞かせられぬ思いを、一人噛み締める。

 あの魔導士同士の一戦の後、「ちょっと待ってて」という割には待っても彼女に目覚めの気配はない。毎日その寝顔を見つめているうちに、好きの思いが行き場を失い、凶悪化している。

 気を抜くと、彼女を恨みそうになる。


「いつか俺の初恋は灰になってくれるか。『時』が風化させてくれるのか……。このままでは生きていられない。俺を置いていかないでくれ」


 滅茶苦茶な願いを口にして、ようやく顔をわずかに彼女の方へと向けた。


 ──わたしはどんな風に抱かれるのだろうと


 不意に耳の奥に蘇えった声に、身体の芯から震えがはしった。

 眠り姫は相も変わらず静かな寝息を立てて安らかに眠っている。その寝顔はどんな穢れも寄せ付けない清らかさに満ちているというのに。

 泣き顔を知っている。思い出すだけではっきり身体が疼く。


(彼女自身、誰かに欲望を向けられ、受け入れる自分を想像したことがあるというのだろうか)


 あの時、「血と鋼」からの「相手は誰か」という問いに、彼女はついに答えなかった。

 顔のない相手に抱かれるのか。それとも、言えない誰かなのか。


「エリス……。エリス……。声が聞きたい。俺の名前を──」


 横目で見るだけで手を伸ばして髪に触れることもできぬまま、椅子の上に片膝を立てて両腕で抱える行儀の悪い姿勢でジークハルトは長いこと固まっていた。

 どれだけ時間が過ぎたか、軽快な足音が近づいてきてふとジークハルトは目の焦点を合わせた。

 よく見知った相手が数歩の距離にまで迫っていた。


「女官たちが困っていましたよ。その服は脱いで、執務に戻ってください」


 澄んだ明るい声。今はもういない彼の父親と似た発声。

 彼は父の死について、あまり多くを聞いてこなかった。


「そうだな。汚さないようにと口うるさく言われた。呼んでくれ。エリスには」

「僕がついていましょう。ちょうど手が空いたんです。ディアナ姫が戻ったら代わりますから」


 手を空けるまでには相当の仕事をこなしてきたはずだが、負担を感じさせない物言いで、ジークハルトにも口を挟ませる気配がない。

 すぐに踵を返して、廊下に控えていた女官たちを呼びに向かった。


 半分騎士団に籍を置いている立場のせいか、魔導士の長衣は身に着けておらず、ほっそりとした後ろ姿がどこか痛々しい。ここ五年ほど、その見た目には明らかな変化があったようには思えない。


(父親と同じ道に行かない為にも、お前は長き命を共に生きる連れ合いを必要としているんじゃないか。アリエスと、エリスのように)


 話し合いたい気持ちはあるが、今の自分では無理だと思った。自分の心すらどうにもできないというのに。

 ジークハルトは立ち上がると、呼ばれてすぐに現れた女官たちの元へと歩み寄った。


 * * *


 部屋の主であるジークハルトが去り、姫はいまだ戻らず、人の気配もなくなったその部屋で。


「来てくれたね」


 長い眠りから覚めた少女の声が響いた。


「はい」


 予め心構えがあったかのように、速やかに若き魔導士は答える。


「皆を呼ぶ前に、少しだけ話がある」


 菫色の瞳は、じっと目の前の虚空を見上げていた。

 ファリスが手を差し伸べると、自らの手をのせて、緩慢な動作で身体を起こす。

 そして改めて、ファリスの青みがかった黒瞳を見た。


「わたしの話は長くはない。君に質問があれば聞こう。それはこの世でただ一人、わたししか答えられない内容だろうから」

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