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半熟魔法使いの受難  作者: 有沢真尋
【第三部】
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ハレルヤ(前編)

 大魔導士アリエスは、海辺の宮殿から王都への移動の間、食べ物をまったく口にしなかった。


 死んでしまうのではという周囲の声に「俺は! 大魔導士だから、このくらいじゃ死なない!」とやけになったように言い返していた。


「いや。普通に弱ると思います。場合によっては死ぬのかな。魔導士、お腹すきますよ。あの父上でさえ、母上が死んだあとでも何かしら口にしていたというのに」


 宮廷魔導士のファリスが、その嘘を看破した。

 ジークハルトはその時、少しだけ困った表情をした。ファリスの母の死後、ファリスの父が「何」を口にしていたのかは、ついに言うことはなかった。


「食べた方が良いと思いますけど? エリスが目を覚ましたとき、アリエス様がいないとまずいのでは?」


 王都に着いて後も、ファリスは説得を続けたものの、用意された部屋のカウチに横になり、毛布をかぶってこもりっきりの大魔導士はまったく聞く耳をもたなかった。


「どうせあいつは次が最後なんだ。そこまでもてばいいんだ。俺のことは放っておいてくれ」


 報告を聞いたジークハルトは、顎に手をあて、小首を傾げ、「うーん」と唸って言った。


「それはつまり、エリスと同じ時に死のうとしているということか。心中か。やりかねないとは思っていたが、実際やられると面白くはないな」 


 たびたび大魔導士のもとへ足を運び、説得を試みていたものの、なにしろ戴冠式を間近に控えて、忙しい。アリエスだけに時間を費やせる状況にはなかった。


 少女の見目をした眠る魔導士を自室の寝台にかこっており、彼女の元に長くついていたいというのも、ジークハルトに時間がない原因になっていたのは間違いない。


 なお、仮の騎士団長であるエンデは。

 戴冠式の警備や軍部の差配など、積み上がった仕事に首まで浸かって身動きがとれないのをいいことに、大魔導士の心中計画を無視し続けていた。まるで興味もない顔で。


 大魔導士が数日、水も口にしていないようだという報告が上がった日、ついにエンデはいきなりキレた。

 矢継ぎ早に必要な指示を出し、王の寝室で眠る少女の顔を見る日課は欠かさず、誰も大魔導士の部屋には近づくなと言い残して、ついに自ら大魔導士の元へと足を運んだ。


(衰弱で死ぬ前に、エンデが大魔導士息の根を止めてしまうのでは?)


 誰もが思うほどに、エンデの形相は恐ろしいものだった。


 * * *


「いつまで寝てんだ大魔導士。眠り姫の真似をしていても、根本的に身体の作りが違うんだろ。そんな痩せこけて汚いなりをして愛した女の前に出ていけると思ってんの」


 ドアを開けて後ろ手で閉めて、瘴気の淀んだ部屋に踏み入れる。

 カーテンがひかれて、窓からの明かりはわずかに一筋。なぜか寝台は使わず、身体を収めるのはひどく窮屈であろうカウチに丸まっている毛布の塊に歩み寄る。

 反応はない。


 エンデは無言のまま毛布をはぎ取った。

 弱い抵抗はあったが、弱すぎて無いも同然だった。

 予想したような異臭や汚れはなく、無精ひげすら生やさずにただ身体を丸めて大魔導士はかたくなにカウチにはりついていた。多少顔がやつれてはいたが、クマができているわけでもなく、憔悴の気配をのぞけば溜息のでるほどの美貌は却って際立つほどであった。


「最低限……、何か命を維持するような魔法を使ってるのか」

「彼女が目覚めたときに、汚い恰好で会いたくはない」


 目を瞑ったまま、顔をカウチに押し付けて見えないようにし、くぐもった声でそんなことを言う。意外に元気そうにも見えたが、正常なら眠る彼女の横にはりついているだろう。他の者に任せきりで、自分は彼女に決して近づかないようにしているのはやはり奇異だった。  


「たとえ取り繕っても、お前のその弱り方は隠せない。最後の最後に心配させる気かよ」

「心配して心残りでどこにも行けなくなってしまえばいい。どこかに行こうとするあの人が悪い」


 もごもごと言いながら、手は跳ねのけられた毛布を探して空をさまよう。顔を上げてみれば、そこには何もないのがわかるはずなのに。

 エンデはその場にひざまずくと、空を泳ぐ手を掴んだ。


「眠る彼女のそばにすら近寄れなくなった原因って何。あの時何があったんだ」


 逃げようとする手を離さずに、手首を強く掴んで捻り上げる。


「痛い」

「痛めつけてんだよ。オレを見ろよ」


 極め付けの低音恫喝に、アリエスはようやく身を引き、抵抗を試みようとしたようだが、エンデは構わずに掴んだ手首を引いて、カウチから床に引きずり落とした。

 ごろりと無造作に転がして仰向けにし、両方の手首を身体の両脇でそれぞれ抑え付けて、腰の上で跨がるように乗る。


「お前の魔法が誤作動を起こして彼女を直撃した、と陛下からは聞いている。それで間違いないか」


 エンデを見ることなく、アリエスは横を向いた。頬がこけていたが、彫りが深く、それでいて繊細に作りこまれたような白皙の美貌は相変わらずで、伏せているせいで睫毛の長さも際立っていた。


「……間違いない。全力で彼女を攻撃した」

「それは、お前の意志ではなく彼女の意志だったんだろ? 魔導士殺しを請け負ったのも彼女だと」


 アリエスの瞼がぴくりと動き、眉がひそめられた。しかし、唇は一向に言葉を紡がない。横顔には意地が見えていて、それは風前の灯火だったエンデの冷静さをふっとかきけすには十分だった。


「言いたくないなら別にいいよ。オレも聞かない」


 聞き分けのいい言葉であったが、響きに優しさはなかった。

 アリエスの手首を押さえつける指に、ギリギリと力を込める。


「やめろ」

「自分の要求だけ通るなんて、どうしてそんなに甘い考えなのかな。お願いなんかきくわけがない。泣き叫んで嫌がってもやめてやらない。こんな弱った身体でこのオレに敵うなんて思うなよ」


 手首の痛みに耐えるように、アリエスは唇から荒い息をこぼし、顔をそむける。

 エンデは瞳に剣呑な光を宿した。


「大魔導士、その気になってみろよ。俺を殺したいなら殺せばいい」

「お前……。エリスが好きなんじゃないのか」


 薄く開いた目でエンデを見上げながらアリエスは弱く呟いた。


「好きだし愛してる。でもその話は今は関係ない。ここにいるのは俺とお前だけだ。お前から俺への言葉なら聞くよ。痛めつけるのをやめてほしいなら、素直にそう言えばいい」


 アリエスの身体からはほとんど力抜けていて、抵抗の気力がないのは明らかだった。目も閉ざしてしまう。そこに横たわるのは、意志を放棄したただの人の形をした肉体だった。

 エンデは、アリエスの上から身体をよけ、そのまま横の床に寝転がった。

 手を伸ばして、耳にかかっている黒髪を指で梳いてかきあげて、死んだふりをしているような顔をしげしげと見た。


「お前さ。実は結構俺のこと好きだろ」

「……うるさいな。顔が綺麗な男は好きじゃない」


 アリエスの声は力なく、眉を細めた表情はひどく渋かったが。

 エンデは起き上がると、アリエスの背の後ろに手を差し入れて身体を起こした。


「このまま抱きかかえて寝台に運ぶこともできるけど、どうする? 自分で歩くか?」


 アリエスが、目を開いてエンデを軽く睨んだ。エンデは口の端を持ち上げて笑った。


「そういう破壊力のある可愛い顔をしたら、俺が言うこと聞いてくれると思うなよ。今日は俺はお前をとことんいじめる気で来てんの」

「お前……ほんと、そういうとこ……」

「罰されたいんだろ。彼女を撃った自分、彼女に殺しをさせた自分、彼女が死ぬのを止められない自分。どれだけ自分で自分を責めても楽になれなかったんだろ。それで、俺に期待してるのか? 救ってなんかやらないけど。苦しみたいなら苦しめばいい。お前の苦しみはお前だけのものだ、誰も奪えない」


 残酷な言葉なのに、口ぶりは優しい。

 潤んだ瞳を開いて、アリエスはエンデの目を見つめた。


「救われない方が……、今の俺にはいいんだ。お前がその気なら、せいぜい手痛い方法で俺の罪悪感を踏みにじってくれ。手加減はいらない」

「アホか。オレ優しいからな。ひどい罰なんか期待してんじゃねーぞ。それだけ口きけるなら上等だよ。まず何か食え。すぐに用意する」

「食べたくない」

「お仕置きが増えるだけだな」

 

 額に額を合わせて、目を覗き込んで不敵に笑う。

 アリエスは溜息をついた。


「大したものは食べられない。身体が受け付けない」

「俺がその辺の配慮できない人間だと思わないでくれるか。薄い粥でも用意する」


 エンデは立ち上がる。追いかけるように立ち上がろうとしたアリエスが、足をふらつかせて片膝をついた。支えるように腕を伸ばしたエンデもまた半端に腰を落として抱き寄せる形になる。

 アリエスは、エンデの胸に頬を寄せると、目を閉ざした。


「お前、良い匂いがするな」

「よく言われる。ありがと」


 すごく好きな匂いだ、とアリエスは微かな声で続ける。耳を寄せないと聞こえないほど。そのエンデの耳に、さらにひそやかな声でアリエスは告げた。


「お前が来てくれて、助かった」


 エンデは穏やかな笑みを浮かべてぐしゃりとアリエスの髪をかきまぜて言った。


「ばーか」

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