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半熟魔法使いの受難  作者: 有沢真尋
【第三部】

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38/47

泣かないで(前編)

「百九十七」


 先が見えたところで、不意にジークハルトが声を出して数え上げる。


「百九十はち。ひゃくきゅうじゅーきゅうっ」


 倒れていないのは、残すところ一人。

 向き合って、振り下ろされた剣を首を逸らす程度の軽い動作で避けて。


「二百っ!」


 すれ違い様に顎を殴りつけ、木剣で容赦なく身体を弾き飛ばした。



「『血と鋼』の魔法で戦闘力を強化された兵を、素の状態で二百人抜き……。一般兵とはいえ、仮にも国王の身辺警護に選ばれた精鋭だと思うのですけど……」


 途中から一切の心配もなく見守っていたディアナが、呆れたように呟いた。


(強い)


 少年のような見た目と素朴な性格に、見誤った。

 これこそがジークハルトの本質だとすれば。


(強すぎる)


 若くして国を背負って立つ王にとって、それは吉であるのか。それとも。


 * * *


「さて。骨折や怪我は避けられなかっただろうが、死人はいないだろ。次行くぞ次。全員ぶん殴ってくる」


 走り抜けたままの爽快感を弾けさせて、ジークハルトが笑顔で宣言する。

 倒れた兵を踏まぬように足の運びに気を付けながら近づいた「時」の魔導士が、ごく静かに言った。


「本当に、二百数えていたのか?」

「実は、適当。非番で街に出ていたり、怪我が嫌で武器を置いて非戦闘員に混ざったのもいるはず。だから、終わりが見えてから適当に」


 饒舌だった。

 気分の高揚が見てとれた。それを、魔導士はじっと見ていた。その視線を気にしつつ、ジークハルトは押し切るように言った。


「このまま、向こうの戦闘に加わる。それで、全員殴って……全員助けて終わりにする」


 押し寄せる兵を一人で薙ぎ払った全能感が、言葉の端々にまで満ちている。

 この男は紛れもなく強い。それを認めつつ、魔導士は言わねばならなかった。


「助けられない」


 ジークハルトは魔導士の方を見ようとはしなかった。

 表門から続くゆるい坂道、そのはるか向こう側に広がる、夕陽に染まった海を見ていた。 


「俺はこんなに強いのに?」


 風が吹いて、ジークハルトの汗にまみれたシャツをその身にはりつかせた。

 横顔を見つめていた魔導士は、正面に回り込んで、ジークハルトの瞳をまっすぐに見上げた。


「あなたは強い。強くて、かわいそうだ。強くなれとは言えない。これからのあなたの戦いは、いかに剣を握らずに生きるかということ。強さではもう救えない、大切なひとを」


 かわいそうの響きには確かに哀切がにじみ出ていて、ジークハルトは息を止めた。

 誰よりも好きになってしまった人と同じ顔をした魔導士が、目に涙を溜めてジークハルトを見上げていた。

 ジークハルトは奥歯を噛み締めた。身体の奥底から湧き上がってくる感情を、目からこぼれそうな涙を抑え込もうとした。


(泣き顔を可愛いと思ったことはあったけれど)


 今は、悲しい。

 こんな涙を流させたくはなかったのに。

 そしてまた、自分の涙も見られたくなかった。上を向いた。


「助けられないとしても、見届けなければ」


 きっとまだ、振るいたくもない剣を振るっている戦士たちがいて、ぶつかりあっている魔導士たちがいる。

 

「見届ける意味はある。あなたは彼らの王だ」


 魔導士もまた涙を隠すように俯き、絞り出した声で告げた。


 海は。

 光を吸い込み、きらきらと黄昏に煌いていた。

 潮騒が聞こえた気がした。


 * * *


 白い稲光が迸り、「血と鋼」の細い身体を貫いた。

 そう見えたが、身体の前で交差した腕で受け止めていた。「血と鋼」はにやりと笑った。


「私の魔法、物騒は物騒なんだけど、補助系だから、アリエスみたいに攻撃ど真ん中じゃないんだ。アリエスこそ、あのチビがいなかったら、とうの昔にどこかの国同士の争いに身を投じ、悪名を馳せていたはずだ。本当に惜しいよ。これほどの魔導士が、死んだら忘れ去られて、何も残らない」


 雷鳴と白光を呼ぶアリエスの魔法を何度も凌ぎながら、口数を減らすことなく愚にもつかない雑談を繰り広げている。

 うつくしい蜜色の髪、肩や腰や膝、至る所に焦げを作り、肉の焼ける匂いを漂わせながらも、止まらない。


「アリエスはずっとあのチビのこと好きだったよね。抱いたの?」


 落ち着かない様子でふらふらと歩き回る『血と鋼』。目で追うアリエスは、沈黙のまま唇を引き結んで、答えない。


「いつだって手が届くところにいたんでしょ。我慢できたの?」

「それ、本当に今聞きたいことなのか」

「うん。百年も二百年も、二人きりでどんな生き方をしていたのかすごく知りたい。それは私には望むべくもなく、叶えられもしなかった時間だ。だからすごく知りたい。まさか愛を囁かず、抱き合いもせずに、ただ寄り添っていただなんて。子どもの一人くらいはいるんじゃないの?」


 アリエスは「血と鋼」の目をじっと見た。笑顔。余裕すら感じられた。 


「彼女の……、あの不規則な眠りに襲われる体質では、子どもは無理だ」

「無理なのは彼女のせいなの? アリエスはどうなの?」

「どういう意味だ」

「彼女が欲しい。ずっとそういう目で見ていたの、知ってるよ。どうやってその欲望を止めたの。いや、本当に止めたのかな。眠る彼女に何かしたこと、本当にないの?」


 心の底から億劫そうな様子で、アリエスは告げた。


「ない」

「うそ」


 即座に否定されて、完全に機嫌を悪くした。


「無いものは無い。あの人は起きているときが一番、世界で一番可愛いんだ。寝ているときに何かするなんてもったいなさ過ぎる。何かするなら、起きていて反応が見られるときじゃなきゃ嫌だ。俺が、嫌だ。彼女のすべてを手に入れたい。寝顔じゃないんだ、俺の性癖に訴えるのは!」


 何の。

 話をしているのだろうか。

 命がけの戦闘の最中に、なぜ性癖を暴露する羽目になっているのか。


「私は起きてるときも寝ているときも関係なかった」

「エイリード、もういい。俺が悪かった。そういう、性癖の話は今はいい。生々しい」

「今じゃなきゃいつする気なんだ? お前か私、どちらかは確実に死ぬんだぞ」

「それはそうなんだが。なんだこの空気。おかしいのは俺なのか?」


 調子を狂わされっぱなし。

 殺し合いだというのにこの空気はあまりにも。

 懐かしさや馴れ合いが溢れすぎていて、胸が詰まる。


「エイリード。この周辺に張った広域の魔法は引き揚げろ。今のその状態では、防御すらままならないだろう」


 平然としているので見過ごしそうになるが、「血と鋼」は今、膨大な魔力を動員しているはずだった。直撃こそないものの、何度もアリエスに追い詰められている。


「実はもう、引き揚げている。ジークハルトは本当に阿呆だ。私の生み出した狂戦士は、全部あいつに倒された。化け物」


 力ない笑みを浮かべて、「血と鋼」は仕えているはずの君主を罵倒した。

 アリエスは耳を澄ます。表門の喧噪はすでに絶えていた。


「一人で何人抜きしたんだろう。あの武勇が必要とされない時代に生きることは、ジークハルトにとって本当に幸いなのかな」


 『血と鋼』の真っ赤に染まった瞳が怪しく光り、アリエスは眉をひそめ口を開いた。

 しかし、言葉を発する前に、草を踏みしめて現れた人物が答えて言った。


「待たせたな、『血と鋼』」

「ジークハルト殿下……と、『時』の」


 ジークハルトの背後に続いた小柄な魔導士を見つけて、『血と鋼』が声を弾ませた。


「待ってたよ。『時』の。君が死ぬ前に会えて良かった。()()()()、まだ使ってないよね?」

()()のことなら、確かにまだ使ってはいないが」


 特に気負った様子もなく『時』が答えると、『血と鋼』は実に簡単に、いささか軽薄な調子で言った。


「私にくれないか。あの魔法、どうしても欲しいんだ」

「あれは、今使えばわたしの命と引き換えになるが」

「そうだと思ってた。でも欲しいんだ。『時』の、私の為に死んでよ。どうせもう長くないんでしょ」


 当の本人に面と向かって吐き出された言葉。

 「時」の魔導士はどこかぼーっとした様子で立ち尽くして聞いていた。

 その言葉が彼女の耳に入るのを止められなかったことは、一人、「閃光」の魔導士の逆鱗に触れた。


「下がっていろ。俺はあいつを殺さなければならない」


 アリエスの身体から湯気のように白い光が立ち上る。


「わたしは殺せとは頼んでいない。もう少し話したい」


 きわめて冷静に『時』が告げたが、アリエスはゆるく首を振る。


「駄目だ。俺は本当は、お前が他の男と話しているのを見るのが耐え難いんだ。メオラでは友達も作らせなかっただろう」

「あれはそういう理由だったのか?」

「それ以外何もない」


 混乱に乗じたつもりか、ひどい告白をしてアリエスは「時」の前に広い背中をさらして立ちはだかり、「血と鋼」に向き直る。


「騎士団長にかけた魔法を解く気はないのか」

「あれはもう解けない。あいつが望むだけ私を分け与えたから」

「わかった」


 最後の確認を終えて、アリエスは目を閉ざした。

 口の中で声を出さずに呪を唱え、掌から迸る光の玉を生じさせる。


「友情はあるが温情はない。滅びろ」


 莫大な白い光が辺りに満ちた。


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