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半熟魔法使いの受難  作者: 有沢真尋
【第二部】
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折れない鋼と満身創痍の叫び(後編)

 エリスは長いこと、床に座り込んで膝を抱えていた。

 急ぐ必要がないと言われたとはいえ、時間を浪費してしまっていた。

 我に返って動いた拍子に、まなじりに溜まっていた涙がまた流れてしまい、エリスは慌てて拭う。その時、ドアが開く音がした。心臓が止まるかと思った。


「おはよう」


 飄々とした挨拶とともに入って来たのはエンデで、エリスは慌てて立ち上がろうとする。全身が強張っていてふらついた。エンデが腕を伸ばして、転ばぬ程度に軽く支えた。


「すみません」

「いえいえお嬢様。朝ご飯食べてないんじゃない?」


 休日だからだろうか、兵装をといたエンデは私服なのだろう、白のシャツに細身の黒のズボンを合わせているだけなのに、綺麗な顔にかけた黒の眼帯までやけに垢抜けて見えた。


「朝ご飯……そういえばまだでした」


 そう言ったエリスの前に、紙包みを差し出してくる。


「街で買って来たんだけど。ピタパンのケバブ。美味しいよ」


 エリスはそれを受取ろうと思ったが、紙を握りしめている方の手ががちがちで、もう片方の手もどうしても出なかった。

 エンデは唇の端を持ち上げて穏やかに微笑んだ。


「それ、読んだ?」

「読みました」

「泣いたの?」

「すみません……」


 何に対しての謝罪なのか。聞かれたら答えられない。ただ、痛恨の思いに、エリスは俯いた。また涙が出てきてしまった。そんなつもりではなかったのに。

 エンデはさっとエリスのそばを横切り、紙包みを適当に机の上に置いた。

 少しの間沈黙があった。

 ややして、低く、ごく静かな声でエンデが言った。


「おいで」


 涙をぬぐって、エリスはエンデを見る。

 歩幅にして数歩分。距離を置いて立ったエンデが、両手を軽く開いてエリスを見ていた。


「俺が怖くないなら、おいで」


 思考が完全に停止した。怖くないなら。その一言が。

 エリスが足を踏み出したとき、エンデもまた動いた。

 気が付いたら、エリスはエンデの腕の中におさまっていた。

 ふわりと、清冽な香りが漂う。


「エンデさん……。少し香りが違う」

「うん。手の内を明かした以上、いつまでも同じものは使いたくないんだ。この匂いも覚えてよ。俺の熱と一緒に」


 清冽なのに、ほの甘い。

 頭上から響く声も、頬を押し付けた固い胸板も、しっかりと抱きしめてくる腕も、包み込んでくる香りも、すべてが驚くほど心地よくて。

 目を閉じていても、眩暈がした。


「見せて。俺が涙を拭いてあげる」


 耳元で囁かれたその瞬間に、エリスは息を飲んで目を見開いた。

 慌てて胸に両腕をつきたてると、エンデは腕をといてそっと身を離した。


「わたし……何やって……すいません」

「エリス嬢じゃないよ。悪いのは俺。怖くないならおいで、なんて言われたらこうするしかなかったでしょ。君は俺を怖がりたくない。怖がっていると知られたくない。その気持ちを、利用した」


 何事もなかったように言うと、エンデは机の前に移動して椅子をひいて座り、その辺の書類を数枚手に取って、流し読みするように目を走らせる。


「ジークハルトさまも悪趣味だよなー。知られたくないなら黙っておけばいいのに。そういうのはフェアじゃないって考えちゃうんだよあのバカ正直が」


 君主に対してのあらざる暴言であったが、エリスは沈痛な面持ちで聞いた。


(黙っていて、フェアじゃないのはわたしの方です)


 耐えられない。

 大魔導士の呪いをぶち破ってでも、すべてを打ち明けてしまいたい。自分の目的は、あなたたちの暗殺なのです、と。


(お師匠様、本当に無駄に魔力が高い……。ファリスさんに相談したらこの呪いなんとかできるかな)


 もはや師に対しての反逆も辞さない心構えで、エリスは決意を固める。

 その時に、思い出したようにエンデが言った。


「そういえば、今日もお妃様候補との顔合わせがあるみたいだよ、陛下。隣国っていうにはちょっと地形が入り組んでて国交がさかんじゃないんだけど。メオラの姫君。って言っても、エリス嬢の記憶ってそのへんどうなんだっけ」


 さして興味もない調子だったが、エリスには今日何度目かの絶大なる衝撃があった。あまりにその衝撃が大きく、反応が鈍かったために、書類に目を通しているエンデは気付かなかったらしく、だるそうに続けた。


「金髪の綺麗なお姫様。って聞いたけど、姫君より何より、連れていた従者がすごい美形だって。結構な騒ぎになっていた」


(……すごい美形の。思い当たる相手が。まさかお師匠様……!)


 強烈な虚脱感に襲われて、エリスは立ち尽くしたまま瞑目した。石になりたい。


「エリス嬢、エリス嬢? どうした、やっぱりお腹空いてるんじゃないの」


 的外れなエンデの声が、遠くのどかに響いていた。

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