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半熟魔法使いの受難  作者: 有沢真尋
【第二部】
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折れない鋼と満身創痍の叫び(前編)

「あなたのことは、今日は私が一日預かる」


 エリスが朝起きて身支度を整えて、恐る恐る見たドアの外にいたのは、銀髪にして巨躯の騎士団長ロアルドその人だった。

 大きい。他の感想が思い浮かばないほど圧迫感があった。


「朝に交代した。エンデは、今日は一日休日になっている。あなたには書類の整理をお願いしたい。仕事を説明したら私は一度王宮の見回りと、兵の訓練の様子を見に行く」

「わかりました」


 先に立って歩幅も気にせず歩き、会話は淡々としていて、用件のみ。

 その事務的な態度が、今のエリスには大変ありがたかった。これ以上、誰かに心を傾けたくない。仕事があるのも、ありがたかった。余計なことは何も考えたくない。


 やましいことがあるせいか、気持ちが荒んでいる。自分が悪いと、落ち込む。


 遅れないように早歩きでついて行き、一昨日エンデに案内された騎士団の事務室に通された。

 ドアを開けると、埃っぽい空気が鼻をつく。

 ロアルドが軽く咳払いをしているが、間違いなくこの空気のせいと思われた。エリスもくしゃみを気合で押し殺した。


「見ての通りの惨状だ。一通り目を通して決済の必要な書類と、資料として整理して保管すべきものを分類してほしい」

「確認ですが、機密書類はどのへんですか。わたしが目を通しても大丈夫なんですか」


 エリスの質問に、ロアルドは顎に手をあてて一瞬だけ考えるそぶりをした。すぐに諦めたようで、実に朗々とした良い声で一言そっけなく言った。


「わからん」


 エリスは、うっと思わずひるむ。その様子をちらりと見て、ロアルドは補足する。


「これだけ混ざっていると、どれが機密書類か。そもそも一度も読んでいないものが大半だからな」


 これ以上ないくらい、簡潔にして完璧な説明だった。


「状況は理解しました」


 エリスもまた、最低限の返答をする。それ以上なんと言えば良いのか。幸い、その心情を汲んだらしくロアルドが続けた。


「陛下が任せると言った以上、すべて明らかにして問題がないとお考えのはずだ。書類は主に、先の戦の戦後処理の件だ。納得するまで目を通せば良い」

「わかりました」


 少しひっかかる言い方だった。

 まるでここにある書類がすべて、エリスの為のもののようだ。

 ロアルドは部屋の中に進み、机に積まれた書類の山から無造作に一枚、掴んで無言で目を通す。ばさばさと無残に山が崩れていったのは気付かないように。やがて「ふむ」というと、エリスに突き出してきた。

 読め。という意味と解釈して受け取ってエリスは目を落とす。


 海の国アレーナスが北の大国を打ち破って国境線を押し広げた戦争の経過報告の一部のようだった。 


(わたしがお師匠様と会って間もない頃のはず……。昇る日の勢いで勝ち上がった海の国には、剛勇無双とか百戦錬磨と言われる恐ろしい騎士団長がいると。わたしはお師匠様から聞いたけど)


 ざっと目を通した限り、会敵した各戦場での戦死者や負傷者、要した輜重隊の規模などが箇条書きで記されている。戦死者に関しては敵方の概数も書かれているが、アレーナスとの差があまりに歴然としていた。まさしく桁が違う。 

 無言のまま、ロアルドが探し当てたらしい続きの紙を渡してくる。エリスはそれに順に目を通すが、状況はやはり変わらない。


「圧勝ですね……」


 それ以外の言葉が浮かばなかった。数字となった死者の多さに、他の反応ができない。

 軽い伝聞でしか知らなかった戦場が、紙の一枚からにわかに現実味を帯びて立ち現れて、自分を包み込んで押し潰してくるような錯覚があった。

 喉の奥がつまって、息苦しい。目の前の数字が揺れる。不思議に思うと、紙を持った手がカタカタと揺れていた。 


「そんなに恐ろしいか?」


 ただの文字と数字が。

 エリスはすぐには答えられなかった。声が出なかった。ロアルドが畳みかけるように言った。


「本国に『血と鋼』の魔導士がいる。奴の魔法を帯びた鋼は決して歯こぼれも折れもせずに、戦士を戦場へと駆り立てる。戦争の経過に合わせてジークハルト殿下は魔法の行使の範囲をどんどん狭めさせた。大局が決したのを見て、もはや魔法は必要ないと。最終的にはすべての魔法を自分へと集中させた」


 何か。 

 この人は大切なことを。

 目を見て話を聞こうと、顔を上げたら、溜まっていた涙が流れてしまった。それが無性に悔しくて、エリスは顔を背けて腕でぬぐった。なぜ泣いたのか。 


「最後まで付き従ったのが私とエンデであり、『炎』の魔導士として才覚を発揮していたファリスだ。最終戦間際の撃破数はほぼ我々の出した数字だ。最後の最後はジークハルト殿下が。折れない鋼が折れるまで戦い抜いて、ようやく剣を振るうのをやめた。それが終わりの日になった」


 数字を、見た。


(見たよ、ジークハルト)


 エンデさん。ファリスさん。

 エリスの知る限り、自分には幻視の魔力はないはずだった。そのはずなのに。


 その時、耳の奥には人々の怒声が、飛沫を上げた血の滴る音が、烈しく燃え盛る炎の爆ぜる音が、打ち鳴らされる鋼と鋼の響きが。

 誰かの泣き声が。

 叫びが。

 折れた鋼を地に突き立て、膝をつき、雲一つない蒼天を仰ぐジークハルトの血に塗れた姿が。


 ぜんぶ、滅茶苦茶に沸き上がってきた涙に押し流されるまでの間、エリスの中に、エリスの前にあった。


「ごめんなさい。わたしが泣く筋合いじゃない。仕事を……」


 うまくまわらない口をなんとか動かして、エリスは言葉を紡ごうとする。

 ロアルドはゆっくりと踵を返し、ドアに向かった。背を向けたまま、温度のない声で言った。


「どんな獣だと思ったのか。ここにきたお妃候補とやらの中には、ジークハルト殿下の目を決して見ない者もいた。あなたのことは正直私にはわからないが、ここの書類をあなたに見せる意志を示したのは、ジークハルト殿下だ。急ぐ必要はない、出来る限りで構わない」


 言い終えて、出て行く。

 ドアが閉まった瞬間、エリスは奥歯を噛み締めて堪えていた声を漏らして、泣いた。


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