異世界・草原・鱗と角を持つ大猪
光が前田を包み込む頃には、もう一片の闇もなかった。
なお歩き続けていると、今度は光が次第に弱まってくる。
その向こうには明るい、青い空が見えた。
歩き続ける内に、足許がサクサクとした感触に変わっていることに気がついた。
とうとう光を抜けて前田が辿りついた場所は、地平線まで広がる草原だった。地の果てには山が、青空には雲が流れる、穏やかな景色だった。どこまでも広大だった。
爽やかな風が吹き、前田の髪を掻き上げた。その時、前田は己が全裸であることを思い出した。
しかし「新たな世界」とやらの開放感は、陰茎の収まりに固執させるようなものではなかった。
前田寛正、十八歳。初めての感覚であった。
虚無の暗闇とは正反対の快さを抱かせる草原に、前田はゴロンと寝転んで雲を仰いだ。
「これが死後の世界だと言うのなら、皆一度は死んでみればよいのに」
前田は生来、歌などというものは覚えたことはなかったが、歌ってみたい気がした。
四肢を伸ばし、青々とした草がチクチク肌に刺さる感覚を楽しみながら、前田はスッと目を閉じた。
前田が飛び起きたのはそれから半時ばかりした後の事である。
ガバと立ち上がり、抜刀の構えを取ったが、やはり全裸である。
前田は仕方なく徒手空拳で構えた。
何かが近づいてくる。人ではない。といって俥というわけでもない。
獣に似た何かが、荒々しく大地を駆けてくる。
未だ遠くからだったその微かな振動が前田の眠りを妨げた。
――来る!
前田は遥か地平線に臨んだ。
巨大な影が、まっすぐに前田めがけて走ってくる。
それが近づくにつれ顕わになるその姿は、これまで前田が見たことのない奇怪なものだった。
小山が動くかのような走り方は猪を思わせたが、その体躯は大猪の数倍はあり、その額の左右から生える四本の角は、どんな雄牛よりも猛々しく、そして何より、その体一面にびっしりと碧い鱗がひしめいている。
「面妖な!」
スワ、と前田は身を翻し、怪物の視線上から逃れようとしたが、何と怪物はしっかりと前田に狙いをつけて走ってくるのであった。
どこまでも広がる草原の中、隠れられる場所はない。
前田は深く呼吸をすると、叫んだ。
「この俺の名は前田寛正! 俺の前に立ちはだかるというのなら、妖怪とて容赦はせん!」
そして改めて前田は怪物に相対した。