八話
遅刻がそこまで珍しいことではない賢治が一番乗りで教室にいることに、いつも一番乗りだったらしい眼鏡の生徒はひどく驚いてみせた。元々Bクラスだった彼はテスト期間と個人の趣味で書いている小説の賞の応募締め切りとが被って死にかけているところになにか喜ばしいことでもあったのか同室者がコップにジンジャエール注いでイエーイとはしゃいで突入、躓いた同室者の手から飛んだコップが使用中のPCへ暴虐の限りを尽くしたことで発狂、気付いたときには同室者の顔面を三発ほど殴りFクラスへ島流しになったという大変不憫な生徒だ。おまけに真面目そうな眼鏡野郎という評価を新しいクラスで受け、新学期には委員長を押し付けられた。
「え、冠城……早いね?」
「おう」
「なにか、あったの……?」
「いや、特には」
「あ、そう」
眼鏡はそれきり続ける言葉が思いつかないようで、すごすごと自分の席に着いてノートを広げ始める。眼鏡の登校を皮切りにクラスメイトが続々と登校し始め、賢治を見ては驚く。
「お前、今日何時に登校したんよ?」
「は? そんな早く?」
「罰ゲームとかあったっけ?」
好き勝手囀るクラスメイトに賢治はしかめっ面で「真面目な俺になんてことを言うんだ」と遺憾の意を表明する。だが、まともに取り合うクラスメイトはいない。賢治が真実真面目であればFクラスにいるわけがないからだ。眼鏡と違って。
「俺だってミスター優等生なところあるんだぞ」
「どこにだよ」
「……教科書を忘れたことがない」
「全部置き勉してるだけじゃねえか!」
ミスター優等生は言い過ぎだった。賢治反省。
舌打ちする賢治からは欠片も優等性が感じられず、それに尚更ゲラゲラ笑い出したクラスメイトがふと思いついたようにぱちんと指を鳴らした。指を鳴らす意味はない。鳴らしたかっただけだ。
「ミスター優等生の冠城クン」
「なんだよ」
「ミスター優等生だというなら勿論人助けとかするよね?」
「簡潔に述べたまえ」
「喧嘩に誘われたんで参加しようぜー」
「あいよー」
合コンの数合わせに誘うくらいの気軽さで、Fクラスには喧嘩のお誘いというものが存在する。喧嘩の題目はその時々だが「そんなものはない、ただ相手を打ちのめすことが目的よ」という場合もある。今回はきのこたけのこ戦争に介入する第三勢力に相応しいのはアポ□かマ○ブルかというきのこたけのこ勢力から見れば甚だ場違いとしか言いようのない旗印掲げた喧嘩のようだ。ア×モンドチョコ派の賢治という傭兵を使うとは、余程正規兵が足りないと見える。
「で、いつやんの」
「昼休み」
「パス」
「聞かぬ」
賢治は口をへの字に曲げた。詳細を聞く前に了承した自分の落ち度だ。
仕方なしに携帯電話を取り出し、会長へとメールを打つ。もちろん、相手は生徒会長だ。喧嘩やるからと言われても困るだろうし、もし会長が知っていたという事実が露見すれば迷惑がかかるかもしれないので詳細は伏せる。
会長からの返信は早かった。なにせ顔文字だけだ。「(´・ω・`)」とされたって賢治にはどうしようもない。「すまん」とだけ打って返信。少し間を置いて返信。
「どうしても無理か?」
賢治は唸り、アプリゲームに熱中していたクラスメイトの足を蹴る。
「ぎゃああああ足が折れたああああああ!」
「うるせえ、昼休みのいつからだよ」
「開始すぐ。授業終わったらダッシュで裏庭」
「……了解」
賢治はメールを作成する。
遅れてもいいなら、という内容のメールに帰ってきたのは「(*´∀`*)」だった。
賢治は携帯電話をしまうと難しい顔で両手を組む。
「冠城どうしたの?」
「いや、どうして女子高生じゃないのかと思ってな」
「は? AVの表記のこと?」
クラスメイトが○を用いた伏せ字は学歴がどうのこうの言っているのを聞き流しながら、賢治はやたらと可愛い顔文字を使っているのがあの会長であること、どんなにきれいな顔をしていようが同い年の男であることになんとも言えない気持ちになる。あの顔面偏差値と料理の腕のまま女だったら一々自分に気があるんじゃねえかと期待でそわっそわしていたことだろう。
(あ、いやこの学園なら……?)
賢治が見落としていたものに目を向けかけたとき、担任が「初デートで不忍池のボート勧めた奴誰だ! 調べたらふざけたジンクス出てきたぞ、おい!!」と怒鳴りこんできた。最近お近づきになった相手が幾分年下だったので若いやつの意見をと生徒にデートスポットを訊ねた担任は、別学で異性に飢えている思春期男子の気持ちをよく考えて相談するべきだ。賢治はプレゼントに無地の白ハンカチか靴を贈るといいとアドバイスしておいた。古風である。五円玉は絶対に受け取るなと付け足すことも忘れない念の入れようだったのだが、この調子では担任はもう自分で素敵なデートプランを立てることだろう。不忍池には芸者御用達の縁結び塚がきちんと存在していると言ったところで無駄だ。クラス一同心をひとつに舌打ちする。
一限目は担任の教科だったため、激おこの担任は黒板に荒々しくも繊細なタッチで素晴らしい画伯ぶりを披露、彼らはなにをやっているかを英語で答えろという難易度Nightmare級の問題を炸裂、賢治たちを戦慄させた。
その晩、クラスの何割かの生徒は担任画伯の芸術が立体化したクリーチャーに襲われる悪夢を見たという。