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四話




「冠城、最近ご機嫌じゃね?」


 クラスメイトに指摘され、賢治は「よせやい」と真顔で言った。

 ご機嫌。

 心当たりはありすぎるほどにある。

 昼食が楽しみなのだ。

 会長が少々の食費で作ってくれる弁当はそりゃもう美味かった。冠城好みの茶色いおかずもあるのだが、さりげなく盛り込まれた野菜も「まあ、美味しいじゃん?」とぎこちなく無意味に上から目線で呟いてしまうくらいには美味しい。野菜を全面的に認めるには賢治が思っていた以上に溝があったのだ。

 会長の作るおかずは庶民的だった。

 顔やらお家柄を考えれば呪文のような横文字メニューが並んでもおかしくないのだが、いつぞやご飯面積の広いのり弁だったときもある。そのときはがっつり胃袋を満たしたい気分だったのでむしろありがたかった。

 天下の会長様に弁当を、と思わないでもなかった当初の遠慮は吹き飛んで久しい。美味しい弁当を食べられる機会を逃すなど食べ盛りの男ではない。

 なので、今日も賢治は屋上へ向かう。

 青々と晴れた空を見上げ、ふと今朝見た天気予報を思い出す。

 明日は雨だ。

 会長に弁当を作ってもらうようになってからずっと晴れていたから何も考えていなかったが、雨の場合はどうするのだろう。いつもは賢治が屋上に来るのに少し遅れて会長が来て弁当を広げるのだが。

 どうしたものか、と考えているところで屋上のドアが開く。相も変わらず眩しい笑顔の会長がいた。


「遅れたか?」

「今来たとこ」

「デートか」


 会長が真顔になる。賢治も真顔になる。次いで失笑。

 けらけら笑いながら会長が弁当箱を手渡してくるので、賢治は丁重に受け取った。ずっしり適度な重さに期待が膨らむ。

 ぺたん、と地べたに座り込み、わくわくした気持ちを隠さず広げ始める賢治の隣に会長も座り込んだ。


「ハンカチ広げるか?」

「別にいらんよ」


 弁当を作ってくれる会長を地べたに直座りさせるのが少々忍びなくて、賢治は毎回訊ねる。会長の答えは毎回変わらない。しかし、いつか「それじゃあ……」と言い出すかもしれないと賢治は大きめのきれいなハンカチを持ち歩くようになった。

 いつものやりとりを終えて、蓋を開けた弁当箱。賢治の目が輝く。


「ピタカじゃねえか」


 珍しく賢治が覚えた外国の料理名。「なんかお洒落で色々手順踏んだ焼いた肉」と呼ぶよりずっと短くて済むので覚えたのだが、賢治が口にする度に会長はおかしそうな顔をする。似合わないのは自覚済みだ。


「これ、んまいよな」

「肉食め」

「男は肉食のほうがいいんだよ」

「ほう」


「それはいいことを聞いた」と頷く会長は、実はおかずに悩んでいたのだろうか。じっと見遣る賢治に「冷めるぞ」と言うが、弁当はむしろ冷めてから詰めないとえらいことになることくらい賢治だって知っている。

 手を合わせていそいそと、さっそく箸でつまみ上げた肉の塊。がぶり、とやればマイルドな旨味が口いっぱいに広がった。


「ふまい」

「食ってから喋れ」


 隣で会長も同じものを食べるが、賢治が食べているものよりも高給なものに見えるのが不思議だ。それを言えばひょい、と形のいい眉を上げ、会長はやたらと豪快に頬張った。

 チワワのような信奉者たちが見れば卒倒しかねないほどほっぺがパンパンだが、賢治は「おお」と少し驚くだけだ。野郎が豪快に飯食ってなにが悪い。

 唇についた脂をちらり、と舌で舐め取り、会長は賢治を見てきた。


「ん?」

「……美味いか?」

「ちょーうまい」

「そいつは重畳」


 がふがふとおかずを食べて、もふもふとご飯を頬張る。ごきゅごきゅと伊右衛門を飲み干せば「俺、いま食ってる!」という充足感を覚えた。

 今日の弁当も夜まで賢治の腹を満たすだろう量で大変満足、食後の一服が幸せの仕上げだ。

 ぷかり、浮かんだ紫煙は青空へ。そこで賢治は思い出す。


「そういやさ」

「ん?」

「明日雨らしいわ」

「へえ」


 図々しいかと思いつつ、賢治は横目で会長を窺う。そこに不愉快な色はない。


「弁当、どうしよ」

「安心しろ」


 会長がぐっと親指を上げる。意味が分からないながら賢治も親指を上げ返す。


「まあ、なんだ。明日のお楽しみというやつだな」

「あん?」


 なんでもないような顔をする会長の意図は読めないが、弁当は変わらず食べられると見て間違いないらしい。それが確かなら賢治は他のことは多少どうでもよかった。胃袋を掴まれるとはよく言ったものだ。恐らく自分は会長が「おい、焼きそばパン買ってこいよ」と言い出しても二つ返事で購買戦争に挑むだろうという確信が賢治にはある。

 最後のひと吸いを終えて賢治は携帯灰皿に煙草を押し付ける。賢治以外が来ない屋上なのでそのままポイ捨てをしたことがないわけではないのだが、会長が出入りするようになった以上、万が一嫌疑がかけられたら申し訳ないと思って今では携帯灰皿は必須アイテムだ。


「煙草は美味いのか?」

「んー……味覚として分かりやすい感覚じゃねえけど、甘い、か?」

「へえ」

「興味あんの?」

「それだけ目の前で美味そうにされるとな」


 ここで優等生はやめとけ、と言わないのが賢治が不良たる所以なのかもしれない。

「やるか?」と問いかければ、会長は少し考えて頷く。新しい煙草を一本、ライターとともに渡せば火をつける仕草は器用に、しかし煙草を咥えて火に近づけても火は点らない。

 不思議そうに小首を傾げる姿がいつかの自分に重なり、賢治は喉の奥で笑いながら会長を手招いた。素直に寄ってきた会長の口から煙草を抜き取り「火」と一言。点けられたライターに顔を近づけ、静かに吸いながら煙草に火を点す。じり、と音がしたところで顔を上げ、賢治は口から煙草を取って「ん」と会長に差し出した。

 緊張したのか一瞬真顔になった会長は妙に素早く煙草を受け取ると、ぱく、と咥えた。


「ゆっくり吸えよ」


 会長に指導することがあるのだ思わなかった。内容はろくでもないことこの上ないが、愉快な気持ちで賢治はアドバイスする。


「スープをほろほろスプーンから飲む感じ」


 ちり、と僅かに燃え進む穂先。苦しげに会長の顔が顰められたところで賢治は煙草を取り上げた。不満そうな顔をされるが、無理するものではない。

 少し息を吸い込んで、会長はゆっくりと吐き出した。初めてで咽ないなら上々だが、なんとなく。


「あんま似合わねえから、やめとけ」


 まだまだ長い煙草を咥えてひと吸い、笑った賢治に会長は「参った」と言いながら前髪をかき上げた。

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