第九話
「……ん?」
そうか、俺はアルノルトに負けたのか。既に処置を施されたようで、痛みはない。切れていた唇をなめても、何ともない。
保健室のベットの上で目を覚ましたクラウスは、試験でのことを振り返る。
全く、手が出なかった。正直に言えば、勝機は少ないなりにあると思ってた。確かにアルノルトの獅子は、オルトロス、つまり父さんが昔召喚してたのと同じだけど、どうにかなると思ってた。アルノルトは、莫大な魔力を保持してるわけじゃない。試合が開始してから召喚するということは、予想できたし、実際その通りになってた。唯一の誤算は、アルノルトが2体目の魔物を召喚できるようになってたことだ。まさかそこまで、アルノルトに才能があるのだとは思わなかった。
クラウスは、目を覚ましても、体を起こさずあおむけになり、天井を見つめている。
すると、ベットを仕切るカーテンが開かれる。
「クラウス、大丈夫?」
セシリアがクラウスの見まいに来たのだ。
セシリアは、クラウスに尋ねながらベッド横の丸椅子に腰かける。
「……ああ、体は何ともないよ」
クラウスは、体を起こしセシリアに向き合う。
「……そう」
セシリアは、どこか納得がいかない表情だ。
「お前こそどうなんだ? 試験は終わったのか?」
戦闘学部が実技テストを行うのと同時に、研究学部魔道具製作科では課題製作のテストが行われていた。魔物からとれる魔石を利用した照明具の製作が今回の課題だ。
「うん。たぶんこのままAクラスに残れるって先生が言ってた」
「そうか。よかったな」
「……うん」
セシリアは相槌を打ったきり、何も言い出だそうとはしない。何度が言葉を発そうと口を開かれるが、息すらこぼれることがなく、閉じられる。膝の上で握られた両手を見つめ、うつむいている。
クラウスは、そんな様子を見かねて言葉を発した。
「……もう、聞いてんだろ? 俺が蜘蛛しか召喚できなかったことも、主席の座をアルノルトに奪われたことも……アルノルトに一方的にやられたことも。気使わなくていいよ」
「……ん」
セシリアには、いまだ納得した様子が見られない。
たぶん、俺がこれからどうなるかが不安なんだろうな。全く、セシリアに心配される日が来るとは思ってもみなかったよ。感情表現がうまくできなくて、輪に入れないセシリアをいつも俺が助けてやってたってのにな。
「……退学の心配はないみたいなんだ。リカルドさんが、俺を第一類に誘ってくれてんだ。剣士にならないかって」
「……」
セシリアの表情は変わらない。
「だからさ、大丈夫なんだ。もう召喚士はあきらめるしかないけど、村のみんなの助けを無駄にはせずに済むみたい。肉体測定の結果もよかったしさ、今回みたいなことにはならないと思うよ」
「……」
セシリアは、何も言わない。歯を食いしばり、涙を浮かべている。
「大丈夫だって、何とか、俺、マギアに残れそうだって。安心しろよ」
「……」
「な? 大丈夫だから」
黙り続けるセシリアを、励ますようにクラウスはセシリアに手を伸ばす。だが、その手はセシリアに叩かれ、届くことはなかった。
「どうしたんだよ?」
クラウスは驚き尋ねる。その手は赤く腫れている。
「……わたしが言いたいのはそういうことじゃない」
「じゃあ、なんなんだよ。もうこれ以上、心配することなんてないだろ? 俺は、マギアに残れる。それでいいじゃないか」
「違う」
セシリアの声は震えている。だが、保健室によく響いた。
「なにが?」
「……違うんだってば!」
「だから何が!? もういいじゃねえか。俺は剣士として、お前は魔道具製作者としての活躍を目指す。それの何が違うっていうんだよ!」
セシリアにつられて、クラウスも声を荒げる。
「違うんだって! それは最善だげど、一番じゃないんだって!」
「どういうことだよ」
「……わかんないよ」
セシリアはそういったきり、頭を抱えて、涙を流し、嗚咽を繰り返している。うまく言葉にできないもどかしさに苛立ち、髪をかき乱す。クラウスが、なだめるようにその頭を撫でようとしても、頭を振り拒む。
「……じゃあ、どうしろってんだよ。セシリア、お前ほかに方法があると思ってんのか? 俺には召喚士の才能はないんだよ。剣士になるしかないんだって。村のみんなの思いを無駄にするわけにはいかないだろ」
「っっ!」
セシリアは、立ち上がり、充血した目で、クラウスを見つめる。顔は涙でぐしゃぐしゃになり、頭は爆発している。
「だから、そうじゃない!」
セシリアは、クラウスの頬を叩く。
「え!」
素っ頓狂な声が上がる。だが、それは殴られたクラウスのものではなく、セシリアのものだった。
セシリアは、クラウスの頬をぶった自身の右手と、クラウスの右頬を何度も見る。口を開け、顔を引きつらせている。
「……おい」
クラウスは、異常な様子のセシリアを心配してセシリアに声をかける。だが、その声が彼女に届くことはなかった。
「っ!」
セシリアは、急に走り出し、保健室を飛び出ていった。
セシリアがぶつかった、カーテンがその揺れを止めても、まだ、クラウスは身動きが取れずにいた。
あいつどうしたんだよ。急に俺のこと殴ってきて。俺が何か言ったのか? でも、心当たりはない。確かに俺が言ったことは、情けないことだけど、でも、それはしょうがないことだってあいつだってわかってるだろ。どうしたんだよ。
クラウスが呆然としていると、不意に声がかかる。
「……派手にやったね」
カーテンの陰から現れた、赤髪の少女が呟くように、クラウスに話しかけた。
「……ああ」
「何かあったの?」
「まあ、ちょっとな。それよりお前誰だよ?」
「私は、セシリアさんと同じクラスのアンナ。姿を見かけないから彼女を探しに来たの。一応、寮も同じ部屋だから、探しに来たのよ」
「そうか。それじゃあ、追ったほうがよくないか?」
クラウスがそういうと、アンナはフッと笑みを浮かべた。
「どうせ、あの子は寮に戻ってるわよ。あんな泣き顔で校舎を歩けるわけないでしょ。それよりさ、何があったのか、教えてくんない? 普段無口なあの子がどうしてあんなに叫んでたのか」
アンナは丸椅子に腰かける。そして、好奇心に満ちた笑顔をクラウスに向ける。
「……嫌だよ。そんなにペラペラしゃべることじゃないからな」
「つれないねえ。まあ、いいわ。何か相談があったら、いつでも私のところに来なさい。楽しみにしてるわ」
アンナはそれだけ言うと、満足そうに去っていった。
「……ほんとになんなんだよ」
クラウス以外に人のいない保健室。クラウスには、自身のつぶやきが、何度も耳をうったように感じられた。