第五話
「……なんだよ、これ」
目の前に蜘蛛しかいないことに、クラウスは眉を顰める。
クラスメイトは、誰もクラウスに声をかけられない。
蜘蛛の小ささは、周囲の大型の魔物によって際立たせられる。鋭利な牙があるわけでもなければ、莫大な魔力を内包しているわけでもない、小さな一匹の蜘蛛。どう見ても、大した魔物ではない。
「先生……もう一枚、カードをもらえませんか? きっと、俺が何か間違えたんですよ」
クラウスの目は焦点が合わず、唇は震えている。鉄並みに固いカードを握る手からは赤が一筋たれていた。
「はい……」
マランは、カードを一枚手渡した。だが、何かしらのアドバイスをすることはない。既に結果をわかったうえでクラウスを見つめる瞳には同情と落胆しかうつっていない。
「こんどこそっ!」
クラウスは2枚目のカードに、先ほどとは比べ物にならないほどの魔力を送り込む。放たれる光の量も桁違いだ。だが異様な明るさの中、笑みを浮かべるものは一人もいなかった。
「……なんでだよ」
光がおさまる。
クラウスの足元には、蜘蛛が一匹増えているだけだった。
「魔力量に比例するんじゃなかったのかよ……先生っ! そうなんだよな。魔力が多いほどいい魔物が召喚できるんだよな?」
「……」
マランは、口を開くことができない。事実、彼の経験上、魔力量と召喚される魔物との間には比例の関係があった。そうでないという報告は聞いたことがない。初めての例外に、憧憬に見放された少年に、言葉は浮かんでこなかった。
「先生? 大丈夫だよね? 俺も父さんみたいに召喚できるようになるよね?」
「……」
「お前らもそう思うだろ? なあ? 何せ、俺はAランクの魔力保持者だぜ?」
「「「……」」」
クラウスは、周囲のクラスメイトを見渡すが、皆、目線を合わせようとはしない。それぞれの隣にいる魔物が、二匹の蜘蛛とその使い手をあざ笑うような表情を浮かべている。
「……ああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
クラウスは叫んだ。カードを持つ両手から血が地面に落ちる。目は充血しているのに、蒼白な顔色をしている。その場にしゃがみ込み頭を抱える。
「俺は、村の期待を背負ってるんだ……父さんの息子なんだ……召喚できないわけがない」
ぶつぶつと呟くクラウスにマランも生徒も声をかけずに、立ちつくしている。
やがて、クラウスがその場を離れる。
まだ、授業の時間だったが、マランはそれを引き留めることはできなかった。
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練習場を後にしたクラウスは、寮の部屋へと向かっていた。
召喚士を目指す第3類の生徒には、魔物との交流を深めるために1人部屋が提供されている。
2匹の蜘蛛も、主人についていく。人の歩調に後れを取らないように懸命に進んでいる。
「……」
クラウスは、自室に入り、ベットの上であおむけになる。顔をおおう右腕の下からは、涙がこぼれている。
その様子を見た2匹の蜘蛛は、慰めるようにその体をクラウスの左腕に寄せる。
クラウスは、一瞬歯を食いしばり、左腕を上げたが、何もできなかった。従順な蜘蛛たちに八つ当たりをしてしまっては、本当に召喚士失格だと思ったのだろう。
「ほんとに……いっそ何も出なければよかったのに」
2匹の蜘蛛を見つめながらクラウスはつぶやいた。
クラウスは自身の魔物に対する愛着がわいていた。害虫であるはずである蜘蛛に不快感を抱くことはなかった。
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翌日、クラスに行くも、クラウスに声をかける者はいなかった。
「「「……」」」
クラウスが教室に入ったとたん、喧騒がおさまり、静寂と緊張が広がる。
誰も、クラウスに目を向けないが、最もクラウスを気にかけていた。
「……おはよう」
マランが、教室に入ってきた。
彼は、クラウスを一瞥した後、目のやり場に困っていた。
「先生」
クラウスがマランに声をかける。
マランはクラウスに目を合わせていない。
「……なんだい?」
マランは、少し身構えていた。
「少し、人には聞かれたくないんで廊下でいいですか?」
「わかった」
2人が廊下へ出ると、生徒たちは肩から力が抜け、徐々に会話に復帰する。
「どうしたんだい?」
マランが尋ねる。だが、なおも目線はクラウスからそれ、遠くを見つめている。
クラウスは、昨日とは異なり落ち着きを取り戻している。その様子が、逆にマランにはおかしく見えていた。
「単刀直入に言います。来週のテストまでの間、授業を欠席してもいいですか? 居ても、クラスの雰囲気を壊すだけですし。……どうせ来週のテストでFランクに下がるでしょうから」
「……わかりました。今回だけ特別に許しましょう」
「ありがとうございます」
クラウスは、頭を下げる。
「ちなみに、テストまでの間は何をしているつもりなんですか?」
「あ、それは、考えてなかったですね」
「それでは、課題を出しますのでそれをやっておいてください。あと、闘技場に行ってみてはどうですか? 今は何も開催されてませんが、併設された記念館は見て損はないですよ」
「それじゃあ、そうしたいと思います。ありがとうございました」
クラウスはそう告げるとその場を後にした。
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「行くぞ、肩に乗りな」
クラウスは2匹の蜘蛛を連れに寮に戻っていた。
『ジジジ……』
右肩に乗った蜘蛛が鳴いた。
「あれだけ魔力をつぎ込んで召喚して、鳴けるようになるだけかよ」
クラウスは笑った。力のない笑いだった。
「まあ、せっかくだし名前でも付けてやるか」
『ギギギ……』
今度は、左肩に乗った蜘蛛が鳴いた。
「それじゃあ、お前はジジ。で、お前がギギでいっか」
『ジジ……』
『ギギ……』
ジジとギギは返事をした。
「……とりあえず、課題を受け取りに行くか」
クラウスは、そう言って職員室へ向かった。
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「失礼します」
朝のHRの終わった直後、職員室にいる教師は、皆、授業の準備に追われていた。
「……先生、課題をもらいに来ました」
クラウスはマランに声をかける。
「早速ですか……それじゃあ、これを読んでおいてください」
マランは、机の上にあった本を一冊クラスに渡した。
「なんですか、この本は? やけに分厚いんですけど」
「これは、あなたのお父さんの著作です。召喚について、ほとんど完璧に記されています。大変権威のある良書です。その本はあなたにあげるので、じっくり読み込んでください」
「……はい、ありがとうございます」
「それで、早速闘技場に向かうつもりですか?」
「はい、そのつもりです」
「召喚獣も連れていくんですね?」
「ええ、せっかくなんで連れてってやろうと思ったんで。こっちのちょっと大きいほうがギギで、小さいほうがジジです」
「……そうですか。かわいがってやってくださいね」
「もちろん、そのつもりです。大切な俺の仲間ですから。それじゃあ、行ってきます」
そう言って、クラウスは職員室を出た。
「こんな本1週間かそこらで読み切れるわけないじゃん」
クラウスはつぶやいた。渡された本は両手で抱えられていた。
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「どこに行くの?」
クラウスは昇降口で後ろから声をかけられた。
「ん、ちょっとな」
振り返らずにクラウスは答えた。長年聞き親しんでいる声に、誰なのかは確認するまでもないのだろう。
「私も行く」
セシリアが、座って靴を履き替えるクラウスの隣にしゃがみ込む。
「だめだよ。お前は授業があるだろ」
「クラウスだってそうでしょ?」
「……俺はないよ。何ならマラン先生に確認してきな。ほら、早く戻らないと授業に遅れるぞ」
セシリアは、どこか普段と違うクラウスに違和感を感じる。
「クラウス、授業に出なきゃだめ。村のみんなが授業料を払ってくれてる」
「わかってるよ」
「皆、私たちに期待している」
「ああ、わかってるって」
靴を履き替えたクラウスは、セシリアに構わず立ち上がる。
「……それじゃあ、行ってくるから」
「クラウス、それじゃあ、ハンスさんにはなれない」
セシリアがクラウスの手を引いて、言った。
「わかってるっ!」
クラウスは、思わず声を荒げ、腕を払い拒絶してしまう。
予想外のことに、セシリアは目に涙を浮かべ、はじかれた手を抱きしめている。
「……ごめん」
クラウスは、それだけ言って逃げ出した。