第十四話
調子よく歩を進めていたが、目的の人に近づくにつれクラウスの足取りは重くなっていった。
つい、いつものように話しかけようとしていたが、珍しく喧嘩していたことを思い出し躊躇していた。
今、クラウスは研究学部魔道具製作科一年Aクラスの教室を覗いている。彼の視線の先にいるのはセシリアだ。
普段通り感情があまり顔に現れていないが、その挙措動作には何か不満があることがうかがえる。
鞄に乱雑に教科書を詰めこんだり、頬杖を突いたり、貧乏ゆすりをしたりと何かが気に入らない様子だ。
クラウスは、そんなセシリアの様子を見て、罪悪感が募るのと同時に、ある思惑が浮上してきた。
彼は、少しの間本来の目的を忘れ、そのことを吟味し続けていた。随分と集中しているようで声をかけられなかったのなら、そのままいつまでも思考を繰り返していたかもしれない。
「お~い、クラウス君。君は何をしてるのかな?」
クラウスは後ろから頬を突かれる。
反射的に振り返るとそこにはアンナがいた。
「……なんだよ」
クラウスは少しきまりが悪そうだ。
アンナから少し視線をずらし、唇の端を軽くかんでいる。
「ほら、そんなにイライラしない。別に、あたしがあんたたちの修羅場を見たからって気にするんじゃないわよ」
アンナは、血の川を思わせるようなその髪をうっとうしそうに払う。
「それで、セシリアに用があるんでしょ? いつまでもそうしてないでいい加減声をかけに言ったらどう?」
「……」
クラウスは口をつぐみ黙る。二つの感情に板挟みになり、身動きが取れずにいた。
「……はぁ、ついてきなさい」
アンナはその様子をしばらく見つめた後、あきらめるようにして言った。
そして、深紅の髪を広げながらからだを反転させクラウスを連れて行った。
◇ ◇ ◇
「はいんなさい」
クラウスが連れてこられたのは、アンナの寮の自室だった。
「は!?」
クラウスは声を上げる。それはなにも女子の部屋に誘われたことではなく、他のことを懸念しているためだ。
「お前、これは俺に対する嫌がらせか?」
クラウスは身を乗り出し食って掛かるようにアンナをにらむ。
だが、直後のアンナの残虐な視線にひるまされる。
「うるさい。別に、セシリアなら夜になるまでは帰ってこないわよ。随分と熱心に何かをしているみたいよ」
「何かって、なんだよ」
クラウスがふてくされた調子で尋ねると、アンナは再び鋭い視線をクラウスにぶつけた。
「知らないわよ。そんなことより、重要なことがあるんじゃない?」
クラウスは一瞬鼓動が跳ね上がる。自身の心のうちを読まれているような気がしたのだろう。だが、本心を見透かされたからこそクラウスは決心することができた。
「……頼みごとがある」
クラウスは意を決して言った。
状況から見ればその懇願は大層情けないものだった。だが、クラウスは無駄なプライドを捨ててあんなに頭を下げたのだった。
「何よ。幼馴染じゃなくてあたしでいいの?」
「……」
痛いところを突かれクラウスは口を閉ざす。
自身でも判然としない感情に合う言葉を探し煩悶とする。
「……確かにできることならセシリアに頼みたいさ。さっきも本当はそのつもりでクラスを覗いてた」
「あたしの前でよくそんなこと言えるわね」
アンナは唇の端に笑みを浮かべている。そこには状況を理解しているが故の余裕が垣間見えた。
「それは悪いと思ってる」
クラウスは軽く頭を下げ続けた。
「本当はセシリアに頼みたい。でもそうしたくない気持ちもあるって気づいたんだ。別に、今、喧嘩中だからってわけじゃなくてさ、失望させた分期待させたいし喜ばせてやりたいんだ」
クラウスは自身の口から出てきた言葉で、自分の感情を理解し、そしてさらに言葉があふれる。
「セシリアを驚かせて、喜ばせてやりたいんだ。だから、セシリアに頼むわけにはいかない」
クラウスは腰を折り深く頭を下げる。
「頼む、俺の頼みを聞いてくれないか?」
アンナに見せるその無防備な姿は、クラウスの覚悟を体現している。
アンナは、目の前の少年を見つめ思案する。
束の間の静寂が二人を包んだ。
「……わかったわ、いいわよ」
「ほんとか!?」
クラウスは顔を上げる。
「ええ。それに前にあなたには頼みごとを聞く約束をしちゃってたからね」
アンナは笑みを浮かべる。少し悪戯な笑顔には確かなやさしさが内包されていた。
「それじゃあ、説明してもらえるかしら。私に何をしてほしいのか。今ならちょっとエッチなサービスもしてあげるわよ」
アンナはわざと前かがみになり、その双丘で主張する。同年代と比べると大きなそれはクラウスの目を一瞬くぎ付けにするが、何とか彼の理性がそれに勝ったようだった。
クラウスは目のやり場に困りながらも、先ほど部屋で採集したものを取り出し、はっきりとした声で説明を始めたのだった。