世話役の独白
ちょっとしつこいかな。。。
最初はただの少女だと思った。
自分が知っているよりも、幾分か大人びただけの、歪な少女。初めて会ったとき、お嬢は俺の尊敬してやまない人ーーー自分を拾ってくれただけではなく、目をかけてくれている会長ーーーの横に、お行儀よく立っていた。
ーーー正直、世話役を、と言われたとき、面倒だと思った。
俺は会長の役に立ちたかった。それだけだったのに、会長は俺を孫娘にやると言う。捨てられるのだ。俺を必要とする人間は、やはり誰もいないーーー。
そんなとき。
会長に呼ばれ、そこで待っていろと言われた次の間で。
微かに聞こえてきた幼い声に、カラダが震えるなどと、誰が想像しただろう。
ーーー日渡をちょうだい。
幼いながらも、凛とした上位者の声。
ーーーそうじゃないわ。日渡はえいえんにひなのものになるの。
ーーー日渡はひなのもの。ひなは日渡のものになるの。
ーーー16さいになったら、おじいさま、ゆるしてくださる?
ーーーゆるしてくださらないなら、ひなは日渡とかけおちするわ。
ーーーうん。ほんきよ。
ーーーおじいさま、日渡以外はいらないわ。ひなは、
日渡がいれば、それでいい。
ガツン、と頭を殴られた。
幼い少女の言葉。会長が渋った声を出してもなお、引かないお嬢の言葉に、最後には、会長はそれを許した。
ーーー日渡。
ーーーはい。お嬢。
ーーーあと、じゅういちねん、まっていて。そうしたら、ひなは日渡おまえのものになるから。
ーーーはっ。
ーーーそれまでは……日渡おまえはひなのものよ。
ーーー……はい。
唯一になった。
幼い、小さな手。差し出されたそれを、俺は自ら望んでとった。周りに言われたからではない。彼女だけが、俺の主人になってくれるーーーそう思ったからこそ、頭を垂れた。
狂っているのは俺か彼女か。
そんなの、知ったこっちゃない。
「ーーーおはようございます。お嬢」
ふすま越し。
許可など要らないと言われているが、“まだ”お嬢は俺のものではない。
「……はふ……おは、よー」
かろうじて出した声を確認し、「失礼します」と声をかけながらふすまに手をかけた。
布団の中で、もぞもぞと動く塊。
「お嬢。準備なさらないと、学校に遅刻します」
「ふえぇぇ……眠ぅ」
真っ直ぐに伸びた黒髪が、さらりとシーツに広がる。白と黒のコントラストが鮮やかで、墨絵のようだとも思う。しかしそれに見とれている場合ではない。
「お嬢」
いつの間にか止めていた息を、小さく吐き出す。
お嬢は鈴が鳴るような声で笑いながら、「なぁに?日渡」とからかってくる。
がばりと上半身を起こすと、少し乱れた寝間着から白い肌が覗く。ごくり、と喉を鳴らさなかったのは、年月を経た忍耐の賜物か。
お嬢はそんな俺に気づいているのかいないのか、更に言葉を重ねる。
「ーーーねぇ。手伝って」
ーーー悪い女になったものだ。
ーーーあれから10年。
15歳になったお嬢は、年齢にそぐわない色香をまとった、艶やかな女性に成長しつつある。
神代の名は、表でも裏でも有名で、その末端に名を連ねることができたのは、よくも悪くも運命だったのだろう。
小さい頃からそりの合わない両親と、いろんな意味でよく出来た弟の3人で、“家族”の形は完璧だった。俺はそこに入れない。要らない。
ーーーだから、家を出た。死んだ者として扱ってくれと言った。
ーーーもう10年以上も前のことだ。
感傷に浸るなんて、俺らしくない。
“約束”の期日が1年後に迫ったせいで、ナーバスになっているのか。
毎朝繰り広げられる、若とお嬢の朝のやり取りを聞き流しながら、そんなことを思う。
飄々として柔らかい物腰だが、後継者として上位者の風格をまとう若は、シスコンである。それを口に出した者は、トラウマになる恐怖を植え付けられるが。……心の中で、おそらく皆言っている。
「ねぇ?」
お嬢に視線と共に問われ、無言で頭を下げる。
お嬢の眼にはからかいが宿り、ひどく楽しそうである。若からは苦いものでも食べたかのような視線を受ける。
若は俺が好きではないが、表立って害すことはしない。感情のままだけに動き出すことのないところは、この年にしてなかなか出来ることではない。そうして、使える人間はうまく、最後まで使い倒す。……末恐ろしいとは、こういう人のことを言うのだろう。
この兄妹は、華やかで恐ろしい。
学校へ向かう車の中で、お嬢は退屈そうに話しかけてくる。
「お兄様は相変わらずね。この前まで遊んでた、裏表の激しい女はどうなったのかしら?」
「……私にはわかりかねます」
「そう」
どうでもいいのだ。お嬢にとって、あの程度の女など。
仮にも将来のボスの恋人だが、遊びなのは明白。若は、きっと政略結婚を選ぶ。お嬢に害を及ぼさない、神代にとって利となる女を。
「ーーーほぉんとシスコンよねぇ」
「若はお嬢が大切なだけです」
「つまんないわねぇ」
ーーーつまらない、か。
若の恋人と遊んでいるとき、どこかお嬢は楽しそうだ。自分に歯向かってくる者が珍しく、しかしその爪のたて方は子猫のようだからか、甘んじて嫌がらせを受け、倍以上にして返す。今のところ、百戦百勝だ。
「そういえば、日渡の女はどうなったの?ええっと、お祖父様行きつけのクラブの女?」
ーーー何故、お嬢が知っているのだ?!
「……いえ、私は」
ーーーあんな女、気紛れでしかない。
「お嬢。私は、」
ーーー貴女しか、欲しくない。
「“アソビ”なら許すわ。でも本気なら許さない。ーーーわかってるでしょう?」
たかだか15歳の少女がはく台詞ではないのに、お嬢にはしっくりとくる。20も年下なのに、上位者の立ち居振舞いが似合う、どこか歪な女。
「……はい」
ーーー俺は下僕だ。
ーーーお嬢だけの、下僕。
「ねぇ、日渡」
「はい」
「あと1年よ。1年でーーー私は日渡のものになれる」
ーーーあぁ、お嬢も待っていてくれているのだ。俺のものになれる日を。
ーーーそれだけで救われる。例え会長が約束を違え、お嬢を他の男に嫁がせようとしたとしても。
ーーーお嬢が望むのなら。
ーーー彼女を連れて、逃げ出そう。
「あぁ、学校なんて面倒くさい。今日の体育、ハードルじゃない。私、あれ嫌い」
「お嬢。そう言わずに」
「じゃあーーー帰ったらラヴィアンのミルクレープよ。買っておくよう、連絡しておいて」
ふとした瞬間に、年相応の、可愛らしい面を覗かせる。お嬢は万華鏡のように、くるくると印象を変える。
「ーーーはい」
ーーー悪い女だが、可愛げのある、最高の女だ。
正門横で停車し、車のドアを開ける。お嬢に触れるのは、このときだけ。そっと、傷などない手に触れる。
ーーー刹那。
「ーーーねぇ、日渡」
車から足を出す一瞬前。お嬢は手練れの女のように指を絡め、俺に視線を向ける。
「はい」
「ーーー愛してるわ」
それは戯れかもしれない。
15歳の少女の瞳に、情欲を見るなど、あってはならないことかもしれない。
だが。
「ーーーはい。私も、愛してます」
そう返すのが自然であるかのように。
15歳に似合わない、どこか諦めたような笑顔で笑い、お嬢は門の中に消えていった。
その背に、深くお辞儀をし、屋敷へと引き返す。
ーーーさて、ミルクレープの手配をしなくては。紅茶は何がいいだろう。
ーーーふたりが許しを得、籍を入れるのは、陽菜が大学を卒業する春。今から7年後のことである。
こうなってくるとお兄様の話も書きたくなってくるわ……。
陽菜→17歳で日渡と婚約、22歳で入籍。初夜まで最後の一線を越さないストイックな日渡にやきもきしながら、入籍後はすぐに子供に恵まれる。