魔力開眼 (2)
「開眼の啓示とは?」
義隆があまりにも呆気なく儀式が終わったことに、釈然としないものを感じながらも、無事に儀式を終えたことに安堵した表情を浮かべながら聞いた。ブランの説明によると、開眼の啓示とは、魔法が使えるようになったと言う証明のようなもので、その現れ方には個人差があるらしい。多くの場合は使えるようになった魔法の片鱗が、何らかの目に見える形で現れるようだ。
藤子がお疲れ様と声を掛けながら、そっと義隆の手を引き壁際に用意した椅子まで案内して、メイドに温かい飲み物を用意させた。そして、その傍らでは先ほどまで儀式の様子に見入っていた、茜と恵の魔法陣を賭けたジャンケンが突如として再開されていた。
「勝ったぁー!」
勝敗が決すると、満面の笑みで魔法陣の中央へと駆け足で向かう恵と、壁際でうなだれる茜。恵は先程までの義隆のように、魔法陣の中央まで進みブランへ向き直ると跪いた。
「お願いします!」
恵は大きな声でそう言うと、固く目を閉じた。既に描かれている魔法陣が使えるようで、準備にはほとんど時間が掛らない。ブランは屈んで恵に目線の高さを合わせると『貴方からですね』と言って、優しさの奥に強い期待を孕んだ瞳を恵に向ける。そして、儀式に取り掛かった。精神を集中するその瞬間は、先程と同様に優しい笑みは姿を潜める。右手を恵の額にかざし呪文を唱えると、ブランの周りの空間が歪と共に青白く発光する。
『魔力開眼』ブランの体を包み込む光が次第に右手に集まり、やがて恵の小さな額へと吸い込まれるように消え去った。先程は儀式を受ける側だった義隆も、改めて自分の身に何が起こったのかを、確認する様に儀式に見入る。終わりましたと声を掛けられ恵が恐る恐る薄眼を開けてブランを見上げると、先程と変わらない優しい笑顔を湛えている。それを見た恵は、勢い良く立ちあがると満面の笑みを浮かべながら藤子の元へ駆け寄る。
「お婆ちゃん、終わったよー!」
藤子は恵を受け止めると『立派だったよ。これで恵も魔法使いの仲間入りだ』と言って優しく頭を撫でた。恵は眉を吊り上げて得意げな表情を茜に向けた。それを見た茜が次は自分の番だと、少し緊張した面持ちで魔法陣の中央へと向かう。魔法陣の前まで来ると、茜は振り向いて義隆と藤子の顔を交互に見た。義隆は何故か自分の儀式の時以上の緊張を感じていた。茜はゆっくりと魔法陣の中央へと進み、ブランに向き直り跪いて手を胸の前で組んだ。そして、しっかりと目を瞑る。その瞬間、見た事の無い景色が茜の脳裏を過った。突然の事に茜が困惑して目を開けた直後に、壁際に立つ恵が歓声を上げた。
「うわー! 何これ! 凄いよ!」
突然の室内に響いた歓声に、近くにいた義隆や藤子だけでなく、部屋の中にいた者たちの視線が一気に恵に注がれる。宙空に突き上げた恵の右手には何やら輝くものが見えた。
「お父さん、お姉ちゃん、見て、ほら!」
恵が嬉しそうに声を上げる。突き上げた右掌から一定の距離を保つかのように、いくつかの豆電球を思わせる光が浮遊していた。光は揺れ動きながら分裂する様に数を増やし、その全体像はスイカ程の球体を顕現するかの様だ。その豆電球ほどの光の集合体は、初めはもっと小さな蛍の光ほどのものだった。それが、恵が咳き込むとのと同時に口から一つ飛び出したのだ。それはすぐに宙空を浮遊し始め、それに触れようとした恵の右手に纏わり付くように、右手の先に浮遊した。
義隆と茜だけではなく、周りの者たちまでもがその光景に驚きを隠せないでいたが、その驚きは義隆たちのそれとは少し意味が違っていた。
「副長官、これはもしかして……」
「ああ。驚いたね──」
艶やかな口元から白く輝く小さな牙を覗かせて、慌てふためいた様にブッハが問い掛ける。それに対し藤子も信じがたい光景を目にするかのように答えた。その場にいる他のメイドたちは何が起こっているのか理解していない様子だったが、儀式を中断してその光景に見入るブランだけが薄い笑みを浮かべていた。
皆が驚くのも無理はない。恵に起こった不思議な現象こそが開眼の啓示である。本来であればいくら早くとも儀式後、数時間は現れるはずのないものだ。それが、何故か僅か五分足らずで出現したのだ。その予期せぬ事態に他のメイドたちも、声を潜めながらも口々に驚嘆の声を漏らし始めた。
「長官の強力な魔力の影響でしょうか?」ブッハが眉を顰めながら藤子に問いかける。
『いや、恐らくそれは無いだろう──』藤子は訝しげにその光景を眺めたまま説明を続ける。儀式とはそれを受ける者の心の奥に眠る胆力を引き出すための、言わば呼び水のようなものだ。確かに流し込む胆力が少なすぎては儀式そのものが成立しない可能性もあるが、多ければ良いという類のものではない。むしろ胆力の質と儀式の手際こそが唯一、開眼のきっかけに影響をもたらす。一度、正常な胆力の流れが出来れば、あとは時間を掛けて胆力の質を磨き、量を増やす。自らの魔術の深淵を見つめるのと同時に、そこに散乱する森羅万象の理の薄片を拾い集めるが如く習得するのが魔法だ。しかし、極希に産まれながらに強く魔法への適合を示す者がいる。
「ブランが言ったのはこの事か……」
藤子はひとり事のように呟いた。傍らで聞いていたブッハにはその意味は解らなかったが、彼女は藤子とブランの事を信頼していた。
恵はますます得意気に右手を振りながら、その輝く球体を見せびらかす様にその場をクルリと回って見せた。小さな光は分裂しながらどんどん数を増やす。それが集合して形をなす球体もゆっくりと回りだす。そして、少しずつ大きさを増していった。
「藤子、そろそろです。魔法の準備を──」
ブランがそう口にすると程なくして、恵の右手の先で回る球体は運動会の大玉ほどの大きさにまで膨れ上がっていた。更にその回転速度を増した球体は次第に円盤状に形を変えていく。ここまで来るとさすがに恵の顔に浮かぶ笑顔に不安が入り混じる。
そして、その外周に接する空間が僅かな歪みを見せ始め、微かに周囲の空気が熱を帯び始めたのを感じる。その瞬間に、藤子が恵に向かって右手を突き出し即座に呪文を詠唱した。
『魔力吸収魔法』
その言葉と同時に藤子の掌の前に出現した、拳よりもひと回り大きな漆黒の球体が、恵の右手の先で激しく回転する光体を吸い込んでいく。一瞬にして光体は円盤状を維持できない程に吸い込まれ、やがて全てが吸い尽くされるように姿を消すと、藤子の掌の前にあった漆黒の球体も霞のように消え去った。あっという間の出来事に、その場の誰も言葉を発することができない。一瞬にして姿を消した輝く球体が、どこへ行ってしまったのか、恵も不思議そうに自分の右手を眺めて『無くなっちゃった』と呟いた。
藤子は無事そうな恵を見て、ふーっと長い息を吐き出した。
「これでアンタの視た未来通りかい、ブラン?」
「流石ですね藤子。完璧なタイミングでした」
二人はまるで何事も無かったかのように、お互いの顔を見て微笑を浮かべる。